候文で手紙を書こう
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岩波文庫の徳富蘆花著「謀反論」は、候文の教科書の恰好の一と存じ仕り候。 「天皇陛下に願ひ奉る」、「願はくば大空の広き御心もて、天つ日の照らして隈なき如く、幸徳等十二名をも御宥免あらんことを謹んで奉願候。叩頭百拝」 謀反論は、周知の如く、大逆事件直後の明治四十四年二月一日に第一高等学校に於いてなされたる蘆花の講演にて候。 本書には蘆花の大正三年の日記も収録され居り候。 大正三年六月三日の日記より、 「血族を余は捨てた。彼等の一人として余を憎まぬ者はあるまい。進んで之を捨てながら、いつまで未練の秋波を彼等に送るのであらう乎。 人生は短い。余も本当の一本立になって、此世に来た甲斐には置土産の一つや二つは遺さねばならぬ。余が子余が女は余の著作である。」 |
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[15]2011年01月21日 (金) 13時49分 |
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新人物往来社より「古写真に見る明治人の肖像」なる文庫本、出版せらりたり。 「歴史読本」編集部の編にて、僅か700円也はお買い得。 各分野にて活躍したる明治時代の代表的人物220人の大判の肖像写真を眺むるに、輝ける時代を支へたるは輝ける人々なりきと改めて感慨深き思い之有り。 彼らこそ、まさに候文を駆使したる世代と言ふべけれ。 彼らの遺せし書簡、日記の類、現代日本人にとりても学ぶべき点多々ありと信ず。 |
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[14]2011年01月20日 (木) 13時44分 |
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満年齢ならば37歳の新島襄(1843−1890)が17歳の徳富蘇峰(1863−1957、同志社にて新島の教え子なりしが、学校内の紛争により退学となり東京に上京したるところ。)に宛てたる1880年6月の手紙より; 『東京にはサタンの好機会ありて少年生徒の勤学を妨げるもの多々あり候へば、その悪しき風俗中にあるも、意を鋭にし、志を励まし、高く白雲の上に出るこそ真男子、真丈夫と申すべきなり』 『小生輩の如きは既に正午を過ぎし者、君等の如きは今輝き登る太陽の如き者』 『何卒些細の事のために大望を失するなく、路に当たれるテンプテーションのために大志屈するなく、今日にあらずして他年世を救ふの大目的を立て、何とかそれを達して、上はもって上帝の聖旨を賛成し、下はもって塗炭にまみるの人民を扶助し賜へ』 |
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[13]2011年01月14日 (金) 11時44分 |
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鴎外生誕150年を2012年に控え、鴎外と同じ津和野出身の安野光雅画伯が「口語訳『即興詩人』」を著しました。 (山川出版社、2010年11月刊、600ページ、1900円+税。) 鴎外の文語に魅せられた安野氏による渾身の口語訳で、若い世代が鴎外の「即興詩人」を読む際の恰好の参考書となることでしょう。 安野氏の「あとがき」より; わたしが子どもだった昭和初期の時代にはまだ文語文の世界がありました。学校で習う唱歌の「我は海の子」などはいい例です。 ・・・文語文の描き出す世界は、理屈抜きで心に響くものがありました。 |
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[12]2011年01月07日 (金) 13時58分 | ||
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安野氏の即興詩人に関する著作に就きては、「即興詩人の旅」(講談社プラスアルファ文庫)を第一に推薦申上げ候。 (商品説明より) 画家が「無人島に持っていく一冊」と公言してはばからない森鴎外訳の『即興詩人』。 童話作家アンデルセンの自伝的名作を、百年前に日本に紹介した鴎外の雅文体の美しさに魅せられ、波乱万丈のラヴ・ストーリーに胸躍らせて、物語の舞台のイタリア各地を巡った紀行画文集。 “声に出して読みたい”原文をたっぷりと引用しながら、ローマから始まる『即興詩人』のストーリーと、画家の紀行文と美しいスケッチと。 一冊で3回楽しめる本。 |
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[22]2011年02月01日 (火) 16時52分 |
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新歳之慶千里同風、目出度申納め候 先以て益々御機嫌能く御超歳遊ばせられし御儀と遥想恭祝仕候 以上、実は頼山陽の年賀状の引用にて御座候処、我が意をも尽くし居り候。 本年も何卒御指導被下度宜敷御願申上候。 |
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[11]2011年01月05日 (水) 15時11分 |
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何となく偉そうに見えるのが利点! 今年も残り少なくなりました⇒今年も残り少なくなり候。 単純にです、ますを「候」に変えれば候文・・・・ |
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[10]2010年12月21日 (火) 10時39分 |
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前略 遂に待望久しき「文語の苑」第二ホームページ「初めて書く文語」開設せられたるは誠に悦ばしく存じ仕り候。その主たる目的は団塊の世代以下の人々に気楽に文語を書く場所を提供することに有之候。其処に二つの掲示板、すなはち「候文で手紙を書こう」及び「メールで文語」を用意致し候。広く活用せられんことを請ひ願ひ居り候。投稿に際しての必須記載事項は名前、タイトル、本文のみにて、メールアドレスの記載は必ずしも要すること無く御座候。如何なる事柄にても差し支へなく、安心して投稿されたく存じ候。怱怱不一 | ||
[9]2010年12月15日 (水) 10時08分 |
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あな嬉し。斯かるホームページの出現を長らく待ちし。 | ||
[6]2010年11月19日 (金) 17時06分 |
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拝啓 秋冷日に加はるの候、益々ご清安のことと拝賀し奉り候。陳ぶれば此度は「候文で手紙を書く」の課題ありと承り候。早速試みに、夏目漱石、正岡子規、新島襄、福澤諭吉(以上、岩波文庫)、渋沢栄一(伝記資料別巻二冊)、高浜虚子(全集第十五巻)、徳富蘇峰(後藤新平との往復書簡ほか)らの書簡集を手許に打ち並べ候文の実例学びたり候間、小生の理解仕り候処にては、皆勝手気ままに表現したる印象なきにしもあらず。然らば可能なる限り多くの実例を兎も角も先づ身につけ、自然に口を付きて出るほどに習熟するのほかは之無しと覚ゆる次第にて御座候。頓首 尚以、大町桂月編の「作例軌範 文章宝鑑」(大正十四年刊、昭和五十四年復刻)及び「作法文範 書翰文大観」(大正五年刊、昭和五十五年復刻)は復刻本を古書にて蒐集したるところなるが、いづれも有用と思料仕り候。 加之、著名人の年賀状、候文の教科書の一つと存じ奉り候。かの本居宣長は、「新歳之御慶御同前万福目出度申納候」にて始まる年賀状を出し候。また、頼山陽は、「新歳之慶千里同風、目出度申納め候」との年賀状を出し候。さらに、坂本龍馬は、「改年賀事御同意御儀奉存候」と桂小五郎あての書簡に認め候。候文は永らく先人たちに用ひられたる文化遺産なれば、後世に継承していくべきものと存じ仕り候。 |
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[4]2010年11月18日 (木) 17時58分 |
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テスト投稿です。 | ||
[1]2010年11月18日 (木) 15時02分 | ||
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返信です | ||
[2]2010年11月18日 (木) 15時15分 |