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[291] 題名:2011年度第7回ゼミ活動報告〜先生と5人の仲間たち〜 名前:松井 敬祐(23期生) 投稿日:2011年06月01日 (水) 00時44分
梅雨はどこにいったのでしょう!?
今日は晴れの天気で充実した一日を過ごすことができました。
さ〜そんな天気の下で始まった第7回ゼミですが、
今回のゼミ出席人数は……5人。
しかし、前回での報告で書かれていたのと同様に、
先生と密着して勉強することで、
先生の知識、情報をより一層得ることができました。
一日一日を無駄にはせず、“この日はこれを学んだぞ!!”と、ひとつでもいいので、
自分で得て、大学生活を過ごしていきましょう。
それでは、2011年第7回三戸ゼミナールの活動報告に入っていきましょう。
≪目次≫
T.基本情報
U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
V.本の交換会
W.刮目
X.感想
Y.今日イチT.基本情報
【日時】5月31日(火)16時40分〜22時30分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、(坂倉)、(清野)、(小林)
<23期生>市川、衛藤、松井
出席率:55%(5/9)U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
前回に引き続き、
三戸公『現代の学としての経営学』(文眞堂選書、1997)を用いて、
勉強を行っていった。
まず、前回に出された課題の内容を確認する。
@著者(三戸公)の不満は何か?(1章全体を読んだ上でドラッカーの位置づけを考える)
Aドラッカーの人間観・企業観・管理観をふまえてこの文章のテーマを自分なりに考えてくる。
B焦点の一文はどこか?
この三点について議論し、中村さんと近藤さんのレジュメを参考に、かつその場で出てきた当たらしい意見とを検討していった。1.三戸公の不満とは?
主に第1章「経営学の転生を求めて」全体から検討。
まず、中村さんと近藤さんの内容を確認してみる。
(中村さん)
⇒三戸公のドラッカーに対する不満とは、
ドラッカーが「諸個人の幸福」を追求する見事な規範を見出しながらも
「それにそむく現実」について語らない、
「経営の持つ悪」に対しての寛容さにある。
(近藤さん)
⇒三戸公によるドラッガー理論批判
「われわれはドラッカーの言説に耳を傾ける必要を積極的に認めながらも、
彼の理論だけで彼の望みえがく社会、組織が現実のものとなるとは到底思えない。
彼の理論は、あまりにも選択の自由・意思を望むあまり、
それによりかかり過ぎている。E.フロムも同じく、自由を選択、
責任ある選択に求めながらも、現代社会を自由の重さより大衆が逃げ出し、
無責任な管理者・権利者の蹂躙にまかされる理論を説いているのではないか。」
(p.21 ll.3-7)
つまり、三戸公は、自由を重視し過ぎることで無責任な管理が生れるという欠陥を、
ドラッカーが取り上げていないことを指摘している。
ドラッカーの「人間の本性は自由だ」という人間観の重視に疑問を挙げた。
≪三戸公の問題意識≫
組織社会の真っただ中に生きる我々。
人間の主要な社会的行為は巨大なピラミッド型の組織で持って営まれるに至り、
ピラミッド型組織対個人、個人と集団の問題が公害などといったかたちで、
巨大な社会問題となっている。
管理ないし経営は、諸個人の幸福をめざしながら、
それにそむく現実を果たして克服できるのであろうか。2.ドラッカーの人間観・企業観・管理観
【人間観】
(引用部)
「自由とは責任ある選択にほかならず、それは解放というよりもむしろ義務であり、
重く苦しいものである。つまり、人間は社会的行為・個人的行為において意思決定し、
責任をもたなければならぬ。そこに、人間の人間としての存在の格があり、
責任のない人間なんか人としての格をもたぬ人でなしだと把えるのである。」(p.15 ll6-8)
⇒人間の本性は「自由」、つまり「責任ある選択」である。
この“人間観とは人間の価値そのものである。
このドラッカーの【人間観】については、ゼミ生の各々の意見が合致した。
【企業観】
この企業観こそ、問題があるのではないかという先生のご指摘により、
きっちり検討する必要があるとなった。
つまり、この三つの観点(人間観・企業観・管理観)の中で、
企業観が最も重要な観点であることが指摘された。
また、このドラッカーの企業論の考えになるからこそ、
次の管理観につながっていくのだと指摘された。
では、実際にこの【企業観】に対して、ゼミ生の考えについてまとめてみる。
(引用部)
「この大量生産の原理=組織の原理が代表的・典型的なかたちで展開されつつあるのが
産業組織であり、企業である。企業は、なによりもまず、経済的機能を果たす合目的的存在であり、
そのようなものとしてつくりあげられたものである。
だが同時に、企業はそれにつきるものでない。それに、命令・服従関係、規則(法)
をつくり、それを執行行政し、違反を罰する裁判という統治的機能をなす制度であり、
さらには、諸個人がその中で人間関係を結び、地位を得、働き、生きがいを見出して
ゆく場としての制度であると把握する。」(p.14 ll.6-11)
上の部分を近藤さんは引用し、レジュメに載せていた。
中村さんも同様に、上の引用部を用いて、企業観の“三つの要素”を挙げている。
企業は、大量生産の原理=組織の原理が代表的・典型的なかたちで展開される産業組織。
@なによりもまず、経済的機能を果たす合目的的存在である。
A命令・服従関係、規則(法)をつくりそれを執行行政し、
違反を罰する裁判という統治的機能をなす制度
B諸個人がその中で人間関係を結び、地位を得、働き、
生きがいを見出してゆく場としての制度
これらの企業観に対して松井は次のこともドラッカーの企業観の要素ではないか、
と指摘した。
(引用部)
「企業とはなにか。それはなにを目的とした組織体か。
これがまず把らえられねばならぬ。それは、顧客の創造であり、
顧客の創造はマーケティングとイノヴェーションによって可能となる。」(p.16 ll.5-6)
この【“顧客の創造”の要素を入れるべきという松井案】と、
【これは入らないのではないかと考える中村・近藤案】で分かれた。
そこで、この“顧客の創造案”の要素がドラッカーの企業観に含まれるのかどうか、
について次回のゼミまでに検討することとなった。
また、先生のご指摘より、このドラッカーの企業観が書かれている一連の中において、
疑問に感じられることが二点あるとし、
この二点についても検討してくるという指示が出た。
【管理観】
(中村さん)
⇒企業は目的実現のために機能体であり、その目的実現は人間によってなされる。
だから、人間を人間として生かし作用される、つまり人間の自由を確保することで、
目的実現に対して有効的となりうるであろう。(p.15 ll.16~p.16 l.2を用いて)
つまり、これは〈目標管理〉とう要素である。
一方、近藤さん、衛藤はこの〈目標管理〉という要素とともに、
〈分権制〉という要素も含んでいる。
この分権制とは、
@目標達成に役立つことが第一。
A階層を可能なかぎり少なくしなければならない。
B管理者の育成と彼らの能力テストを可能にするものでなければならない。
(pp.17 ll.15-2を用いて)
である。
議論の結果より、この〈分権制〉も含まれるのであるという見解になったが、
この管理観は企業観と密接に関係したものであるので、
上で述べたように企業観を深く検討してから再び考えるということとなった。3.焦点の一文はどこか?
勉強時間的にこのBにまで辿りつけず、次回までの持ち越しとなった。
以下のように、今回の勉強では主に“ドラッカーの企業観”に着目した。V.本の交換会
今回の本の交換会のテーマは『スポーツ・勝負』でした。W.刮目
作成中X.感想
作成中Y.今日イチ
(削除キー:0531)
【松井 敬祐(23期生)】
勉強する際にも、本を読む時でも、
“わかったこと”と“わからなかったこと”を分ける。
それが学ぶことであり、“わかる”ことであるのです。
今日の勉強の時間でも、どこがわかっていて、どこがわからないのか、
あやふやだったので、スムーズに進むことができませんでした。
途中でここまでは異論ないが、ここは理解できないと明確にして、
密度の濃い勉強時間を味わっていきたいです!!
【市川 宗近(23期生)】 6月2日 15時08分
去年扱った正義の問題。今回の震災ではどのように使うことができるのか。
一例として、以下のことが先生からあげられました。
被災者たちのことを考えて自粛しろ というのは 共同体主義
自粛なんて人から言われてするもんじゃない というのは 自由主義
自粛をやめて、お金を使わないと経済が… というのは 功利主義
去年勉強したことを活かすというのは面白い、と感じたのと同時に、
どれがいいのか、と聞かれると・・・。詰まってしまいます。そういう問い自体が正しくないのでしょうか。
では、せっかく分けたこの3つをどう使えばいいのだろうか。今の私には分かりません。
みなさんは、どう思いますか?
【中村貴治(20期生)】
〔安かろう、悪かろう〕
全国にチェーン店を展開していた、焼き肉屋えびすが食中毒による死者を多数出している。
かつては、「安かろう、悪かろう」であり「安いものは何か悪い点があるのではないか」
と想像力を働かせるのが、“大人の知恵”であった。
しかし、効率化が進み低価格・高品質が当たり前となり、現在では「安いが一番」となって、
そこに潜む「悪かろう」に対する意識が希薄となっている。
人は過つという当たり前の人間理解にもう一度立ち返ることが、必要ではないだろうか。
>市川君
確かに難しいですね…。「どれがいいのか」と考えると、確かに思考停止になる気がします。
あくまで私の考えですが、重要なのはそのフレームワークを使って思考できるということ自体ではないでしょうか。
「自由主義」を知らないと、自分が自由主義的な考え方をしていても、
そこにどんな問題点があるのか、どんな反論がありうるのか、わからなくなってしまいます。
そういった意味では、「視野を広くもつ、思考のリーチが広がる」といった効用があるかもしれません。
そして、自分で考える時には、そういったフレームワークを踏まえながらも、過度にとらわれず、
あくまで「自他の納得できる答え」を追求していくことが肝要のように思えます。
その結果として、「ああ、自分は功利主義的なんだ…」などといった発見はあるかもしれません。
あまり積極的に自分をカテゴライズしても、視野狭窄になってしまう気がします。…どうでしょうか?
【市川宗近(23期生)】
>中村さん
中村さんありがとうございます。
自他の思考を「○○主義」として、客観視することで、
自他の思考を再考することができるということですね。
なるほど!!言われてみれば、その通りです。
(先生もそのようなことをおっしゃられていたように思います。)
松井の“今日イチ”にもあるように、分けること、それ自体が、
私が想像していた以上に大きな学びであることを、再認識しました。
先生が今度、正義と経営学についてお話する機会があるとおっしゃっていたので、
どんな話になるのか興味があります。(概要は前回少しお話されていましたが)
ドラッカーをやっていくうえでも、正義について色々と考えていくと
楽しそうですね!!
【衛藤雄介(23期)】
“今日イチ”は全て書き込み終えているという自信があったんですが、ここだけ抜けていたとは…。
この回のゼミで先生から言われたことで印象に残ったのは、
「書き込みの時間に注目すること」でした。
“書き込みをした後に、自分へのレスが何時間後に書かれたものか調べることで、
相手の姿勢を知ることができる。”
この言葉を受けて、自分はその後レスの時間に注目した際に、
先生や先輩・OBの方の掲示板での姿勢に何度も驚かされたのを覚えています。
ですがこれは同時に、自分がレスをする側に回ったときにその姿勢を表すことも意味します。
自分も後期以降において後輩の書き込みに対しレスを行う際、
先輩としての姿勢をしかっりと示せるようになりたいと思います。