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[176] 題名:2010年度夏合宿勉強「第3章」担当報告 名前:坂倉 尚道(22期生) 投稿日:2010年10月11日 (月) 20時23分
2010年度夏合宿勉強の「第3章」担当の報告を行います。
[目次]
1.基本情報
2.何をやろうとしたか
3.実際にやったこと
4.課題
5.反省点
6.感想
1.基本情報
[日程]
9月27日14:30~17:30,19:30~21:30
[担当班]
肉食主義:坂倉、守内、松井
[担当範囲]
マイケル・サンデル「これからの「正義」の話をしよう」(早川書房)
第3章「私は私のものかーリバタリア二ズム(自由至上主義)」
2.何をやろうとしたか
勉強のプランとして次の@→A→B→Cの順番に行う予定であった。
@レジュメを使って、リバタリア二ズムの理論の理解
リバタリア二ズムの主張の根本にある「自己所有権」「自由」「同意」といった概念を説明。
テキスト内にある「マイケル・ジョーダンへの課税問題」というケースを用いて、「自己所有権」「自由」「同意」を説明。
Aケース(体外受精)を使って、リバタリア二ズムの理論の確認
「体外受精(代理母)の是非」というケースを使って、リバタリアンならどう主張するかを確認。
Bケース(体外受精)を使って、リバタリア二ズムの理論に反論
「体外受精(代理母)の是非」に対するリバタリアンの主張に納得できるか否かで皆で議論。
Cリバタリア二ズムの反論をまとめる。
リバタリア二ズムに対する反論がどういうものかまとめる。
(例)
・お金で買えるものと買えないものがある。(市場の道徳的問題)
・お金がないものにとっては経済的圧力により「強制」になる。(市場の公平性に関する問題)
3.実際にやったこと
実際にはプランの@の段階で問題が発生したためABCは実行できなかった。(※詳しい分析は5の反省点で行う)
先生から助言を頂き、テキスト内にある「マイケル・ジョーダンへの課税問題」に関する
「リバタリア二ズムの主張に対する反論と回答」に対して納得できるか否かを討論した。
以下の@→Aの順番で進行した、
[討論のやり方]
@班対抗で討論(肉食主義vsSeinoism)(けいさん!!vsコバストテレス)
(反論に対するリバタリアンの回答に納得すれば、その回答のどこに納得したのかを明確化する。
納得できなければ、どこに納得できないかを明確化する。)
Aそれぞれ2グループの討論の結果をホワイトボード上に列挙し比較して検討。先生、大野さんからご指摘を頂く。
[討論の結果]
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≪ケース≫
問題:マイケル・ジョーダンへの課税問題
1999-98年のマイケル・ジョーダンへの棒給は、破格の3100万ドルであった。
恵まれない人への支援プログラムのためにジョーダンに課税することは認められるべきか。
リバタリアンの回答
認められるべきでない。再分配のための課税は、自己所有権の侵害であり強制労働と同じである。
課税を認めれば国家もしくは共同体がジョーダンの所有者ということになる。
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[形式]
反論番号:反論内容
○グループ名:リバタリアンの回答に納得or不納得
・リバタリアンの回答のどこに納得したのか(「納得」の場合)
・リバタリアンの回答のどこに納得しなかったのか(「不納得」の場合)
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反論その1:課税は強制労働ほど悪くない
○肉食主義&Seinoism:納得
・強制労働の方が課税よりも悪いからと言って、課税を強制して良いという理由にはならない。(悪さの程度は関係ない)
○けいさん!!&コバストテレス:納得(実際の回答とは異なるが)
・「課税―労働の成果」、「強制労働―労働」どちらも自由を奪う。
反論その2:貧しい者ほど金を必要とする
○肉食主義&Seinoism:納得
・“必要だから”は他人の所有権を侵害して良い理由にはならない。
○けいさん!!&コバストテレス:納得
・“必要だから”は他人の所有権を侵害して良い理由にはならない。
[指摘]
・「他人の所有権を侵害する」の「侵害」とはどういう意味か。⇒「侵害」には「同意なしに」という意味が含まれる。
反論その3:マイケル・ジョーダンは一人でプレーするわけではない。したがって、成功に力を貸してくれた人々に借りがある。
○肉食主義&Seinoism:納得、一部不納得
・プレーに関わる人たちは実際に対価を得ている。再分配の必要はない。
捕.これが“プレー”でなく“社会”となると、対価を得ていないので再分配の必要があるのではないか。
○けいさん!!&コバストテレス:納得
・もし借りを返すなら、借りがある人に配分すべきで、課税は不特定多数に配分することなので間違いである。
[指摘]
・「プレーに関わる人たち」と「社会」の違いは何か。⇒プレーに関わる人たち=契約関係、社会=非契約関係と把握できる。
この回答では、マイケルの成功に力を貸したとされるのは「契約」というごく限られた関係性にある者のみである。
アメリカでの関係といえば「契約関係」ということか。
・マイケルの収入自体は税金によってまかなわれた社会が存在するからこそ、発生するのだと考えることもできる。
社会の成立とマイケルの給与のどちらが先か?
反論その4:ジョーダンは実際には同意なしに課税されているわけではない。民主主義社会の市民として、
自分も従うことになる税法の制定について、ジョーダンにも発言権がある。
○肉食主義&Seinoism:納得
・自己所有権を侵害するような法律を多数決によって決めるのは正しくない。
○けいさん!!&コバストテレス:納得
・同意は万全でないから、個人の自由を取り上げることになるので正しくない。
[指摘]
・「自己所有権」は聖域なのか。“絶対に譲れないもの”は反論たりえない。議論の余地がなくなる。
・多数決は近代社会の大前提である。それを否定するのか。
反論その5:ジョーダンは運がいい
○肉食主義&Seinoism:納得
・才能も自分の一部。よってそこから生ずる収益もマイケルのものである。
○けいさん!!&コバストテレス:納得・。
・運も実力のうち。ジョーダンは所有している才能に対して給料をもらっているので課税できない。
[指摘]
・「運」ではなく「縁」と考える方が正しい。(バスケットボールの才能を持ったジョーダンが
バスケットボール選手の報酬が高い時代に生まれた。その時代を皆で共有している)
・「給料」は才能だけによって発生するのではない。
◎先生の総評
テキスト内にある「反論」を文章のまま理解しようとすると、その「反論」が論理として不完全な場合には切り捨ててしまいがちだが、
著者が「なぜその反論を出したのか」という「意図」を考え、自分で解釈しなければならない。
4.課題
全ての時間を終え、第3章「リバタリア二ズム」に関して以下のような課題が出た。
・「自己所有権」「自由」「同意」の概念の内容・関係性の明確化
(レジュメでの検討が不十分だったため、もう一度詰める必要がある)
・「臓器移植」のケースを用いて、リバタリアンの理論を説明。
(具体的なケースについて説明することで、より深い理解につなげる)
・「臓器移植」のリバタリアンの主張に対して反論。
(自分達が「納得できない点」を出し、それについてゼミで検討する)
・「所得の再分配の拒否」だけでなく「パターナリズム(父親的温情主義)の拒否」「道徳的法律の拒否」についても考察する。
(レジュメで扱ったのは主に「所得の再分配の拒否」である。しかし、後の二つもリバタリアンが拒否する近代国家の政策や法律として
重要であるので考察する必要がある。)
・「効用」「自由」「美徳」の観点からの「自由」を考える
(具体的にそれがどういうことを意味するのかをまず考える。そしてゼミの勉強として扱うのか否かも考える)
5.反省点
(1)プラン@が順調に進まず、ABCが実行できなかった。
プラン@のレジュメで取り扱った「自己所有権」「自由」「同意」の概念の内容、関係性に対する検討が不十分だったため、
他の班はリバタリア二ズムの理論が理解できなかった。また、ケースとして「マイケル・ジョーダンへの課税問題」を
取り扱ったにも関わらず、テキスト内にある「マイケル・ジョーダンへの課税問題」の「リバタリアンの主張に対する反論と回答」
というリバタリア二ズムの理論を理解するには格好の材料を利用しなかったことも原因として挙げられる。
ただリバタリア二ズムの概念の説明を読んだだけでは理解することは難しく、批判的に読むことができなれば深い理解にはつながらない。
批判的に読むための材料として「リバタリアンの主張に対する反論と回答」は使うべきであった。
[プラン@が失敗した原因]
・「自己所有権」「自由」「同意」の概念の内容・関係性の検討が不十分だった。
・リバタリア二ズムの理論を批判的に読む材料がなかった。
(2)やろうとしていたことが「正義」の勉強ではなかった。
結局、第3章の時間を通してやろうとしたことが「テキストの記述を追う」ことと変わりがなかった。
それなら第3章のテキストを全員で読んだ方が良い。何が足りなかったのかというと、「テキストの内容を批判的に読む」ことである。
「正義」の勉強とするには、自分の価値観に照らしあわせて納得できるか否かを考える必要がある。
実際に反論を考える機会がなかったわけではなく、プランBで「体外受精(代理母)」のケースを使って考えるつもりであった。
しかし、よく考えれば、担当章以外の勉強をあまりしていない他の班がいきなり出されたケースに対して反論できるとは考えにくく、
いろいろな意見が出て論点も絞られないことが予想される。つまり担当班が「論点」を出すのが妥当であった。
担当班がリバタリア二ズムの理論に納得できない所を提示し、「ここを積極的に議論したい」と議論の方向性を示す必要があった。
(3)班として伝えたいことが不明確であった。
(2)とも関連することだが、自分達の担当する勉強の中で「これだけは分からせよう」というものがはっきりしていなかった。
「「正義」の勉強とは何か」が分かっていなかったことと、自分達で十分にテキストの内容について十分に検討できていなかったことが
原因である。だからレジュメを使って勉強する時も、レジュメを読んでしまい、自分の言葉で話すことができなかった。
6.感想
今回の夏合宿は勉強時間を班で担当するということになっていましたが、第3章の担当は不甲斐無い結果に終わってしまいました。
準備が大切だということは頭では分かっているつもりでしたがが、十分な準備ができませんでした。
準備が足りなかったという反省はいい加減やめにしたいです。
勉強の内容に関していうと、ゼミの論文で今回の夏合宿で自分の担当した範囲はまだまだ使えないと思います。
最終的には「功利性」「自由」「美徳」の観点からの「自由」というものをはっきりさせない限りは、
ゼミの論文で「自由」の観点からの分析ができないということになります。後期の勉強で詰める必要性があります。
勉強の時間を仕切るのは難しいと感じましたが、できるようになりたいと思いました。
結局、その時間を通して「自分が皆に何を伝えたいのか」がないと、皆を仕切ることなんてできないことを痛感しました。
後期のゼミでその辺の所を意識的にやっていきたいです。