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キルキンの後 |
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江◯島平八
(4660)投稿日:2025年01月02日 (木) 00時45分
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キルキンまでの親方は、パープル時代も含めて、ナチュラル・ディストーション志向だったんだが、その後(ディオがRainbowを辞めて、バンドがポップ志向になって以降)、ストラトのピックアップをダブルコイルにして、AIWAのオープンリールをファズ代わりにして、人口的に歪んだ、太い音を志向し出した。
ストラトのネックも、音がカンカラしがちなメイプルネックから、柔らかいローズウッドになり、まあ、ソレが売れる音の条件だと親方なりに判断したんだろうと思う。
も一つ、ボトルネック奏法が増えて、コレはパープル末期からそうで、Quartermassの"Black Sheep of the Family"を親方が演りたがったのを他メンバーが反対したのでパープルを脱退、Rainbowを結成してデビューアルバムでボトルネックで演ったとゆー曰く付き。
まあ、親方のボトルネック奏法も、パープル末期のスタジオ版の"Stormbringer"のソロ前半みたいな使い方とか、"On Stage"(ライブアルバム)の「銀嶺の覇者」のアップテンポな使い方ならムッチャ好きだが、一般には、親方の良さを消して凡庸にしてるような気はしてた。 本人はその方が弾くのラクだったのかも知らんが。
まあしかし、そんなこんなの暗中模索も、Rainbowの最後の最後にポップサイドの神曲"Street of Dreams"を生み出したから、結果的にはイイんだけどサ… ( ´ー`)y-~~
しかしながら、その後、Rainbowを解散してまで旧メンバーと再結成したパープルはクソ。 更に更に、やっぱり気に入らなくてパープルを再び抜けて新メンバーで再結成した新生Rainbowは、親方の指癖オンリーで詰め込んだ音の羅列ばかりなので、ワイはさすがに親方を見限った。 その後、親方もロックを辞めて、中世音楽に転向して行った。さよーなら… ( ´ー`)y
まあ、その頃にはもう、オジーの方が良いロックをやってたんだよね。 Rainbowの追求したポップ路線でも、万人向けの楽曲のスコーピオンズの方が世界的人気になって行ったから、居場所が無くなったのかもしらん… ( ´ー`)y-~~
ワイは、ウルリッヒ・ロートがアーミング全開で弾きまくってた頃の、ダークなスコーピオンズの方が好きだケドね。 でも、ブラックモア親方も、スコーピオンズも、オジーも、みんなポップ化の呪縛からは結局、逃れられなかったんだなぁ…。
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