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新・癒しと語らい掲示板

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この掲示板は「 自死遺族の方 専用の掲示板 」です。

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<自死遺族 の 集い>
青い空の会 <東京> は閉会いたしました。
●青い空の会<東京>は100回をもちまして閉会しました。
(現在、年数会の開催を検討中です)
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土曜日のつどい・水曜日の集い <自殺防止センター大阪> について
●毎月第1土曜日〈1・5月は休会〉/第3水曜日の開催です
【必ず】ここをクリックして、HPで詳細をご確認下さい。
わかち合いの会「千の葉っぱ」<千葉>
●毎月第4日曜日の開催です 14:00〜16:20
【必ず】ここをクリックして、HPで詳細をご確認下さい。
りんどうの会 <盛岡> について
「りんどうの会」の日程、申し込み方等の詳細などは、下記のHPで
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わかちあいの会 「風舎」<神戸> について
●毎月第2日曜日の開催です 13:30〜16:00
【必ず】ここをクリックして、HPで詳細をご確認下さい。

<青い空の彼方【いろいろ】掲示板>
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「悲しみの詩 掲示板」
(遺族限定/返信レス禁止)
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「怒れし炎 の 掲示板」
(遺族限定/返信レス禁止)
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小さな幸福を感じながら・・・
「小さな 幸福 掲示板」
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医療のあり方について
「医療のあり方掲示板」
(遺族限定/返信レスOK)

自死と過重労働
「自死と過労 掲示板」
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[2671] 「耐える日々 答えはみつからない 時間だけ過ぎてゆく」 もち
−−2023年07月22日 (土) 05時10分 −−女性 / 30歳台

自死遺族ではないですが3ヶ月前母が倒れました
海辺で倒れ瀕死の状態でした
私はもう助からないと思いました
ただ今は左半身が上手く動かずリハビリの日々
今年齢65あたりです
最後に母と出かけたのは東京
あの日がまるで昨日の事のようです
もしかするとあの日が最後の思い出になっていたかもしれない
と思うとこんなに当たり前だった事が失われるのは一瞬の事で
まだまだ心が追いつかない
周りの人にこの辛さが伝わらない
ですので色々探してここに辿り着きました
別れの日は来る当然誰にでも
でも普通に生きていたらそんな事なかなか考えないものだと思う
私もそうで今自分が壊れて消える事を考えるようになった
ここでは自分は場違いかもでももう苦しくて
ありのままを吐き出したくて
取り繕う日々に疲れました


[2670] 「あれから10年経ちました」 源じい
−−2023年06月22日 (木) 19時09分 −−男性 / 60歳台 / 子 / 10年以上 / 中部

長男と次男を続けて自死で亡くして10年経ちました。
あの頃ここにきていろんな方に励まされ生きる力をもらいました。
本当にありがとうございました。何とか生きていますあの頃は生きていくなんて考えられなかったし、何度死のうと考えたことか。
でもここにきて皆さんも辛いだろうに、一生懸命励ましやら意見やら本当にありがとうございました。これからは恩返しではありませんが。他人のためになる事をしたくて頑張りたいと思います。
今はまだ食事提供の団体に寄付くらいしかできませんが、自分で何かできないかいろいろ準備しています。生きていく力をありがとうございました。生意気かもしれませんが皆さんもどうか生きてください、辛いし忘れる事なんかできませんが、勇気をもって前へ進んでくださいお願いします。


[2669] 「1月23日」 深呼吸
−−2023年01月23日 (月) 20時28分 −−

一年で一番嫌いな日、やるせない日、感情が荒れ狂う日、だから何も考えず、ただやり過ごす日。まだ手元に置いてる四角い箱は、私と一緒に誰かに納めてもらうよ。
一年で一番せつない日だよ、嫌だ。


[2668] 「17年ぶりです」 レインボー
−−2023年01月02日 (月) 11時37分 −−男性 / 50歳台 / 弟 / 10年以上 / 日本国内

弟が突然、亡くなり17年目になりました。
当時、顔色がおかしいと感じていたのに声をかけず弟を救えなかった自分を責め、生きる気力も失いましたがここで救われ、何とかメンタルを維持できました。

時間が過ぎ、苦しみ・辛さも少しは落ち着いてきましたが、思い出すと当時の気持ちがまた蘇り気がおかしくなりそうです。。

直後に生まれた子供も高校生になりました。悲しんでいる余裕もないと思える程、子育てに必死で子供に救われました。子供を育てるまでにはまだ逝けませんけど子育てが終われば「早く迎えに来てほしい」といつも思っていました。

苦しい時、いつも思うのが「いつか、自分も亡くなる、それまで会えないだけでいつかまた、会える日がやってくる」と考える様にしています。「しばらく会えない」だけ。ただ、子供の事を考えると同じ思いはさせたくないので、自死だけは絶対にできない。

現実は、毎日弟を思うと前に進むのも大変で心の葛藤を抱えて、生きていくのも辛いです。辛い時はこのサイトにきて「自分だけではない、同じ思いの人がいる、皆必死に生きているんだ」と自分に言いきかせています。

このサイトに感謝です。


[2666] 「大好きだよ」 むーぞう
−−2022年12月02日 (金) 12時37分 −−女性 / 50歳台 / 子 / 1年以内 / 北海道

3月に次男が先に逝ってしまいました。きれい好きだった次男の部屋は、埃がかぶり、食器も洗っていませんでした。鬱だったと思います。胃潰瘍にも泣ていました。後からわかりましたが毎日のように職場では暴言、嘲笑。休めるはずの休日も上司からの呼び出し。
Twitterには宝くじ当たったら辞職、と書いていたのに。ばか!千円でも当たれば当たりなんだよ。辞めてよかったんだよ。中学の卒業時に「自分にかかったお金は返すから」と言ってたから、やめられなかったのかな。
楽しい大学時代を過ごしていたんだね。友達がいまだにお参りに来てくれる。笑いながら親の知らない君のこと話してくれるよ。ありがたい。みんないい青年。
その中にいたんだね。
お母さん、嫌がってもいいから大好き!って言いまくればよかった。職場のある街にも遊びに行けが良かった。
頑張ったね。最後はつらかったから、この方法しか思い浮かばないほど、追い詰められていたんだね。ごめんね、何にも知らないで。

お父さんとお母さん、責任を取るべき人にはきちんと取ってもらう。優しい君だから「蒸し返さなくていい」というかもしれないけど、大事な君を私たちから奪った人は許せない。こんな感情を、兄やあなたが大事にしていた妹に見せていいのか、迷ったけど親として最後にできる事、させてね。
そのために苦しくて感情の揺れが激しくて、薬を飲まないと毎日を過ごせないけど、頑張らせてね。


[2665] 「本の紹介」 烏兎 MAIL
−−2022年11月08日 (火) 17時32分 −−男性 / 50歳台 / 姉 / 30年以上 / 東日本

小学六年生の冬、7つ離れた姉を自死で失くしました。今から40年以上前のことです。
でも、ずっとずっと姉のことを思い続けています。時に苦しく、時に懐かしく。
数年前、ある本に出会いました。書名には「親と」とありますが、身近な人を亡くした人に「読むクスリ」になるような本です。
著者、訳者、監修、皆、グリーフ・ケアの専門家です。
この本を読んで、少し過去の受け止め方が変わりました。
興味を持ったら手に取ってみてください。

親と死別した子どもたちへ - ネバー・ザ・セイム 悲嘆と向き合い新しい自分になる

https://booklog.jp/item/1/4333028191

下の感想文に本のサイトへ続くリンクがあります。


[2664] 「小僧の手紙」 小僧
−−2022年10月06日 (木) 19時51分 −−

こんばんは。

小僧です。と言ってももう20年ほど前に

こちらにお邪魔していました。

当時を知る方はもう

こちらにはいらしていないと思いつつ

今日は投稿してみたくなりました。


お久しぶりです。


私は、ここにいます。



[2663] 「妹よ」 クマ
−−2022年04月12日 (火) 18時17分 −−男性 / 40歳台 / 妹 / 10年以上 / 関東

自殺した妹よ。
いなくなってから今年で17回忌だな。
お前とはそんなに仲良くしてやれなかったけどいなくなってから大切な存在だと気づいたよ。
遺品を見てたら思わず涙が出てきたよ。
母と同じ亡くなり方して可哀想な子だよ。
生きてりゃ40歳になるのにな。
俺は体調整えるまで13年かかったよ。
今でも精神薬が欠かせないよ。
いてくれれば回り道せず生きてこれたのに。
俺も自殺未遂したよ。
死にたかったよ。
家族いないんだなって思うと寂しい。
毎日早く死なないかな朝が来なければなとか考えるよ。
生きてて辛いよ。
早く迎えに来てくれよ。


[2662] 「会いたいよ」 いつかきっと
−−2021年12月01日 (水) 01時25分 −−女性 / 60歳台 / 子 / 10年以内 / 中部

息子が自死して7年半、妹が自死して4年半が過ぎました。
なんで、なんで、
息子が居なくなって、哀しみと苦しみの中必死に生きてきたのに妹まで居なくなるなんて。

時間が経っても哀しみは変わらない。
変わらないどころか恐怖感が増してくる。

ふとした時に思い出し涙が止まらない。

毎朝起きて写真見て、あー本当に居ないんだと、
現実を突きつけられる。

そして、同じ思いを年老いた父親がしてると思うと、可哀そうで可哀そうで苦しいです。母親は3年前病気で亡くなりました。
父親は辛いはずなのに普通にしてくれてる。
私も父親の前では頑張って普通にしてる。

分かってる。
亡くなった人は残された人が哀しむ事を望んでなんかいないって事。

だけど、だけど、やっぱり哀しい。
会いたい。


[2661] 「何年かに一度、こちらにお邪魔します。」 宇宙の星候補
−−2021年11月27日 (土) 03時09分 −−男性 / 50歳台 / 複数 / 30年以上 / 関東

私は約35年ほど前に父を、約10年前に兄弟をそれぞれ自死で亡くしております。(家族で遺っているのは私と母だけです。)
私が若い頃に父を亡くした直後はあまりに突然で何も感じなかったのですが、悲しみは時間が経つにつれて深まりました。それから何年も悲しみを引きずっていたある日、兄弟が突然亡くなりました。(予兆らしきものはあったようですが、離れて暮らしていたため、自分は気付いていませんでした。)兄弟が亡くなったことは自分にとって人生最大の悲しい出来事で、父が亡くなった悲しみをも吹き飛ばしてしまいました。(半笑)

もちろん愛すべき父であり、兄弟だったので、悲しいことは悲しいですし、今でも大好きです。二人の声もよく覚えてます。生きていてくれたらと思いたいけど、残念ながらそれはもう望めません。
しかし最近少しずつ立ち直れつつあるように思います。一番の理由は、とにかく時間が経ったことが大きいと思います。そして他にもそう思える理由が、3つあります。
@『もう充分悲しんだ。散々悲しんだ。もし自分が死んだ方側だとしたら"もう充分悲しんでくれた。もうそこまで悲しまなくっていいよ"と思ってもらえそうなほど悲しんだ。』と自分自身で思えるようになった。
A散々悲しんだ訳だから、『死んだ方側からしたら"もう充分悲しんでくれた。ありがとう。後はお前の人生を生きて行ってくれよ"と思ってくれているんじゃないか』と自分自身で思えるようになったこと。
B若い頃に好きでハマっていたバンドがいつの間にか活動休止していたのですが、数年前に音楽雑誌のインタビュー記事で久々に見かけ、感銘を受けました。
そのバンドのボーカル兼ギターの人がインタビューを受けていましたが、そのバンドのベース担当者が亡くなっていたようです。(死因はちょっとわかりません。)
ボーカルからするとベース担当者が亡くなったことはとてつもないショックで、バンド活動は当然休止されたそうです。
「あいつは毎日一緒に居たし家族も同然、兄弟以上の仲だった。亡くなってからもあいつの事を考えない日は一日たりともない」と書かれていました。また「いつかはオレも死んで骨となり、塵になる。あいつの塵とオレの塵が、永遠の未来、宇宙の何処かで交差し、再び出逢えることを確信している」といったようなことも言っていました。これは半分ファンタジーで、半分現実でもあると思いますが、自分もいつかは亡くなった二人と再会出来るかもと思えるようになりました。
幸か不幸か、今の自分には妻と子供がおり、何とか今後も支えていかなくてはなりません。(まだまだ辛く苦しい時もあるのでさっさと死んでしまいたい時もありますが。そう思う頻度は少しずつ減ってきたと思います。)
自分は社会的に成功してるのわけもなく、どうにかこうにか、何とかやってきている程度です。

ただ昔と比べるとホンの少しだけ日本も、他人のプライベートに対して少しは配慮されるような社会になってきたかと思います。(相変わらず配慮しない人もいますし、子供はズケズケと他人を傷つけるようなことを言ったりもしますが...)

ここまで読んで頂いて、ご不快な思いをされた方には、本当に申し訳ありません。
悲しみのさなかにいらっしゃる方には、何のアドバイスにもなっていないかもしれないです。
ただ、同じような悲しい思いをされている方が他にも沢山いらっしゃると知ることで、自分だけじゃないと思えたりもします。

少しでも、世の中全体が『困っている人もいるだろうから、お互い助けあおうよ』といった優しい空気感の社会になってほしいと願っています。


[2660] 「後悔」 よしの
−−2021年10月29日 (金) 20時28分 −−女性 / 50歳台 / 子 / 2年以内

一年半前、娘(20歳)を自死でなくしました。
はじめは娘がいなくなって淋しい、悲しいといった感じでしたが、
今は後悔と罪悪感でいっぱいです。
娘はあるイベントのスタッフでしたが、そのイベントの資料を失くしてしまって、それを苦に自死を選んでしまいました。自死をする前、今思えばたくさんのsosがありました。資料を失くして考えすぎて自分を責めて体調不良になっていたのだと思います。見て見ぬふりをしていました。悩みを聞いてあげたり、心療内科に診てもらってあげたりしていたらよかったと後悔しています。それから娘はODで亡くなったのですが、その時間が晩御飯やお風呂、睡眠にあたる時間あったのです。普段なら、「お風呂は?」とか「おやすみ」とか声をかけていたのですが、その日に限って私はとくに疲れていたのではないのですが先に眠ってしまったのです。一言声をかけていたら、本当に助かる命でした。娘が薬を飲んでいるとき、私はリビングでくつろいでいたのです。そのことが本当にかわいそうでかわいそうで、辛いのです。
死にたくなります。こんなに気が狂いそうに悔やんで苦しんでいるのに死にません。私の苦しみなんて、自死した娘の苦しみに比べたら本当に大したことないんだな、と思うと娘が不憫でなりません。
娘には、ただ幸せになってほしかった。それだけでよかった。
娘を見殺しにした母親として、生きる覚悟がいまだにできていません。すごい長文、ごめんなさい。


[2659] 「ふぅ‥」 深呼吸
−−2021年08月01日 (日) 13時06分 −−女性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 関東


何をどうしたところで心は晴れないです。
9年目になりますが、どうにもなりません。
私にしてみれば、強制的に別の人生へとワープさせられたようなもの。
望んだ人生ではないのに進めと言われているようなもの。
ただ諦めるために生きているようなもの。
肉体と分離したタマシイは、痛みとか悲しみのない世界に戻っていくらしいので、分離できない私がいつまでも悲しみに囚われるのは、仕方のないことなんだと思う。
薄らいでいくものと、より深まっていくものと‥あなたは19才のままだよ、これから先もずっと。


[2658] 「母に会いたい」 末っ子 MAIL
−−2021年06月12日 (土) 21時45分 −−女性 / 40歳台 / 母 / 2年以内 / 関東

自殺した母に会いたいです。
もうすぐ2年になります。会って謝りたい、抱きしめたい。ただただ寄り添ってあげれば良かった。不眠の母にあっさりと鬱病の薬を出した医師に同じ苦しみを味合わせたい。
誰かのせいにしたい自分がまだいます。守れなかった家族の責任なのに。理解が足りなかった自分のせいなのに。


[2657] 「14年たちました」 ゆういちろう
−−2021年06月07日 (月) 18時29分 −−

 息子が自死して14年、何とか時が経ちました。
初七日が経たないうちに,ここにたどり着きました。
絶望のさなかに、この掲示板で娘さんを亡くされた福井県の
方と知り合いメールをして頂きました。

すがるものも無く、心が壊れてゆくのを助けていただきました。

今思うことは、子供を亡くすことは確かに苦しく悲しい情けない
しかし残された家族、生活も守らなければならない事が辛くて
混迷しました。

生きていれば色んな事に出くわしてしまいます。

そして今を生きるために全力を尽くします。

こんな辛い亡くなり方した息子は勇気ある立派な男です。
私わ自死する事はできません。

辛い時は何時も息子を思い頑張ってます。

息子の死で、きりがなく書き込む事がありますが、
ただ生きていれば普通の近さにたどり着く時がきっと来ます。

いつか又会えると確信してます






[2656] 「お礼」 WS
−−2021年06月06日 (日) 23時05分 −−男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 関東

あと、当時誰にも言えないことをここの掲示板に
泣きじゃくりながら長きに渡って書き込んでいたのを思い出します。
気がおかしくなりそうなところを助けてもらったと思います。
ありがとうございました、たいへん助かりました。


[2655] 「大きな幸せ」 WS
−−2021年06月06日 (日) 22時55分 −−男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 関東

何年かぶりの訪問になります。
7年半前に当時16才の娘を自死で亡くしたものです。
今でも毎日、娘の事を思い出しますが、ほとんどは楽しかった
たくさんの思い出です。
ちょっとしたボタンの掛け違いでこのような事にもなりますが、
決まっていた運命と思い受け入れようと今も奮闘中です。

大きな幸せを失うことが、これほど悲しく虚しいことかを
思い知らされましたが、
その大きな幸せに巡り合えた過去には感謝しかないです。
巡り合えなければこんなに悲しいめにあうことはなかったのでしょうが、
だからといって、巡り合えなければよかったとは一つも思いません。


[2654] 「お久しぶりです」 はな
−−2021年06月06日 (日) 02時07分 −−女性 / 30歳台 / 母 / 5年以内 / 東日本

4年ぶりに書き込みさせていただきます。
4年前の5月に、母を自死で亡くしたものです。

あの頃、悲しみと後悔で押しつぶされそうな中、家族や周囲には打ち明けることができずにいた気持ちを掲示板に書き込むことで、とても救われました。

今もまだ、ふとした時に思い出しては涙が止まらなくなったり、母がいないことは夢ではないかと感じてしまうことがありますがなんとか毎日を生きております。

当時書き込みにご返信くださった皆様、いかがお過ごしでしょうか。
やさしい皆様と、大切なご家族が穏やかに過ごされていることを願います。


[2653] 「気づけなくてごめんなさい」 春待星
−−2021年03月18日 (木) 14時24分 −−女性 / 50歳台 / 子 / 2ヶ月以内

気持ちを言葉に表すのが苦手ですが、今の心境を吐き出したくて投稿しました。

息子が自ら命を絶って2ヶ月が経ちました。
中陰法要も終わり、色々な手続きも終わりましたが気持ちは2ヶ月前のままです。
毎朝目が覚めると、今日も生きているのかと思う毎日です。
主人は未だ遺影の前で涙し、辛い辛いと言うのが口癖になりました。
両親二人が泣いてばかりでは、残された弟が不憫なので、私は人前では泣けません。
私もすぐにでも息子の側に行きたいと思いますが、残された弟のことを考えるとせめて死んだ息子が成しえなかった社会人になるまでは、見守らないといけない、それだけが支えで毎日を過ごしています。

昨年末に父が他界し、その2週間後のことでした。
離れて暮らしていましたが、父の葬儀のときは至って普通でした。
コロナ禍での孤独、就職活動、卒論の期限と未提出による留年、不眠、最後の3日は食事も摂っていないようでした。
そんな事でと思いますが、真面目で優しい子であったため、悩み苦しんだと推測しています。
本来ならこの春に大学を卒業し、新しい人生が始まる一番楽しい時期であったのに…あと少しだったのに…

気づいてあげられなくて、生きる喜びを見いだす育て方をしなくて、プレッシャーをかけていたのかとも…
本当にごめんね。今更後悔してもなにもできないけど。

もう一度、会いたいです。


[2652] 「皆さんに励まされて」 genyu084
−−2021年02月19日 (金) 20時33分 −−男性 / 60歳台 / 子 / 10年以内 / 中部

ご無沙汰しています 皆さんのおかげでまだ生きています
息子たちが自死してから 早いもので八年目 
あの頃は どうやって死のうかとか 仕事もやめて 何をする気にもなれず たまたまこの掲示板にたどり着き 投稿させていただき励ましのお言葉もいただき 皆さんも苦しんでいたり 悩んでいたり自分だけではないんだと でも 一日もひと時も忘れられるものではありません でも 生きています 感謝しています


[2651] 「40年間と1冊の本」 碧岡烏兎 URL
−−2021年02月08日 (月) 15時07分 −−男性 / 50歳台 / 姉 / 30年以上 / 日本国内

姉が亡くなってから40年が経ちました。

姉は18才、私は12才でした。

これまでに「死別」や「悲嘆」(Grief)についての本を数え切れないくらい読んで「悲嘆」について一通り理解しているつもりでいました。
でも、そうではありませんでした。
私は一番肝心なことに気づいていませんでした。一冊の本がそれを教えてくれました
。
これまで私は、40年間、「なぜ」ということばかり考えていました。
私が考えるべきことは「なぜ亡くなったのか」ではなく「失った私はどう思ったのか」ということでした。


自分はどう感じたか、どう受け止めたか

自分は周囲にどうしてほしかったか

自分はどう変わったか

喪失体験はその後の人生と自分の性格にどんな影響を与えたか

自分はその喪失に何を見出したのか

これからどんな思いで悲嘆とともに生きていくのか



書名に「親と死別」とありますが、親に限らず、身近な人や大切なものを失くした人へ具体的で実践的なアドバイスが書かれています。

この本を読んで、40年間、堂々巡りをしていた気持ちが少しだけ変わったように思います。

同じ境遇の人のお役に立てるかもしれないと思い、投稿します。



親と死別した子どもたちへ ―ネバー・ザ・セイム 悲嘆と向き合い新しい自分になる―(佼成出版社、2020)


http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/donna.html

管理人の方へ。不適切な投稿であれば削除ください。




[2647] 「娘の部屋の整理をしていたら」 星桜
−−2020年10月24日 (土) 14時54分 −−女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内

娘の大切にしていた物を探す為に部屋の整理をしました。
娘の学習ノートなどを見ていて「こんなに頑張っていたんだ…」と感極まって涙がまた溢れてきました。
そして、娘のお出かけバッグの中を整頓し始めると出てくる出てくる…
一つのバッグにつき必ず一つのお菓子のゴミ袋やら飲みかけのペットボトルやら空き缶やら…

出てくるのはゴミなのですが
なんだか宝探しをしているような気分でした。

最近落ち込み気味の私を笑わせる為に娘が元気づけてくれているようで
不思議と笑みが溢れてきて少し気持ちが楽になりました。

娘はすぐそばにいる。
落ち込んでいては娘が余計に悲しむ。

そんな気持ちになりました。


[2646] 「溢れる涙を抑える事ができない」 星桜
−−2020年10月23日 (金) 20時10分 −−女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内

今日、主人と出かけようとした時にたまたま娘と同じ学校の制服を着た女の子達を見かけてしまい、ポロポロと溢れる涙を抑えられませんでした。
娘を亡くしてから、ずっとこんな感じです。

悲しい、辛い感情が込み上げたと同時に涙が勝手に出てきて、どうやったって止められません。
この辛さ、寂しさはどれだけの時間が経てば和らいでくるのでしょうか。

娘と共に過ごした時間が長すぎて
娘がいたのが当たり前すぎて
娘と一緒に出かけた場所がたくさんありすぎて

もういない娘の事を考えると逃げ出したくなる。

でも私は生きて、娘を失った事実から母親として何を学ぶべきなのかしっかり考えなくてはいけない。
答えを見つけるまで生き続けなければならない。


[2645] 「少し外へ」 星桜
−−2020年10月21日 (水) 05時54分 −−女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内

娘が亡くなってから娘と出かけた場所に行くのが辛くて、週一の病院とその帰りにスーパーにちょこっと行く以外はずっと家に引きこもっていました。
けれど、今日は娘の為に綺麗なお花と新しいフラワーフォームを買いにちょっと外へ出かけてみようと思います。

でも、やっぱりまだ娘と出かけた思い出の場所は避けてしまいます。
遠方のホームセンターへ行ってきます。

綺麗なお花があるといいな。


[2644] 「昨夜はあまり眠れず」 星桜
−−2020年10月20日 (火) 07時49分 −−女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内

薬を飲んで寝たはずなのに夜中に目が覚め、朝方またうとうとと夢を見ました。

娘が出てきたのですが、元気だった頃の娘ではなく娘の最期の姿でした。

握った手の冷たい感触までリアルで本当に辛い夢でした。

でも夢の中でも娘はみんなに優しかった。

きっと責任感が強く優しい子だから自ら命を絶つに至ったのだと思います。

娘が夢を通して「お母さん、周りのみんなに優しく接してあげなきゃダメだよ」と諭しているような気がします。


[2643] 「娘がいなくなって」 星桜
−−2020年10月19日 (月) 21時35分 −−女性 / 30歳台 / 子 / 1ヶ月以内 / 日本国内

自分を責める毎日です。

これから楽しい事が沢山あったのに。
みんな成長して大人になっていくのに。
年頃の女の子を見るのが辛い。
成人式の晴れ着も着させてあげられなかった。
ウエディングドレスも着させてあげられなかった。

ダメなお母さんでごめんね。
もっと優しい言葉をかけてあげられる心の広いお母さんだったら、ちゃーちゃんを追い詰めることなんてなかったのに。
本当は優しいちゃーちゃんの方がもっと長生きをして、お母さんがいなくなった方が良かったんじゃないかと思います。

亡くなった人は神様で、人の姿をして修行をしに来ていて修行を終えて帰ったのだと何かで読みました。
ちゃーちゃんは本当に神様だったのでは?と感じています。
旅行へ行った先でもやたらと神社に行きたがっていたし、スピリチュアル系のものもよく欲しがっていましたね。

ちゃーちゃんがいなくなった事はダメなお母さんに神様が与えた罰なのかとも思います。
全ての出来事に意味があるのなら、お母さんはあなたを失ったことから何を学ぶべきなのかをこれから一生懸命考えて生きていきます。


[2642] 「変化」 きみしろみ
−−2020年07月23日 (木) 09時57分 −−女性 / 50歳台 / 姉 / 20年以上 / 関東

本当に久しぶりに訪問しました。



先日のある俳優さんの逝去がきっかけです。



誰かが自死でなくなるたびに


ずっと自分のこと、


つまり亡くした姉のことばかりを考えていました。


自責の念や怒り、不安など……。


しかし、先日のニュースに触れ、


心を占めたのは寂しさです。



灯が消えたような……。



もういないんだなと。


しかし同時に確かにいたんだよね、と。


ほらあなだと思ったけれども。


寂しさと同時に何か新しいものが見え隠れして。


変わらないものは厳然とある。


でも変わっていくものもあるんだと感じています。









[2641] 「何年かぶりに投稿します」 でじこ
−−2020年03月20日 (金) 22時53分 −−女性 / 40歳台 / 兄 / 10年以上 / 関東

昔投稿してからかなり年月が経ちました。

兄が自死し、私はその前から患っていた精神の病(発達障害ゆえの二次障害だと思われます)が悪化し、その後何年もの間、現実世界にしがみつこうとしながらも、彷徨っていたように思います。

綺麗事かもしれませんが、明けない夜はないのだと、当時の自分に言いたいです。望もうと望むまいと、時間は、年月は過ぎて行くのです。

忘れたり、悲しく悔しく思わなくなるかと言えば、そうではありません。ふとした時に、
「今兄がいたら」
と考えますし、それが叶わない絶望感に襲われます。

でも、兄がどこにもいない世界で、確かに十数年生きてきて、もう二度と会えないことがようやく実感できたように思います。救われることはきっとないけど、現実を認められるようになった、というところでしょうか。

当時の書き込み時のHNも、内容も覚えておらず、ほぼ初めましてと変わらない気持ちで、感傷のまま書かせていただきました。


[2640] 「ごめんね…」 Lily
−−2020年02月26日 (水) 16時04分 −−女性 / 50歳台 / 母 / 1ヶ月以内 / 日本国内

優しくできなくて
本当にごめんなさい。

不思議に涙はあまり出てこなくて、心に膜が張ったみたい。
自分の存在に 実感がない。
のこった家族のために、生活をしています。
なんで… という後悔と、くやしさと…
時は戻らないんですね。
ばかですね。


[2639] 「つらいです」 ゆびさき
−−2020年02月18日 (火) 14時18分 −−

家族を自死で亡くしてから10年近く経ちます。
自分自身もうつ病です。
仕事もできません。
闘病生活が長引き、薬などの影響か、自分の性格が崩壊し、嫌な人間になっているのが分かっているのに、自分の行動をコントロールできずに、人を傷つけてしまいます。

傷つけたくないのに。救いたいのに。どうして反対のことをしてしまうのか。

家族が自死しなければ、自分は今こんな酷い人間じゃなかったのかもしれないと思ってしまいます。

自死した家族も、嫌な人間になっていく自分が嫌だったのかな、と考えたりもします。


[2638] 「会いたい」 ハチドリ
−−2020年02月10日 (月) 01時39分 −−女性 / 30歳台 / 妹 / 1ヶ月以内 / 近畿

世界で一番大切な妹が亡くなりました。
父が15年前に癌で亡くなり母も5年前に癌で亡くなってから
妹と頑張って生きてきました。
妹に会いたいです。話がしたいです。
妹が居ない世界で生きていける自信がないです...
もう疲れました。
お父さんとお母さんと妹のところに行きたいです。
どうしたら良いか分からないです。
毎朝、目がさめると
やっぱり現実なんだと思って涙が出ます。


[2637] 「会いたい」 愛しい、愛しているよ
−−2020年02月06日 (木) 11時10分 −−女性 / 60歳台 / 子 / 1ヶ月以内

寂しい、会いたい、ただただもう一度会いたい。今の苦しみはあの子が生きていた時の苦しみ。その苦しみを本当に理解してやれず・・・何度もsosを出していたのに、それに気づかず・・・今になってはもうどんなに後悔しても取り返しがつかない。助けてやれずにごめん。本当にごめん。辛い思いを一人で背負って。これだけ愛しているのに、我が子の苦しみに気づけなかった。こんな馬鹿な情けない母親がどこにいる。寂しさと情けなさで押しつぶされそうになる・・・それでも、この生き地獄の中を、苦しさと辛さと寂しさと悲しみと後悔と共に私は生きていかなければならない。今すぐにでも会いたい。しかし、この苦しみを二度と他の家族に残すわけにはいかない。生きることが辛い。悲しい、情けない・・・


[2636] 「自由無き絶望 希望無き絶望」 安楽死
−−2020年02月04日 (火) 23時40分 −−

金縛りの恐怖早く克服したい。


[2635] 「苦しい」 愛しい、愛しているよ
−−2020年02月03日 (月) 14時15分 −−女性 / 60歳台 / 子 / 1ヶ月以内

2回目のメールです。まだ、息子を亡くしてひと月も経っていない。どこにいても誰といても辛い。苦しい。悲しい。頭の中も心の中も息子のことでいっぱい。ふとしたことで涙が流れ、一人で先に逝ってしまったことへの怒りが込み上げ、助けてやれなかった自責の念が心臓をえぐる。ついこの間まで元気だったのに・・・みんな仲良しだったのに・・・平凡だったけど幸せだったのに・・・一瞬にして全てが崩れ落ちた。生き地獄。会いたい。あの子に会いたい。これほどまでの苦しみが世の中にあるのか。生きていくことがつらい。苦しい。悲しい。他の家族も同じ気持ちの中、必死で頑張っている。頭の中では、そんな家族のために頑張らねばと思うが気持ちがついていかない。この生き地獄の中を生きている限り歩いていかなければならないと思うと潰れそうになる。今日は珍しくお日様が出ているようだ。私はあの日以来家族以外誰にも会っていない。外に出るのも怖い。我が子の命も救えなかった愚かな母。これを書いている今も動悸がし、考えがまとまらない。こんな情けない私はどう生きていけばいいのでしょう。


[2634] 「命日」 あゆみ
−−2020年02月02日 (日) 13時12分 −−

先月命日をむかえ9年になりました
彼女のことはいつだって思ってる
いつも心にいるから、どこにいたって想っているから
特段命日だからとすることはないけど
遺品が入った箱をあけて、彼女の気持ちを綴った日記をみたり
はじけて遊んでた頃の写真をみたり
何を考えてるのか意味深な表情の写真をみたり
思い出に浸りながら、やっぱり泣いてしまいますね
ペンや映画のチケットや衣類など、遺品の処分は
気持ちの整理をしながら少しずつ年月をかけてしてるけど、
日記や写真はどうしても
側においておきたい
この箱は私の棺に入れてもらうようメモをつけてある
いつあの世にいってもいいよう、自分の納骨堂の準備も済んでる
あとは、会える日を楽しみにしながら
その日まで娘を想って精一杯生きるだけ


[2633] 「辛い。悲しい。会いたい。」 愛しい、愛しているよ
−−2020年01月24日 (金) 13時20分 −−女性 / 60歳台 / 子 / 1ヶ月以内

辛い。悲しい。世の中にこれほどの苦しみがあるのか。私の何がいけなっかたのか。神様は私にこれほどまでの罰をお与えになった。愛する息子が亡くなった。そこまで悩んでいるとは思わず、適切な言葉をかけてやらなかった。私がもっと気にしてやっていれば、助けられた命。生きていることが苦しい。息子のために息子のがんばってきた人生を認めてやらなければと思いながら、この田舎の世間体や偏見に負けて引きこもっている私。生きていることが苦しい。他の家族も同じ思いを抱えながら、それでも歯をくいしばって頑張っている。それなのに私は、ただ座っているだけ。帰ってこない息子を思い、助けてやれなかった自責の念と・・・なぜ?と思っても仕方のないことばかりを思ってただ座っている。この生き地獄は一生続くのでしょう。他の家族のために生きていかねばと思う。けど、辛い、辛い。ただただ悲しい。これからこの私は何を思い、生きていけばいいのでしょう。私は私の苦しみから逃れることしか考えられない本当に情けない人間です。みんなそれぞれに苦しんでいるのに。息子も今の私と同じように苦しんでいたんだと今更ながら助けてやれなかった後悔。外にも出たい。でも、近所の人に会うのも怖い。あの子にもう一度会いたい。抱きしめてやりたい。


[2632] 「天国の特別なこども」 安楽死
−−2020年01月10日 (金) 00時16分 −−

会議が開かれました。
地球からはるか遠くで
“また次の赤ちゃんの誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向って 天使たちは言いました。
“この子は特別の赤ちゃんで たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長は とてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして 一人前になれないかもしれません。
だから この子は下界で出会う人々に
とくに気をつけてもらわなければならないのです。

もしかしてこの子の思うことは中々わかってもらえないかもしれません。
何をやっても うまくいかないかもしれません。
ですから私たちは この子がどこに生れるか
注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が しあわせなものとなるように
どうぞ神様 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人は すぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども 天から授けられたこの子によって
ますます強い信仰と豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがて二人は 自分たちに与えられた特別の
神の思召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこのとうとい授かりものこそ
天から授かった特別な子どもなのです”

純粋で無垢な君は
選ぶ親間違えたよ。
君の兄弟も同じく。
疲れた。空っぽになっちゃた。
むきになって子育てしてた。
先が見えない未来だったけど
もっと見えなくなってしまった。
君をなくしても
涙が少ししか出ない。
思い出すけど何もかも腹が立つ。
時間が経つにつれて
この重さを思いしらされるのか。
どんな言葉も響かない。
いつもこれから…って時に
全て失ってしまうループ
次はどんな罰がくるのか。
早く終わりにしてくれ。


[2631] 「いのちの理由」 足跡
−−2019年12月31日 (火) 21時06分 −−

私が生まれてきたわけは 何処かの誰かに救われて
私が生まれてきたわけは 何処かの誰かを救うため
(いのちの理由 歌詞抜粋)

さだまさしさんは、自死遺族の方ではないと思います
でも
優しい言葉をたくさん綴った 魂を込められた歌で
日本中で 次々起こる 沢山の痛みや苦しみに
そっと寄り添い 活動されてきたことを 最近になって知りました

逝ってしまったあの子は 私をいつも見ているようで
夢で笑ってくれたり 一緒に寄り添ってくれたり
信じられないけど 不思議なサインを送ってくる
思い込みでも偶然でもないタイミング それは親だからわかるんだ

だから 泣くだけ泣いたら前を向く
生まれてきてくれて ありがとう 私の子供でいてくれてありがとう
短い間だったけど あなたに出逢えて本当に良かった
私は幸せだったよ 今も一緒にいるから

以前のような姿で逢うことは できないけれど
あなたも、ずっと私の側にいたんだね
今年も1年 いつも側で護ってくれていてくれてありがとう

大好きなYへ


[2630] 「クリスマス」 愚かな父親
−−2019年12月26日 (木) 05時03分 −−男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内

久しぶりに亡き息子が夢に出ていました。
とても可愛いらしい幼い頃の息子でした。
何度も何度もハグしました。

夢から目覚めて時計を見ると12月25日の午前1時。
今年は私の所にもサンタクロースが来てくれたようです。
Merry Christmas!!


[2629] 「誰のせいでもない」 shin
−−2019年12月23日 (月) 23時47分 −−男性 / 子

オレンジさん
もう充分に苦しんでこられた。十年以上も
この苦しみ、悲しみ、自責の念はこれからも
自分の命が尽きるその時まで消えることはないでしょう。

でも仕方がなかった。
自死は言葉やその人への思いだけでは止められない。
どんなに愛していても。

お母さまを心にたいせつに思いながら
自分自身のためにこれからも生きてください。
もう自分を許してあげてもいいのではないですか。


[2628] 「許してくだ」 オレンジ
−−2019年12月23日 (月) 06時58分 −−女性 / 50歳台 / 母 / 10年以上 / 西日本

私のせいなんです。10年以上経つのに。時々、苦しくて苦しくて。

どうしたらいいんでしょうか。
生きているのが苦しくなります。いつになったら許して貰えるんでしょうか。許されないなら、どうやって生きていったらいいんでしょうか。


[2627] 「旦那が」 永遠
−−2019年11月23日 (土) 13時33分 −−女性 / 50歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 近畿

逝って1か月
私は発達障がい者で年金ももらってた
A型の作業所と働いていた
旦那はとあるクリエイター系自営(自称)
生活はカツカツで給料も年金もすべて旦那にとられるという
障がい者虐待防止条例の「経済的虐待」を受けていた
暴力もたびたびあり回りも心配してた
そしてとある事件がきっかけでその晩暴力を受けた
作業所の社長さんから「何かあったら作業所に逃げてください」と言われてた
決定打は翌日旦那から「お前頭幼稚園以下だから施設に入ったら?」だった
私は携帯をもたされておらず公衆電話で社長に連絡
ほとんど何も持たず作業に逃げ その後市の福祉課の人も駆けつけ
「実家」という施設に戻った

旦那も「顔を見たくない」「実家へ帰れ」と言ってたので私が戻る間に「明日には帰ってこい」みたいなことを母に言ったらしい

市のほうからは「電話に出ない」「会わない」「家に戻ってはいけない」と言われてたので火曜から水曜に至る日までひっきりなしに電話がかかってきた

最初は「謝罪がしたい」だけだったがついに尻尾を出し「お家賃がない(5万円)」「30年間「共同生活」してたんです」とお金の話になった

これはヤバい事になるなと危惧した私はそのまま警察案件にした

暫くして地元の警察から電話があった 元居た街の警察署から電話がある と そして「旦那さんが亡くなりました」と 本人確認の質問事項をあれこれ問われ「現場」とか「友人に発見された」とか

結果は首つり かなり遺体が傷んでて身元確認に来てほしいといわれたが拒否 筆跡鑑定でもしてほしいと翌日朝私服警官がメモを持ってきた

そこには「どうもすみませんでした 愛しています」 と

愛してるならなぜ向き合わなかった! 逝く前に電話くらいしてもよかったんではないか? なぜ暴力を振るった! そしてとどめの一言を言った? お前の受け止め方 やり方で救われた命なんだぞ!

発見の連絡から1か月近く

緊急だったので大好きなアクセサリーも本も置いてきた もちろん通帳も免許証も

SWNSをやっていたので更新が途絶えた10月11日から心配してたけど最悪の形になった

本はともかくアクセサリーは何年もかけて集めてたしお金を持っている時期もあったので少々高価なものもある

でも今はもう取り戻らない 「多分」遺産処理の名目で全て処分されたから 警察に「縁を切った」と言った以上向こうの実家にすべてが言ったはずだし電話をしても出ないしついには電話を止めたので連絡不可能 前の家からも連絡はない

あの時1度話をしてれば 市や作業所の職員の説得を断って家に帰っていれば

全てが「たら」と「れば」しかない

まだ55歳 働き盛り 

本当にこれだけは言いたい!

そこまでぽっきり折れやすいガラスのメンタル持てるんだったらもっとなぜ私を大事にしなかったのか!? と

ある意味間接的に人を殺したのではないかという罪悪感に問われる


[2626] 「ごめんなさい」 オレンジ
−−2019年11月06日 (水) 05時44分 −−女性 / 50歳台 / 母 / 10年以上 / 西日本

10年も経つのかもしれません。ずっと封印して生きてきました
時々、封印を解いて、私を責めてきます。

私が悪い。

私の思いやりのない一言が、母を。
そして、みんなを苦しめた。

私が悪い。

ではどうやって償えば?どうやって生きていけば?生きていてはいけない?生きていてはいけない?でもこの苦しみをまた子どもたちに与えてしまう。

だから封印して生きてるのに。


ここで謝らせてください。許してください。ごめんなさい。ごめんなさいですまないのに。ごめんなさい。


[2625] 「ながい日々・・・」 あふ
−−2019年10月30日 (水) 20時40分 −−女性 / 子

かすかな灯火を頼りに
ゆっくりと歩んでおります
同じ心の悼みです。辛いです
どうぞよろしくお願いします。

夏が過ぎ・・三年・・
長い、長い 三年間・・・
毎日 帰りを待つ 三年の日々・・

無意識の意識が認めようとしない
月日・・

けれど…

三年たってメモリアルを揃えた
今まで何も出来なかった…
白いチェストに白いおぶつだん
アンティーク調のかわいいメモリアル
お空のふわふわ雲のようにと・・

自分の為の生前準備と
ずいぶんと自分に言い聞かせながら
選んだ・・
無意識の意識たちが束になって
確実な意識として襲ってくる

揃えることが

かなしかった・・・
ただただ 悲しかった

“可愛いあのこ” は 
はじける笑顔でいるよ
目を閉じても見える
愛おしい笑顔

ごめんね…ごめんね…。
おかあさんは、その言葉しか
みつからない
頑張り屋さんが 限界を超えて
がんばってしまった……
頑張り と言う言葉さえ
拒否反応を覚える
きつかったね きつかったね…

目を閉じれば
光りにつつまれて
輝く笑顔がみえます
きょうは 月命日…。

✳どうぞ皆様方
一日一日をお身体を大切にお暮らしください・・・。


[2624] 「はじめまして」 としゾー
−−2019年08月17日 (土) 21時40分 −−

初めまして
44歳 男です

最近いつもイライラと不安がひどく、妻にも八つ当たり、最悪なことに仕事関係の方々とも人間関係が悪化しています
失礼な態度や理不尽なことされると、抗議してしまい抑えられなくなってきています。
ACを知ったのは最近で私にも当てはまることが多く、真剣にカウンセリング受けるか悩んでいます

幼い時に父を亡くし、高校3年生に母が自殺してから、自分の中で時間が止まっているような感覚があり、未だに自殺されたが引きずって生きてきました、それからはできる限り他人には家族の話もしたくない→友達も作らない、そんな人生でした
少しでも他人と仲良くなると家族のことを聞かれるのが本当につらく病気で亡くなったなど嘘をつき、そのたびに罪悪感が生まれ、他人と距離を置いてきました、40歳くらいになると両親がなくなっている方も少し増えてきて来るので、少し気持ちも余裕ができ、妻もできましたが(母の自殺は伏せていますが・・・)
何故わからない不安やイライラは定期的にあります。(社会生活に支障ない程度に)

いままで孤独でずっと過ごしてきた反動か、妻が実家に帰るのも、イライラしてしまう自分が嫌で仕方がないです。
自分には帰る言えなく孤独感も出てきます。


[2623] 「過去、現実」 あや
−−2019年08月14日 (水) 15時15分 −− / 20歳台 / 兄 / 3年以内 / 中部

私には2つ上の兄がいます。兄は小さい頃から面倒みがよく妹だった私はいつも兄に守られていました。保育園の時、私がお友達にちょっかい出されたり、転んだりするとものすごい速さで駆けつけ「俺の妹に手をだすな!」といつも側で守ってくれる兄だった。小学校、中学、高校になっても変わることなく兄は常に私を守るスーパーマンでした。兄に守られていた私は上下関係が激しい中学でも目を付けられることなく平和に学校生活を送る事ができました。高校生になると兄とは学校が離れた為、家に帰ると学校であったこや友達の話しを兄に話し、母子家庭だった事もあってか私にとって兄は本当に特別でいてくれないと困る存在でした。高校では友達もたくさんいたし楽しかったけど、なんとなく、学校行きたくないなーってずる休みしてしまった日がありました。兄は学校に行かない私を見て学校で何かあったと勘違いをし自分の学校へは行かず私の高校へ乗り込み「俺の妹に手を出したヤツは誰だ」と大暴れ。身長も大きく見た目が怖い兄だったのでクラスのみんなが恐怖を感じ誰も口を開けない状態だったと後から聞きました。兄は私が傷つかないよう常に守り話しを聞き問題を解決してくれていたので私はずっと兄に頼りっぱなしだった。そんな兄が3年前、突然亡くなった。いろんな悩みを抱えてえたんだと思う。友達はすごくたくさんいる兄だけど頼られる事ばかりで頼る事ができなかった兄。兄が突然いなくなる日。私は家でご飯を食べて普通に会話をして…。兄がいなくなって家族、友達で探して探して見つからなくて…。突然電話がかかってきて3日ぶりに見た兄は冷たくなっていて…。最初は何が起きているのかわからなかった。それからあっという間にお通夜、お葬式。泣いても叫んでも兄が目を覚ますことはなくて…。あれから3年。小さい頃がずっと兄に頼りきりだった私はつますいたとき、悩んだ時、自分で解決する方法がわからずこんな時兄がいたらって未だに兄に頼ってしまうんです。私がこんなんだったから…兄に頼らずもっとしっかりしていたら兄は1人で抱えることなく死を選ぶことはなかった。最後に見た兄の異変に気づく事ができていたら…1番近い存在だったのに何も気づけなかった。後悔ばかりでどうする事もできなくてただいなくなった兄の写真を見ては涙がとまりません。会いたい。声が聞きたい。何度願っても叶うことはなくて…。兄がいない現実を受け止めるしかなくて…。弱音を吐いてしまったら生きていけない。大丈夫って言ってないと本当に崩れてしまうから…。でも…。会いたいょ…。声が聞きたいょ。助けてもらってばかりで何もできなくてごめんなさい。私が妹でなければ…もっとしっかりした妹だったら…兄は死を選ぶことはなかったんだろぅ。もぅどうしたらいいのかわからない。


[2622] 「これからずっと優しくするからね。」 もきちゃん
−−2019年08月07日 (水) 23時04分 −− / 30歳台 / 夫 / 1ヶ月以内 / 関東

1ヶ月前に夫が自死しました。私と5歳と1歳をおいて。
自分の気持ちを表現しない人だった。なに考えているかわからなくて、
質問してもスルーされて。私のこと嫌いなのかなって、なんで喋ってくれないの、って私もイライラしてたね。ちゃんと言葉で伝えて!っていつも責めてた。それができない性格なのにね、いつも無理言って追い詰めた。ごめんなさい。居心地のよい家庭じゃなかったよね。
大好きな娘と息子を置いていくなんて、本当に信じられません。相当追い詰められてたんだね。2人の成長見届けたかったことでしょう。
追い詰めてごめんなさい。
勝手だけど、2人の子ども達しっかり育てるから、見守ってほしいな。
今更遅いかもしれないけれど、これから毎日やさしくするから。
あなたのこと、優しく思い出すからね。ありがとう。だいすき。あいたいよ。


[2621] 「忘れないよ」 shin
−−2019年07月30日 (火) 17時36分 −−男性 / 子 / 1年以内

お前が向こうにいってしまって
半年たったな。
あれからお前のじいちゃんとばあちゃん、
二人とも急に認知症が進んで、
今度お前がいつ帰って来るかって
きくんだよ
よほどショックだったんだなあ。

お前に会いたいよ
じいちゃんの三分の一も生きられなかった。
ずっとずっと、忘れないよ。


[2620] 「突然に」 あゆみ
−−2019年07月16日 (火) 12時49分 −−女性 / 50歳台 / 子 / 10年以内

悲しみや辛さを胸のずっと奥深い所に押しやって
周りから見れば、いつもにこにこ優しくて
穏やかでって言われるくらいに落ち着いていて
そんな風に自分をコントロールして生きてきました
もちろん忘れるなんてできっこない
いつも心のどこかにいて、あぁ早く会えないかなぁ
なんて思いながら、仕事をして、静かに生活をおくってます
そんな今日、娘の好きだった歌のイントロを聞いたんです、
外出先だったけれど、その曲を聞いた途端、胸がぎゅっとつかまれて、せつないやら苦しいやら逢いたいやら色んな感情が一気に押し寄せてきて、あっという間に涙がとめどなく流れて…
耐えて、強く生きてきたつもりなのに、あっけなく崩れました、もろいんだなぁと思いました。でもこんな日があっても仕方ないと思います、それだけ大切な存在を失ったんだから
まだまだ泣けます、いくらでも


[2618] 「我が子の死」 shin
−−2019年04月26日 (金) 01時28分 −−男性 / 60歳台 / 子 / 3ヶ月以内

はじめまして

冬の寒い夜に我が子を自死で亡くした父親です

自分で選択した事とは言えどれだけ辛く苦しんだのだろう。
最期の顔が脳裏に焼き付き離れない。

妻は半狂乱になった
僕は60歳になり、そう長くはないであろうこの先を考えると
この命と引き換えに生き返ってくれ、と強く思う毎日です。

楽しい事なんかあるはずもない。
幸せなど考える事はない

だが、供養をしなければならない。
生きて供養をする。それが今自分に出来ること、
やらなくてはいけないことと思っています


[2617] 「生きています」 genyu084
−−2019年04月09日 (火) 08時39分 −−男性 / 50歳台 / 子 / 10年以内 / 中部

また春が来ました 親父が16年 長男が6年 次男が5年 もうこんなに時間 年月がたちました 

ここに投稿させていただき いろいろ救われ 何とか仕事にも復帰できまた 桜が見ることができました

次男とは桜を一緒に見に行くことを 約束したその年に 自死したので辛いけど 頑張ることで供養になるのかな・・・

 




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