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ふーむ |
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江◯島平八
(3784)投稿日:2024年03月03日 (日) 01時31分
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確定申告書の作成作業、貼り付け以外は、ほぼ終わりぬ。 今回は還付まで行けず、残念ナリ… (´・ω・`)
やれやれ、とTVを眺めてると、名古屋辺りの食べ物とか風習とか、知らないモンが結構あるね。 数十年前に、彼の地の結婚式に招かれて結構お下品なので仰天したのが最初だったが、未だに… ( ´ー`)y-~~
ワイの中高は元・旧制高校の男子校で、校則は「下駄は禁止」のみ。制服はあるにはあるが、着たのはマジで入学した最初の日だけで、あとはみんな、最後まで私服。 普段から教室のカーテン引っ剥がして机4つ寄せてアチコチで麻雀やってたし、修学旅行は宿だけ決めて各グループにドコ行くかお任せで、部屋で酒飲む連中も居た。 ワイらはバンバン(谷村新司とセイヤングやってた「いちご白書」のヒト)の実家の京都の旅館を視察に行ったりwww
勉強は各自にお任せなのだが、まあ皆、黙って自主的にやってた。 数学は気合が入ってて、テキストは6年間(実質は5年間)分が全て、先生方の手書きのガリ版印刷。 大学入試の実際の出題も含め、問題が沢山載ってて、授業は順番に前と後ろの黒板に出て答えを書かされるんだが、解答がテキストには書いてないから、みんな結構真面目に、先取りして勉強してた。
テキストには、本質の理解を深めたり、丸暗記しなくても公式を導出できるよう、こぼれ話や傍論、別証も書いてあって、コレが後々に色んなトコで案外、役に立ったのは確か。
まあ、物理でも、中1で天体の年周視差と絶対等級とかオルバースのパラドックスとか、冪乗の数学を使う分野(しかもコレは実は物理じゃなくて地学だと後で知った)を勉強させられたり、古文は百人一首の原典のくずし文字読まされたし、漢文も終に返り点とか一切なしの白文しかやらなかったような記憶しかない。 返り点とかは、駿台高1クラスで初めて習いましたwww
現国は、O.ヘンリーとか太宰とか森鴎外とか坂口安吾の文庫本がテキストで、たまに歌舞伎を見に行ったり。 世界史はテキストやプリントを一切使わず、先生がずーっと黒板に書き出していくのを必死に写す。寝たら負け。 地理のテストは、授業中に雑談だと思って聞いてた、ベトナムの農村の便所の話www
つくづく、変わった学校だったと思う。 愉しかったけど… 男子校からの旅立ちだから、卒業式を「トーマの心臓」のラストに擬えて浸ってたのは、チト恥ずかしい… (;^ω^)
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