| ■
普通は |
■
江◯島平八
(3731)投稿日:2024年02月10日 (土) 23時21分
|
 |
ワイの場合は、今のセンター試験に当たる大学共通一次試験に移行する直前の最後の世代で、それまでは各大学毎に独自の一次試験をやってたのよ。 その最終回の、一次試験を受けたクチ。 だから浪人するとシステムが変わって不利なので、ストレートインしたかった。
で、当時のT大の一次試験は、数学・英語・国語・社会・理科各16点ずつ(確か、社会と理科は例えば世界史8点・地理B8点とか、それぞれ2教科各8点ずつ選択するのが普通だが、出来そうなら現場で世界史8点・日本史4点・地理B4点とか3教科から16点分選んで良かったような?記憶。解答用紙の選択した問題のタグを切り取るシステムだから、ハサミ持参。)、合計80点で足切りを争うワケで、結構熾烈だった。
満点が80点で、1点に数百人単位でワーッと入って来るから、ちょっとしたミスりで俊英があっさり落ちる。 大体、6割の48点が一つの目安と言われていた記憶があるが、一応、当時も二次試験結果に一次試験結果は多少はプラスされて最終合否に勘案されてた、と聞いている。
で、ワイは、万が一メガネが壊れたらイカンと思い、替えのメガネを一応持参したら、なんと、試験会場前で待ってる時、なんの前触れもなしにポロッと弦がマジで壊れて、大変に驚いたが事なきを得た。
で、物理はドップラー効果にヤマを掛けていったら、ホントに問2(4点分)がドップラー効果の問題で、 「うわッ、マジで出た!」 と思った瞬間、キレイさっぱり、全部忘れた。 衝撃を受けると頭のシナプスはトぶらしいwww その晩の自己嫌悪が、ヤバかった… (ー_ー;)
なお、二次試験では、数学で4問中の1問、最後に単純な計算間違いをやり、翌日のT大新聞の解答速報を見て愕然としたけど、国語の作文は山口瞳のエッセイが題材だったところ「親孝行、したい時には親はなし」でまとめた会心の作となり、地理Bは独習した本で重点的に扱ってた中国が出たので手応えを感じたりとか、悲喜こもごもだったが、まあ、結果オーライ。
当時は、今の図書館脇に合格者の受験番号を紙で掲示して発表してたんだが、独りで見に行き、その中に自分の番号を発見した時の凄まじい安堵は忘れられない。 で、当時は携帯電話なんか無いから、すぐ前にピンク電話が5台並んでて、列に並んですぐ電話。 ジリジリしながら待ってただろう、母親の弾んだ声も忘れられない。
その直前、地下鉄駅からキャンパスに心臓バクバクしながら向かう途中、コチラに帰って来る高校の同級生とすれ違った。 眼が一瞬、合いかけたんだが、向こうがサッと下を向いた。 何となく察して、ますますイヤな気分になったのは覚えてるんだが、爾後、彼には遭っていない…1年後に合格したと聞いたが… (ー_ー;)
帰宅してから、チャートの世界史と、地理Bの独習した参考書(どっかの大学の教養課程用?)と、英語の「出る単」「出る熟」と、駿台高3コース(世界史と地理B)に週2回通ってた時のカバンを神棚に上げたのは、覚えてる。 数学は科学ナンタラ社?の分野別のモノグラフシリーズをゴマンと買い集めてやってたが、大部過ぎて、神棚に載らなかった。
とかまあ、普通は、そうやって入るモンじゃないの?
|
|