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報告の前に・・・


@まずは、報告の「型」を確認しよう!
(該当ナンバーをクリックすれば、詳細が確認できます)
1.文献の表記の仕方
2.構造を意識してまとめる
3.記録と評価・感想を分けてまとめる
4.エピソードに語らせる
5.タイトルを工夫する


A投稿時の注意点
投稿する際は、初めに「削除キー」を設定してください(設定キーは自由)。
「削除キー」を設定すれば、投稿後、加筆、修正、削除が可能となります。

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[552] 題名:掲示板書き込みベスト10企画について 名前:三厨昌平(25期) 投稿日:2015年04月13日 (月) 11時55分

ご報告が大変遅れてしまっており、申し訳ありません。

免許の取得と、新人研修、先週末は祖母の葬儀がありまして、
何も書き込むことができないまま今日に至ってしまいました。

自分で言い出した企画であったのに、責任を持って合宿後に報告することもできず、
忙しい合間でもほんの一言でも書き込んで、他のゼミ生に書き込みをお願いすることもせず、
3週間とここまで放置してしまって、信頼を失う状況にしてしまいました。

三戸先生に合宿でご指摘いただいた
「言葉と行動が一致しない」という状況をまたしても作りだしてしまい、情けないです。
三戸先生、本当に申し訳ありませんでした。

今後の企画の存続については、まだ決められていない状況です。
@場:残り6つの書き込みを掲示板で/ゼミで投票する。
A参加者:現役生だけで/OBも含めた全ゼミ生で決める。
Bタイミング:今また決め直す/後日
という3つの軸で考えましたが、木田やゼミ生に相談させてもらいながら
今度の週末中をめどに決定し、三戸ゼミ掲示板でお知らせしたいです。
報告も遅くても四月中にはあげてもらうようにします。

また幹事については、私は平日は研修や仕事があって企画を進めることは難しいので
自分で最後まで仕事を果たすことができずに悔しいですが、木田にお願いしました。
企画を存続できるのであれば、できるかぎり参加したいと思います。

【best10】


[551] 題名:平成26年度三戸ゼミナール総括 名前:渡邊諒太(26期) 投稿日:2015年04月13日 (月) 02時31分

平成26年度三戸ゼミナール総括



平成26年度のゼミ活動総括、報告の場を立てました。
掲示板上で報告をすることによって、昨年度がどの様な年であったかを共有し、
今年度の活動に活かしていけるようにしましょう!

先日割り振られた担当者はこちらにどんどん×7各企画の報告を書き込んでいってください!

(「草稿:」は第一回のゼミで配ったレジュメのコピーです。(文責:26期 渡邊)
「板書:」は記事No,549、春学期第一回報告を転載したものです。
また、【スピーチ大会】と【本の交換会】は項として新たに加えました。)


【総括】

草稿:
この一年を振り返りまず初めに思うことは「学ぶ姿勢を問い直さなければならない」ということに尽きてしまうのではないか、ということである。
春季の火ゼミにおける出席率の低さや、木ゼミの状況、加えて掲示板の書き込みを鑑みるだけでも学ぶ姿勢が十分でないということが現れてしまっている。


《報告》
報告が揃い次第、それらをたたき台として報告を挙げます。

【火ゼミ】

草稿:
春季では、「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」をはじめとするDVDや、
新聞記事、ネット上のニュース等を素材としてそこからいかに情報を読み取るかを学んだ。
しかし、春季におけるゼミ生の出席率は25期生が就活に苦心していることを主な原因として著しく低かった。
ゼミは自らを豊かにする場であり、大切にすべきである場であることを改めて考え直さなければならない。
秋季には、来たる対三井ゼミ討論会に向け、夏合宿から勉強を進めているテキストである
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』を引き続き取り組んできた。

板書:
春…DVD、ニュース―就活を主な理由として出席率が著しく低かった。
秋…討論会に向けての勉強
+学年構成やチーム制、本の交換会、スピーチ大会


《報告》

就活がひと段落し出席率も回復した秋期は、日本大学三井ゼミとの討論会に向け、
夏合宿から勉強を進めているテキストである水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書,2014)に引き続き取り組んできた。
各チームで毎回担当部分のレジュメを用意し質疑応答を繰り返した。
後半には水野の議論を「資本主義論」と「資本主義終焉論」に分け、
ウォーラーステインやカール・シュミットなど水野以外の様々な文献にあたりながら勉強した。
また今期は「図で理解し説明する」ことに積極的に取り組み、各チームで水野の論を図で示し、回を重ねるごとに完成度を高めていった。
しかしその図が最終的に討論会や論文に活かされなかったことが悔やまれる。
図とともに毎回レジュメの隅に入っていたのは、夏合宿で決まった各チームのロゴマークである。



【木ゼミ】

草稿:
今年度の勉強はレギュラーのゼミの他に、有志が集い学ぶ「木ゼミ」が設けられた。
だがこれは、ゼミ生が平成25年度において十分に学ぶ姿勢を示していない状況を鑑みての制度変更であったことを忘れてはならない。
春季にはDVDの視聴を通して木ゼミにおいても情報の見方を養いつつ、三戸公『官僚制』をテキストに用い、
テキストをどの様に読むかを学んだ。しかし折角設けられた木ゼミの場であったが、参加者は徐々に減り続けていった。
秋季では春季から続くDVD視聴と共に、毎週参加者がテーマを自ら決めニュースを纏め、どの様に関連付け意味づけたのかを発表した。

板書:
春…DVD、三戸公『官僚制 現代における論理と倫理』
秋…DVD、ニュースの関連付け、10大ニュース
+有志の参加ではあったが、出席者がまばらであった。一度参加するならば、継続的に参加するべきだった。


《報告》
前年度のゼミ活動の状況を受け、
「全員参加を前提とし、時間を限定して課題に取り組む場」として火ゼミと
「火ゼミの課題に加えて、さらに自発的に学びたい者が集まり勉強する場」
として木ゼミという二つの活動にゼミが分かれることとなった。
しかし、年間を通して出席者を確認すると、春期・秋期それぞれ第一回の出席者をピークとして
徐々に人数が減って行き、出席者がわずか一名であったこともたびたびあった。

年間を通してDVDを用い、与えられたものから情報をどの様に引き出すのかを学んだ。
さらに、春期には三戸公『官僚制』を用いて、論文・テキストをどの様に読み、理解するのかを学び、
秋期にはゼミ終わりから次回までの一週間に起こったニュースを結びつけて論じ、
複数の情報をどの様に関連させて行くかを学んだ。

しかし一つ一つの活動についての報告が不十分であった。中にはその日何を行い、
何を学んだのかがほとんどわからないものすらあった。

二つのゼミとして制度化を図ったものの、参加者が減少し一定しないこと、
参加者からの十分な報告がなく、復習がなされていないことを考えると、
木ゼミのコンセプトは果たされていないと言う他ないだろう。

【スピーチ大会】

テーマ:
第一回「人生で最も大きかったこと」
第二回「生まれ変わったらなりたい職業」
第三回「この人を語る」

トピック:
・テーマ設定の長期化
・評価の共有、動画撮影などスピーチ改良のための工夫
・第三回前半、三戸先生のご欠席


《報告》
第一回「人生で最も大きかったこと」(自己紹介)、第二回「生まれかわったらなりたい職業」(社会・関係)、第三回「この人を語る」(自分と他者)というテーマのもとスピーチ大会が行われた。テーマの設定は得たい能力(人を納得させ、共感させる力)を基に決められた。いずれも適切なテーマ設定や評価項目の共有がスムーズに行われたとは言えない。その中でも上級生は下級生に実力差を見せつけ、特に見事三冠を達成した25期F田は称えられるべきであろう。また、三戸先生がご不在の回で、スマホを使用した動画撮影といった初めての試みながされたのも特筆すべき点である。全体としてスピーチを通じて得たい能力が十分に身に付いたと実感が持てなかったのは、復習が十分になされなかった為である。スピーチ後にされる他者の評価や自分の反省を活かして原稿を修正し、それを掲示板に載せる必要があった。

【本の交換会】

テーマ:
春期…「企業・経営」「労働」「スポーツ」「歴史」「自己・ゼミ紹介」
秋期…「中公新書」「岩波新書」「講談社現代新書」「その他の新書」「生命・医学」「同テーマのノンフィクション・ルポ&小説」「古典・名著」

トピック:
・テーマ設定の長期化
・オークション制の試験導入など、交換方法の模索


《報告》
本の交換会のテーマを決めることが長期化し4月末までかかった。理由としては、本の交換会に適したよいテーマとは何か、についての共通理解がなかなか成されなかったからである。結局専門性の高いテーマの分野を広げたりや類似のテーマを統合したりした後、投票にて決めた。最後まで全員で納得できたテーマ設定を行うことはできなかった。また本の交換方法をいろいろ試した。ゼミーを用いてのオークション方式等も試してみたが、評価と価値が離れてしまうという問題が生じ、廃止した。最終的には、1週目の手を挙げる回数を制限し欲しい本を吟味させる方法で落ち着いた。


【M’s企業番組読解講座】

草稿:
3期杉山さんよりOBにも三戸先生の元で再び学ぶ機会を設けたいという提案を受け、
月に一回「ガイアの夜明け」や「カンブリア宮殿」など、企業番組の読解をOB・現役生と交えて行った。
当初現役との合同で行うことになっていたが、回を追うごとに数が減ってしまっている。
次年度以降続けることを考え、現役内からの積極的な呼びかけが必要となる。

板書:
目的…番組の「観方」を学ぶ
OBと交えて学ぶ機会→現役生の刺激となった(skypeでも参加する姿勢・OBのノート等)
回を重ねるごとに参加人数が減少してしまった



《報告》
3期の杉山さんからのご提案を頂き、「第一回M’s企業番組の読解講座」が2014年3月に開催された。
そして、7月には第四回勉強会が開催されたが、夏休み期間中は開催することができていない。
10月には、国大での勉強会に直接参加することが難しいOBがいることを踏まえ、
より掲示板上での参加を重視した形にすることを先生よりご提案頂いた。
ここからは、掲示板上で毎週のガイア・カンブリアについての感想を書きそこでの議論をもとに
国大での勉強会を行う形式で進めていくという現在の形式になった。

<コンセプト>
○情報を解釈する
社会からの情報に受け身になるのではなく、情報を自ら能動的に解釈する力をつける。
正解は無く、何らかの気づきを引き出すかが重要であり、見るたびに引き出すものが違っていい。
○引き出すための見方を学ぶ
自分の見方と他者の見方を比べてみることにより、
・自分の見方を確認する。
・いろんな見方があることを確認する。
・複数の見方を総合して、知見を得る。

<問題点と今後の方針>
情報を解釈する・他者と見比べ見方を学ぶというコンセプトを実現するためには、そもそもの前提として、
掲示板での感想の書き込みとそれへのコメントが行われ、掲示板上での議論を活発化させねばならない。
そのためには、書き込みの呼び水として現役生がローテーションを組み、感想を書き込むようにしたい。
佐藤→笹井→高橋→渡邊→木田→藤田→石嶺さんで感想を書き、お互いの感想にコメントを書くことに取り組んでいきたい。

<参考:取り扱われた企業・産業>

第一回:製造業@ エフピコ (参考企業:アスクル)

第二回:製造業A 東海バネ工業

第三回:青山フラワーマーケット

第四回:農業@ ファーム・ドゥとオイシックス

第一回ビジネス・企業番組勉強会:農業A 大潟村あきたこまち生産者協会

第二回ビジネス・企業番組勉強会:シタテルとIKIJI
〜中小企業がナショナル・グローバル市場で活躍するには〜

今後のテーマ:「日本」「ものづくり」


【三戸・小山ゼミ懇親会】

草稿:
7月21日、1期OBである小山先生のゼミである、小山ゼミとの懇親会を行った。
7月前に決まったことでバタバタした面も多々あったが、互いのゼミについてのクイズを出しあったり、
ゼミ対抗で三戸先生が用意してくださったクイズシートをワイワイして答えていたりと中々の盛況であったと言える。
しかし、三戸ゼミとしては相手を楽しませる、という視点が不足しており、終始小山ゼミにもてなされていた感が否めない。
ゼミ同士で集まる場として、三戸ゼミの存在感を示せるようにとゼミ生の間で改めて確認した。

板書:
盛況ではあったが、小山ゼミに姿勢で負けた。



《報告》
7月21日、満珠園にて三戸ゼミ1期生小山先生のゼミである関東学院大学小山ゼミとの懇親会を行った。
お互いのゼミについてのクイズや出し物に加え、両ゼミ選抜によるブリッジが行われ、初挑戦の小山ゼミ生にまさかの敗北を喫する。
クイズや企画の質・勢いで小山ゼミに圧倒された。この悔しい経験は後の日本大学三井ゼミとの懇親会に活かされることとなる。
懇親会は盛り上がったが、それ以降の両ゼミの交流につながらなかったことが残念である。


【新歓企画】

草稿:
ガイダンス、チラシ、個別説明会、オープンゼミと数多く接する機会を設けたにも拘わらず、
27期となる今年度の新入生はたった一名、飛田君のみであった。どの様なゼミ生に来てもらいたいのか、
どの様にして呼び込むのかという視点を欠いたまま漫然とそれらを行ってしまい、
三戸ゼミの魅力を十分に訴えることが出来なかったことが原因ではないか。
新歓企画では新ゼミ生を歓迎するイベントとして各チーム求人票を作成し飛田君にどのチームに入ってもらうかを選択してもらった。
また、「子ども科学電話相談室」の質問にたいし相手に合わせた答えを与える企画、
大量わさび入りの寿司を食べているのは誰かを当てるクイズを行った。

板書:
27期生が1人しかいなかったが、各チームがその1人をめぐって争いを繰り広げた。
年度が始まって、初めてチームとして活動した企画であった



《報告》
最終的に入ゼミした27期生は一人であった。各チームがその1人をチームに入れるため、また同期がいない27期生をゼミに馴染ませるため、新歓企画を行った。自チームの求人票を用意し、所属するチームを27期生本人に選ばせるという求人票企画等でチーム分け・対決をし、優勝チームには食べたいだけの寿司を食べる権利が与えられた。この新歓企画が、2014年度初めてのチーム活動であった。

【夏合宿】

草稿:
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』を合宿において初めて扱い、
各チームに分かれ、テキストの各章を分担し議論をしていった。
また各チーム三戸ゼミのゆるきゃらを決定、三戸先生、参加者の審査のもと、
「三戸マンボウ」が三戸ゼミのマスコットとしての地位を築くこととなった。

板書:
ゆるきゃら企画→三戸マンボウの誕生
ソフトボールが砂浜ベースボールとして復活
レジュメを当日まで用意してきたのは、1チームのみ→勉強の姿勢が欠けていた。



《報告》

今年の御宿も熱かった。勉強面では、水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』をテキストとして1^4章(全5章)を4チームがそれぞれ担当し、概要と考察を報告し質問チームとの議論を戦わせた。他に勉強企画としては、資本主義と関連してバングラデシュの下請け繊維工場の過酷な労働環境に焦点を当てたDVDを視聴した。その議論の中で噴出した疑問や課題は秋期以降のゼミで扱われることとなった。その一方勉強以外の企画は、大相撲・歌留多といった伝統行事の他に、チーム名・カラークイズ、ゆるきゃらGPや砂浜ソフトボールといった新しい企画も充実しておりゼミ生の純粋に楽しむ顔が見られた。企画そのものの面白さに加え、ポイントが順位ではなく企画の中で獲得した点数に応じて与えられたことで、最後までどのチームが優勝するかわからない展開になった事も大きな要因である。最終的に優勝を飾ったチームは、特に勉強企画で着実にポイントを重ねたラフレーズであった。夏合宿は勉強企画が面白かっただけに、勉強企画で事前の準備が不足していた為により白熱した議論をできなかったことが非常に悔やまれる。より早い段階で合宿までのスケジュールを立てる必要があった。

【新年会】

板書:
初・三戸ゼミメンコ→ルールが不十分ではあったが、全員で楽しむことができた。



《報告》

大学会館4階和室かもめにて新年会を行った。新年の健康を祈り先生からお屠蘇をいただき、抱負を語った。その後、先生からお話をいただき、その後歌留多を行った。歌留多は、個人戦の散らし取り、団体戦の源平戦を行った。その後ゼミ室へと移動し、新年会企画のめんこを行った。各自が思い思いのめんこを用意する、紙質を変える等の工夫や、ルールの調整を行う余地はあったが、盛況だった。三戸ゼミでめんこをやったのはこれが初めてである。

【対三井ゼミ討論会】

草稿:
今年度で二年目となった日大三井ゼミとの討論会。今年度は三井ゼミがP.F.ドラッカー『マネジメント』より責任論を、
三戸ゼミが資本主義・資本主義終焉論をそれぞれ発表し、議論した。しかし、相手に我々の理論を十分に納得させることが出来ず、悔いが残った。

板書:
2013年度に引き続き三井ゼミとの討論会
三戸ゼミ論文「資本主義の未来」
→2013年度よりも締切や論理構成を重視し、そこには気を配った。
 しかし、相手を納得させるという視点が欠けていた。



《報告》

2013年度に引き続き、三井ゼミとの討論会を行った。討論会の直前まで、どのように討論会を行うか決めきれなかった。最終的には、お互いの勉強してきたテーマが離れていたため、論文への質問と応答、および分科会を行うことになった。早い段階から相手と連絡を取ることで、共通テーマを打ち出す等の対応はできただろう。
三戸ゼミでは秋学期より、水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書,2014)をテキストとし学び、討論会では論文「資本主義の未来」を作成した。2013年度の反省を活かし、今回は締め切りや論理構成を重視し、そこは達成できた。しかしそこに気を取られすぎ、相手を納得させるという視点が欠けていた。そのため、当日、相手に結論を納得させることができなかった。



【春・追い出し合宿】

草稿:
本来は春合宿として行うものとしていたが、当日に追い出し合宿としての形で進めてしまったことで参加者を困惑させてしまったが、
ラストスピーチ・修業証書授与などを通して、25期を追い出したことは参加者全員の心に残るものであった。

板書:
春合宿であったのか、追い出し合宿だったのか、の説明
ゼミ内討論会と掲示板企画
→重い企画を2つやり、どちらも中途半端に終わってしまった。またやりっぱなしになってしまっている。
25期生が全員そろわなかった。
→追い出しの型をとったが、それに伴う心は?本気は?



《報告》


《コメント》


○渡邊 諒太(26期, 4/13, 2:25)
総括を掲示板上で共有することとしました。
また、報告をする際の注意点を第一回報告の「先生のお話」の項から転載しますので、
報告する前に確認してみて下さい。

総括を書く際は…
 1.企画の軽・重と、文章の量と質がリンクしていなければならない。
 今回たたき台として作られたレジュメは、文章量が全体的に少ない。
 その上、質と量が企画の軽重にリンクしておらず、報告書としての形になっていない。
 報告書としても、文章の質や量は企画がどれだけの物であったかにリンクして然るべきだろう。

 2.明確に「何をやったのか?」が分かる様に書かなければならない。
 思いつくままに文章を書くのは「小学生の作文」のレベルである。
 たとえば火ゼミについての報告ひとつをとっても、それは例年通りだったのか?
 人数や、学年構成によって活動に違いが出てくるものではないのか?
 そのようなことが書かれていなければ、報告にはならないだろう。
 
 3.それを行うことに「どれだけの価値があったのか?」が明らかでなければならない。
 総括とは、やったことは何かを確認し、それが適切になされたか、
 そしてそれに満足することが出来たのかを確認するための物である。
 つまりその企画の価値はどれだけか、が分かるものでなければならない。
 その為に「結果」だけではなく、その「過程」が分からなければならない。


※担当として割り振り、後は担当者に任せて結合する…だけでは、これまでとやっていることが変わらず、結果も見えているのではないでしょうか?
 せめて、担当者が一度書き上げた後、全員が全体をチェックしコメントするようにする(全員が全てにコメントすると大変なことになるので、程よくする)、
 その後、幹事が全体を受けて年度総括を最後に書く(総括の初めの部分は導入として、総括は一番最後に着けるのが適切ではないでしょうか)位のことは、すべきでしょう。
 また、常にいつまでにやるかが明確でない限り、達成できる信頼はありません。第二回のゼミまででしょうか。
 既に前回のことを受けて、担当者は文章を作っていてもいいくらいでしょうが…。(中村)

  掲示板を活用するための場を立てましたが、この立て方では
  担当を割り振って担当者任せになる様になっていました・・・。

  そのため解決の方法として
  ・抜けている点、報告として気になった点を挙げ訂正をしてもらう。
  ・今日までに揃えたい所ですが、現状を鑑みて期日を設定し延期する。
  ことを考えました。

  具体的には、
  1.報告書を揃えるのは4月20日が完全〆切。
  2.コメントは随時募集だが、それぞれ一点ないし二点、他の人の報告にコメントを加えること
  3.これを受けて原則担当者が修正をすること。
  とします。
  修正期日は状況を確認した上で改めて設定します。

  年度総括については全員の報告が揃い次第、僕が3〜4日の間に作成します。(渡邊)


○中村貴治(20期,04/20, 03:00)

締め切りの前に“報告の見やすさ”について確認しておきます。
見やすい報告にするためには、何が必要でしょうか?
報告の順番、導入、タイトルの付け方、適切な文の長さ、記号づけなど、
様々ありますが、まず一番わかりやすいのは「フォント」ではないでしょうか。

現在、この報告ではフォントが使い分けられていますが、
それが読み手が見やすくするために用いるものだという意識で組み立てられているようには思えません。
なんのためにフォントを変えるのかを考えてみましょう。

具体的に現在の状況をミニマムで取り上げると、次のようになります。

【対三井ゼミ討論会】

草稿:
今年度で二年目となった日大三井ゼミとの討論会。〜
板書:
2013年度に引き続き三井ゼミとの討論会〜

《報告》
2013年度に引き続き、三井ゼミとの討論会を行った。〜

このうち、一番大きな括りとなっていて重要な項目は、明らかに【対三井ゼミ討論会】でしょう。
読み手は「2014年度総括がある→活動内容は何だろう→討論会があったのか→どんな内容・反省なのかな→良い内容だorそうでもない」とみるはずです。
【対三井ゼミ討論会】よりも、その下の《報告》の方が「色」付きで強調されており、
更にその下の報告内容が「太字」で羅列されているのは、順序が逆転しているのではないでしょうか。

読み手がどのように読むのかを徹底的に意識して報告を作り上げてください。

もしかしたらまだ作りかけだったということかもしれませんが、
そのレベルのものを数日にわたって人目に触れさせている時点で、
読み手がいるという全く意識が低いと言わざるを得ません。

三戸ゼミで徹底的に鍛えられたのは「読む」「書く」「話す」力だ、
というのはOBからよく聞かれることですが、
この三つの力は社会人として基本的かつどれだけ強調しても強調しすぎることはないほど重要なものです。
毎週のレジュメでも鍛えられているはずの「力」ですから、
その奥深さに触れる前に、できるはずのことはきちんとできるようになり、使っていきましょう。



【記事No:551 編集キー:h26sokatsu】


[550] 題名:平成27年度 スピーチ大会のテーマを決めましょう 名前:高橋篤史 投稿日:2015年04月10日 (金) 21時17分

平成27年度 スピーチ大会 テーマ決め


今年は、スピーチ大会のテーマを掲示板で募ろうと思います!
第三回は決まっているので、第一回・第二回のテーマを決めましょう!!

≪日程≫
第一回 7月第一週 (2015/07/07)
第二回 11月第三週(2015/11/17)
第三回 1月第三週 (2016/01/19)

今の時点では以上の日程を考えています。
今後変わる可能性もほんの少しあります。

≪決め方≫
自分がやりたいというテーマ
(「過去からのこれぞ」というテーマ、「やるべきだった、やり残していた」というテーマ、…)
を数行の理由と共に書いてください。
また、他者の提案に対する賛同、反対も募集します。
多数の提案が出た場合、掲示板上にて投票を行ってきめます。
あまりにも意見が出ない場合は、別の方法で考えますが、去年のように長引かせたくありません。

≪テーマ案≫
●諸注意 (以前の反省から)
スピーチ大会を通じて何を得たいのかということを意識する。

第一回
”自己紹介”の要素を含める。

【提案】


⇒藤田+卒業生に、「"就活に活きる"自己紹介」という観点から選んでもらったらどうだろうか?
 これまでこの観点から選んだことはない。
 「ゼミ掲示板」も使って、就活経験者の意見を聞いてみたい。

 →先生ご提案ありがとうございます。
 就活を経験した諸先輩方から案を募る/候補から選んでもらう試みは面白いと思います!
 数日中にゼミ掲示板に場立てします。(高橋)

第二回
第一回が”自分”、第三回が”他者(との関係)”だとするならば、
第二回は”両者をつなぐ場・社会”についてのテーマが望ましいのではないかと考えます。

【提案】

○「大切にしたいこの風景」(橋)
日々の生活の中で見つけた大切にしたい・残したいと思った風景について語る。
他のゼミ生が、どのような視点で見ているのか、納得できるかできないか、分析はできているか
等々学べるところは多いのではないでしょうか。

第三回
「この人を語る」(←決定済)

≪期日≫
早いほうがダラダラせず、ネタを集めるのにも良い。しかし、早すぎても心変わりが起きてしまう。
以上の点を踏まえて、四月中には決めましょう。


≪コメント欄≫

○佐藤(26期)
先生の出してくださった、就活に役立つという視点でのスピーチはぜひやってみたいです。
他のテーマ案については検討中です。

【記事No.550 削除キー:speech theme】


[549] 題名:2015年度第1回三戸ゼミナール活動報告 名前:佐藤樹 投稿日:2015年04月10日 (金) 15時49分

≪目次≫
T.基本情報
U.昨年度の総括
V.今年の予定
W.先生のお話
X.やるべきこと
Y.刮目・今日イチ


T.基本情報


【日時】2015年4月7日(火) 16時30分〜24時10分
【場所】経営学部C棟501
【出席情報】(敬称略)
24期:石嶺、(新山)
25期:藤田
26期:佐藤、渡邊、橋、笹井
院生 :中村、坂倉、阪本、木田、(陳)

U.昨年度の総括


昨年度の総括をしました。
しかし現状では完成しているとはいえず、各自に分業する形で完成させることになりました。
以下に話し合いの際に出た書くことをまとめますので、参考に。

<火ゼミ>
春…DVD、ニュース―就活を主な理由として出席率が著しく低かった
秋…討論会に向けての勉強
+学年構成やチーム制、本の交換会、スピーチ大会

<木ゼミ>
春…DVD、三戸公『官僚制 現代における論理と倫理』
秋…DVD、ニュースの関連付け、10大ニュース
+有志の参加ではあったが、出席者がまばらであった。一度参加するならば、継続的に参加するべきだった。

<DVD読解講座>
目的…番組の「観方」を学ぶ
OBと交えて学ぶ機会→現役生の刺激となった(skypeでも参加する姿勢・OBのノート等)
回を重ねるごとに参加人数が減少してしまった

<小山ゼミとの懇親会>
盛況ではあったが、小山ゼミに姿勢で負けた

<新歓>
27期生が1人しかいなかったが、各チームがその1人をめぐって争いを繰り広げた
年度が始まって、初めてチームとして活動した企画であった

<夏合宿>
ゆるきゃら企画→三戸マンボウの誕生
ソフトボールが砂浜ベースボールとして復活
レジュメを当日まで用意してきたのは、1チームのみ→勉強の姿勢が欠けていた

<新年会>
初・三戸ゼミメンコ→ルールが不十分ではあったが、全員で楽しむことができた

<討論会>
2013年度に引き続き三井ゼミとの討論会
三戸ゼミ論文「資本主義の未来」
→2013年度よりも締切や論理構成を重視し、そこには気を配った
 しかし、相手を納得させるという視点が欠けていた

<追い出し合宿>
春合宿であったのか、追い出し合宿だったのか、の説明
ゼミ内討論会と掲示板企画
→重い企画を2つやり、どちらも中途半端に終わってしまった。またやりっぱなしになってしまっている
25期生が全員そろわなかった
→追い出しの型をとったが、それに伴う心は?本気は?


V.今年の予定



〜6月
DVDの視聴
論文の読解(三戸公「経営学の転生を求めて」、及び、三戸公「組織の境界について」)

6月〜7月
家の論理について、三戸公『現代の学としての経営』(1998,文真堂選書)から学ぶ

夏合宿
日本的経営は崩壊したかについて、YES/NOの立場に分かれ議論する

秋学期
合宿の勉強を基に、家の論理や日本的経営を発展させたテーマを設定し勉強する

W.先生のお話


○総括とは、やったことを確認し、それが適切だったか、それに満足できたかを確認するものである。そのため、結果だけではなく、その過程も重要である。
総括は、それを活かして新年度の活動を考えるために行うものである。
⇒○総括を書く際は…
 1.企画の軽・重と、文章の量と質がリンクしていなければならない。
 今回たたき台として作られたレジュメは、文章量が全体的に少ない。
 その上、質と量が企画の軽重にリンクしておらず、報告書としての形になっていない。
 報告書としても、文章の質や量は企画がどれだけの物であったかにリンクして然るべきだろう。

 2.明確に「何をやったのか?」が分かる様に書かなければならない。
 思いつくままに文章を書くのは「小学生の作文」のレベルである。
 たとえば火ゼミについての報告ひとつをとっても、それは例年通りだったのか?
 人数や、学年構成によって活動に違いが出てくるものではないのか?
 そのようなことが書かれていなければ、報告にはならないだろう。
 
 3.それを行うことに「どれだけの価値があったのか?」が明らかでなければならない。
 総括とは、やったことは何かを確認し、それが適切になされたか、
 そしてそれに満足することが出来たのかを確認するための物である。
 つまりその企画の価値はどれだけか、が分かるものでなければならない。
 その為に「結果」だけではなく、その「過程」が分からなければならない。
 (修正:26期 渡邊)


○今日何をやるのか、があると、心身ともに健康でいられる

○ノートは、記録以上のものをとる。
対象をどうまとめるかを考えながら書くことで理解を深めることができ、頭に残すことができる。
記録に専念すると、理解をすることができず、一生懸命話を聞こうとするよりも劣る。

○課題として取り組む限り
楽しくない
成長しない
満足できない

X.やるべきこと


・掲示板企画の決着
・本の交換会のテーマ決め
・スピーチ大会のテーマ決め
・本の交換会の情報のまとめ

Y.刮目・今日イチ


○佐藤樹(26期,4/8 11:00)
■1.今回の成果
ゼミとの関わり方
ゼミ室に入り、25期生がいなくなった、ということを肌で感じた。まだどこかで、先輩がいるという気持ちがあった。しかし、もう自分たちがゼミを企画・運営していくということを実感した。今後は、自分たちでゼミを作っていくということをしていかなければならない。ゼミに積極的に関わる、ではなく、ゼミ=自分たちという意識をもつ。
また、課題として取り組む限り、楽しくない、成長しない、満足できない、と先生がおっしゃっていた。この話には、経験的に納得した。楽しさという点だけとっても、課題としてやるのは億劫で、取り組めなかったことが多々ある。
 以上のように考えられたことが、今回の成果である。
今年のゼミがどのようなものになるかは、1人1人がどのようなゼミにしていきたいか、ゼミをどう捉えるかで決まる。ゼミで学ぶのではなく、ゼミ生として過ごせるように。そのためにまず、先生が提案してくださった、ベッティングや本の交換会の一覧作りに取り組む。

■2.今回の反省
ゼミの準備
今回、参加するまでゼミで何をやるかを把握していなかった。幹事からの情報が十分ではなかったこともあると思うが、それ以上に、自分から知ろうとしなかったからだ。
だから、何を、何のために準備すればいいのか、準備はそれで十分なのか、を確認することをせず、ゼミに臨んでしまった。時間がかかった総括については、準備の段階で“何故やるか”までを全体で共有できていたらもっとスムーズに終わったはずである。
 この反省は、ゼミとの関わり方にも、直結する問題である。この反省から2点心がける。
1つは、幹事から十分な情報を引き出し、またそれを、ゼミが始まる前に全体で共有すること。
もう1つは、準備の段階から、何をやるかではなく、何故やるかを考えること。
 以上の2つを達成できれば、今後のゼミをよりよいものにすることができるはずである。

○高橋篤史(26期 4/10 23:30)

今日のゼミでは「継承」について考えさせられることが多かった。
行動や物事の「型」、その型を継続させようという「想い」を学び伝えていかなければならない。
それが三戸ゼミ最後の年である今年度はさらに重要になるにも関わらず、
第一回目のゼミではその「文化の継承」ということに全く気が向いていなかった。
用意した昨年度の総括は、何が課題として残され今年度改善する必要があるのかを考える上での
材料として使えるものになっていなかった。「創」に載せる原稿としても十分な情報が揃っておらず
OB・OGに読ませるもの、後の誰かのために情報を残しておくという事にも浅慮であった。
そして、追い出し合宿の掲示板での報告。これが完成しなければ「平成26年度」は終わらない。
また「型」(各欄を埋める)が整っても「想い」が付随しなければ「文化の継承」はなされない。
「想い」を込めるためにも何を何故やるのかを意識していきたい。

○渡邊諒太(26期, 4/13, 1:05)
■1.相手に伝わる話し方をする。
毎回、刮目を述べる際にいつも言おうする全てを喋ろうとして、結局相手に伝えたい・伝えるべきことが伝わりません。
これは刮目の時間に関わらず、人と話したり議論したりする際にずっと課題として残っています。
今の状況を解決するためにも三行で人に分かる、納得する様な文章を書くようにしていこうと思います。

■2.幹事としての役割
第一回目のゼミは本来ならば18:30には終える予定でしたが、非常に予定を押してしまうことになりました。
幹事としての重要な役割の一つとして、タイムマネジメントがあると考えています。
昨年度では身に付けることが出来ていない為、残された機会をしっかりと活かしていきたいと思います。

■3.「形」ばかりで「心」が全く伴っていない。
先生から、追い出し合宿をはじめとしたゼミ生の一連の行為に対する真摯さの無さについて、強くお叱りを受けました。
「形」ばかり気にして「心」が伴っておらず、「ここではこうしとけば良いだろう」という態度を取り続けている事が我々の一番の問題です。
この一年を良いものとするには、私たちのこの姿勢を改善できるかに掛かっています、必死になりしょう。

■4.自分の「心」の無さ
ゼミに対し、とりわけ追い出し合宿について、真摯さの無い姿勢を取ってしまったのは他ならぬ私ではないかと考えています。
「春合宿か、追い出し合宿か」などという「形」に一番囚われ、一方で総括の叩き台としてあまりに拙いものをレジュメとして作ってきました。
人の為にも、自分の為にも、ゼミ幹事として頼られる人材でなければなりません。
「心」の伴った人間になることを第一回目のゼミとして、この一年の自分に課します。

※全体としてのバランスを考えましょう。
 今の書き込みでは、■1〜4がフォント太字と下線で強調されていますが、一方で、名前・期生・時間は強調されていません。
 他の人の書き込み、そして全体を見てみましょう。上から読んでみて明らかに法則性を乱し、見やすさを損ねていませんか。
 そして、自分の書き込みにだけ強調を入れ過ぎるのも、あまり感心しません。報告内容自身、そして他の人の書き込みを潰してしまうからです。
 (表面的な)「自分がどう見られているか」に、囚われていませんか。
 他の人、全体それ自身をよく見ましょう。相手が何を感じ考えているか、全体がどうなっているかを考えましょう。
 聞き手に伝わる話し方をするのも、幹事としての役割を明確に意識化するのも、相手のために心を込めるのも、全てはそこからではありませんか。
 大きく言うようですが、それが「課題」を抜け出すことであり、渡辺君の成長の第一歩ではないかと思います。(中村)

→中村さん、遅くなりましたが全体のバランスを受け修正を致しました。
 「全体(相手)」をきちんと見ることなしに「自分」ばかりに立ってしまったことを
 この刮目の書き方についての指摘を受けて初めて気が付きました。
 「周りがどの様に振舞っているのか」ということなしに、自分がどう振舞うかに囚われていました…。
 全体がどの様になっているのかを確かめた上で自分がどう動くのかを考えるように努めます…!(渡邊)
 
○藤田航平(25期 4/13 15:30)
もう一度4年生として1年過ごすことになりました。
もう1年学ぶ上で、去年を学生最後の1年として過ごしたことは大きな意味があったと感じます。
学生として、ゼミ生として、やり残したと感じたこと、もっと上手くやれたと感じることがたくさんあったからです。
これらは卒業が目前となった4年生にしか得られなかったことです。
せっかく学生としてもう1年過ごす以上、そういった心残りをひとつずつ取り除いていこうと思います。
今年1年を漫然と過ごすのではなく、去年みつかった課題を意識し、大切に過ごしていきます。
そして、もう1年過ごすことになったこのゼミの場と縁を大切にするために、
その意識を自分だけのものではなく、ゼミ全体に活かす形で意識していきたいと思います。

○石嶺佑騎(24期 4/13 21:30)
5度目の三戸ゼミナールが始まりました。
三戸先生をはじめ周りの三戸ゼミの皆は「居てくれて良かった」と言ってくれました。
・・・嬉しいです、そして少しだけ「居続ける」ことにだけ感謝されるのが悔しく感じます。
学校では最後の三戸ゼミナール、これまで以上に大事に過ごし、
皆に「ただ一緒にいてくれた」ことだけじゃなく感謝されるような一年にしていきたい
と思います。

今回はまず、きちんと掲示板についてけじめをつけた後、新たに三戸ゼミナール
でよい学びを得たいです。


〇笹井純也(26期 4/18 3:06)
■ 「課題」として捉える姿勢
先生から「課題として捉えている」とのご指摘を受けました。
本当にその通りだったと思います。

私はあらゆる物事を「課題」として捉えていた、そう気付きました。
それは今回のゼミの件だけではなく、趣味である吹奏楽の練習から、
「生きる」という事それ自体に至るまで、僕はどこかで「課題」として捉えていました。
物事を「課題」として取り組む限り、その人生は「受動的な人生」であり、
「自分も他人も豊かにする」ことはできません。
自分や他人を豊かにすることができない、豊かにしようとも目指さない、
そんな人生に意味などあるのでしょうか。
「課題」として捉える姿勢、脱却したいです。

しかし……、
このままではその姿勢から脱却できない、とも私は感じています。
課題として捉えないようにしよう、と考えると、
「課題として捉える姿勢から脱却する、という課題」と捉えてしまうからです。

よって、まずは「物事を課題として捉えない人」を見つけて、
その人はどのような考え方をするのか、何を意識し行動するのか、
観察しながら学んでいきたいと思います。



【記事No.549 編集キー:549】
→○渡邊 諒太(26期, 4/13, 1:10)
 このキーは編集をする際とてもやりやすいのは確かなのですが、
 春休みの間に掲示板上で先生からコメントを頂き、キーの付け方を考え、学んだと思います。
 今回の場合「h27_spring_1th」であったり、編集のしやすさを考慮して
 「h27_1th」とするのが良いかと考えました。
→○佐藤(26期)
 今回設定する際にも、どう設定するか考えた。
 ただ、全体掲示板と違い、活動報告版は記事とパスワード入力の蘭が離れていて、さらに記事NOも入力する必要があ ることを考慮して今回のような設定にした。
 あまりに長いものや記号を含むものだと、編集の際に手間がかかると感じたから。
 h27_1th(1stだと思うけど)ならまだいいかも。
 もしくは20150407のように日付けの数字にするとか。
 →○渡邊(26期)
 1stです、お恥ずかしい…。汗
 自分で言っておいて何だけれど、通年でゼミの回数を記録していないので、
 「h27_s1st」(Springのs)「h27_a1st」(Autumnのa)
 とするのが文字数的にもベターかも。


[548] 題名:本の交換会のテーマを決めましょう!! 名前:佐藤樹 投稿日:2015年04月08日 (水) 21時57分

本の交換会幹事の佐藤です。
今年度の本の交換会のテーマはまだ決まってないですね。
なので、この場で今年度の本の交換会のテーマを決めましょう。

【決め方】
自分が紹介したいテーマ、自分がやりたいというテーマを掲示板に書いてください。
もちろん理由も。
また、他者の提案に対する賛同、反対も募集します。
多数の提案が出た場合、掲示板上にて投票を行ってきめます。
あまりにも意見が出ない場合は、別の方法で考えますが、去年のように長引かせたくありません。

今年の本の交換会がいいものになるかどうか、テーマ選びにかかっています。

⇒今年で最後になるであろう「本の交換会」だ。
 「過去からのこれぞ」というテーマと、「やるべきだった、やり残していた」テーマ、
 という観点でテーマ選定をしたらどうだろうか?
 新書シリーズにしても一工夫あっていいと思うが。

 よく考えたうえで、決定すべきことだが、
 「最後の年」なら、卒業生にも選定・紹介に参加してもらうことは
 来年以降に繋がるかもしれないと思うが。


→○佐藤
 先生コメントありがとうございます。
 自分は、すぐ決めることにとらわれていた気がします。
 今年で最後とせず、来年以降にもつなげるためには@どのようなテーマをAどのように決めるか
 ということを意識して決め方を決めます。
 


【提案】

○SF
(佐藤)近代科学技術の未来を考えることにつながると考える。また想像力の引き出しを増やすことにもつながるだろう。また、新書以外の本を手にとることや、大作に触れる機会になると考える。

○今までもらった中で一番の本
(佐藤)今まで、もらった本を評価することがなかった。今年度の最後に今までもらった本から1冊(数冊)持ってきて、振り返るという場を設けたいと思っている。

○雑誌
(佐藤)昨年度、先生が最近の月刊誌はいい、ということをおっしゃっていた。現在、どのような雑誌があるかということを確認し、手に取り、紹介する場を設けてはどうだろうか。
⇒雑誌は面白いが、「"本"の交換会」にふさわしいか?
 理由は、みんな考えてみたらいい。
 (かつてマンガをやったが、もう一度、にはなっていない。)
 →佐藤(26期)
  雑誌がなぜ、本の交換会にふさわしくないか。
  この問については、ゼミ生と話し合い、考えます。
  それが、今年どのようなテーマがふさわしいか、という問にもつながると思います。
 
○哲学 +(石嶺) +(渡邊)
(佐藤)昨年の古典名著で紹介しようと買ったが読みきれなかったニーチェの『ツァラトゥストラ』を最近読んでいる。哲学は、自分の中に新しい見方を与えてくれると考える。それを自分のものとし、自分の言葉で紹介することをやりたい。また他の人がどのような著者・イトルに惹かれて、本を買い、どのような切り口で紹介するか興味深い。


〇「未来・将来」
(木田) 余裕のある学生のうちにこそ、現代や今のみではなく、
視点を高くして未来について考えるべきではないか。

〇「歴史」
(木田)未来・将来を考えるためには歴史を知る必要があるのではないか。

〇「地域・地方」
(木田)消滅可能性都市など、今の日本で一番大きいのは地域・地方の問題ではないか。

○「企業・経営」
(石嶺)やはり私達は経営学部なのだから、企業・経営は欠かせないテーマだろう。
今年就活をする4年生・院生の方々にとっても有用な交換会となるのでは。どのように企業
を選ぶのか、過ごすのか、どう経営するのか、様々な視点から本を選べる。

○「環境・社会(問題)」(+高橋)
(石嶺)上の幾つかを見ると「未来」を考える為のテーマが多かったため、ならば
このテーマも併せて考えたいテーマだと感じた。SF(近未来予想)、地域・地方(日本の社会問題)、
ときているので環境・社会(地球全体の問題)として。

○「趣味」
(渡邊)それぞれが持ってきやすいものを意識したテーマです。
当初「芸能・アニメ・ゲーム」や「サブカルチャー」を考えましたが、
もう少し各人が持ってきやすく、他のゼミ生が「発見」できるものとして提案します。

○「伝統・文化」
(高橋)伝統と文化という言葉をよく聞く一年でした。
残したい・大切にしたいなら、まずそれを知る必要があります。

○「日本」+(渡邊)
(藤田)この国に生まれ生きる上で、このテーマの本は知らねばならないでしょう。
そして、過去の本の交換会でも何度か採用されたテーマでもあります。


【コメント】
〇 木田 (4/08 23:30)
せっかくなので、過去のテーマも参考にしましょう。
(例年でもその方がよいし、現役生としてやるのは最終年度なので...!)
本の報告会のリンク集(暫定)
それと、各出版社の特徴を知るための新書シリーズ、
大学生なら本棚に置かなければならない「名著・古典」など、
毎年やっているテーマを今年もやった方が良いと思うけど、
今年一年の交換会に向けて何テーマ挙げれば良いのかな?
→佐藤(26期,4/10 14:00)
毎年やっているテーマをやったほうがいいとは思いますが、たとえば、新書シリーズは担当を振り分けて2回で行う、ということも可能です。
毎年やっているテーマをどのようにやるかで、何テーマというのは変わってくるので、今の段階では何とも言えません。
今年は特殊な年なので、毎年やっているテーマをどうするか、も考えていく必要がありますね。


○石嶺(4/9 11:51)
佐藤場立てありがとう!
本の交換会が何のために行われるんものなのか、そして一昨日坂倉さんが仰っていた
「良いテーマとは何か」を考えながらしっかり進めていこう。
今のところ「未来・将来」がテーマの候補が多いように感じる。そのことを考える為には
どのテーマが一番よいのか考えてみたい。
→佐藤
 未来・将来が多いのは同感です。おそらく昨年度の論文の影響ですね。
 また同じように歴史や伝統といったものも多く上がっています。
 昨年度の勉強を踏み台にテーマを設定するならば、そこに注目して決めるのも手ですね。
 しかし、最後の年の本の交換会と考えると、昨年度の勉強の延長で設定していいのかは疑問ですね。
 テーマ設定は難しいです。

【記事:548、削除キー book】


[547] 題名:2014年度追い出し合宿報告 名前:佐藤樹(26期) 投稿日:2015年03月21日 (土) 04時27分

≪目次≫
T.基本情報
U.合宿テーマについて
V.チーム順位・個人部門各賞報告
W.ゼミ内討論会
X.掲示板書き込みベスト10
Y.クイズ企画
Z.修業式
[.その他
\.合宿マニュアル化
].刮目
 

T.基本情報


【日時】2015年3月17日〜19日
    一日目(3月17日):12時00分〜25時00分
    二日目(3月18日):07時30分〜29時00分
    三日目(3月19日):08時00分〜17時00分
【場所】千葉県夷隅郡御宿町 民宿「御宿ニュー日の丸」
【出席状況】(敬称略)

       要石―三厨昌平(25期)、木田世界(25期)、{浦林幸輝(25期)}、{馬辰卿(25期)}、
発言しないで委員会―笹井純也(26期)、坂本恵理奈(25期、18日昼より参加)、高橋篤史(26期)、{石嶺佑騎(24期)}、{新山公太(24期)}
    奪たすき隊―佐藤樹(26期) 、藤田航平(25期、18日午後まで参加)、渡邊諒太(26期)、阪本夏美(院生)、{安藤陽介(25期)}
          中村貴治(院生)


U.合宿テーマについて


今回の合宿は今年度の状況、合宿への出席状況を鑑みた上で「平成26年度三戸ゼミナール春合宿」とし、「今までの心残りを無くす」、
というコンセプトのもとで準備を進めることとなっていたが、合宿の時期が近づいてくると共に、
ゼミ活動へ精力的に取り組んできた四年生や我々三年生の「やはり追い出し合宿がしたい!」という思いが強くなった。
その旨を度々相談に伺う中で、追い出しをしなければ「心残り」となるだろうということで、
春合宿のスケジュール上に追い出しの企画を組み込むことを先生に了承していただいた。

しかし、そのことから我々の準備は完全に「追い出し合宿」を行うものへと進んでゆき、
本来先生が意図されていた、元々のコンセプトであった「心残りを無くす」という所から離れていった。
その結果として当日において、この合宿は心残りを無くす「春合宿」なのか、卒業する先輩方を追い出す「追い出し合宿」なのか、
という問題が発生し参加者を混乱させてしまった上、最終日までこの疑問を参加者に抱かせ続けることとなってしまった。

最終的には、この合宿を「追い出し合宿」としての形を保ち、ラストスピーチ、修業式における修業証書授与を執り行った。
これによってゼミ生の間では四年生を追い出すことで思いを遂げる事となったが、
今までのゼミ活動とゼミ生の思いを鑑み、「心残りを無くす春合宿」というコンセプトを了承してくださった、
三戸先生の意向を無視するような形になってしまったことは心に留めなければならない。
その上で、我々はこの合宿をどの様に位置づけるべきであったのかを考える必要がある。
今回「追い出し合宿」として進めたが、このように考えることが元々のコンセプトであった
「心残りを無くす」ということを果たすことにもつながるのではないだろうか。
「私の意向を無視」とあるが、その「意向」とは何かな?
「元々のコンセプトであった”心残りを無くす”」の”心残りを無くす”とは同じ?違う?
合宿の「成功/失敗」は何によって決まる?
「成功/失敗」と「合宿テーマ」の関係は?
今回の合宿は「成功/失敗」?


←返答が遅くなり申し訳ありません、
 まだまとまった答えとなっておりませんが、今考えられている事だけでも
 とり急いでこちらに応えたいと思います。(渡邊)

>「私の意向を無視」とあるが、その「意向」とは何かな?
 本来は、その一年で追い出しにしかるべき活動をしているという前提があり、
 (これはどの様なことを指すのかをまだ具体的には理解していませんが、掲示板などを考えると…。)
 ゼミ生全員がそろって合宿に参加した上で、ラストスピーチや修業証書授与などの
 「追い出し」の儀式を行うことがである、というお話を合宿以前にお話しされていました。
 しかし、今回の合宿ではこの条件に合致しておりません。
 それでも我々の「追い出しをしたい」という気持ちを汲んでくださり、
 春合宿に追い出しの企画を「組み込むことを」了承してくださったと考えています。
 その一連の流れを踏まえると、今回この合宿を「追い出し」としてしまったことは
 こういったことを無視することになってしまうものでした。

>「元々のコンセプトであった”心残りを無くす”」の”心残りを無くす”とは同じ?違う?
 今回の合宿が今年度のフォーマルな活動の最後であり、締めくくりであると考えると、
 4年生を追い出すという形にならないというのは大きな「心残り」になったと思います。
 その点においては、「心残りを無くす」と「追い出す」ということは共通していたのではないでしょうか。
 しかし、「心残りを無くす」とは追い出しに限ったことではなく、日々のゼミ活動や討論会における「心残り」もあり、
 討論会企画や掲示板書き込みTop10企画は今までの活動に対するものでありました。
 にもかかわらず今回の合宿を「追い出し合宿」と位置付けその形にするのは、
 その点において異なってしまっていたのではないかと考えています。 

>合宿の「成功/失敗」は何によって決まる?
 合宿前、当日に向けて準備をし、合宿中にはその運営をする、
 これは参加者が「参加して良かった」と言ってもらえるような合宿にするためのものではないでしょうか。
 参加して良かったと思えるようにするためにはどうするのか。
 良い話の三条件である「役に立つ話・感動する話・面白い話」という軸と、
 合宿のはじめに先生がおっしゃった「良い合宿」のお話を元に考えてみると
 自分の将来の糧となる(役に立つ)合宿、思い出を作り絆を深める(面白い・感動する)合宿
 であることが必要なのではないかと考えました。
 (ただ、良い話と良い合宿の対応関係を考えてみましたが、整理されている気がしません。)

>「成功/失敗」と「合宿テーマ」の関係は?
 合宿テーマはそのコンセプトを示すものであり、「何のためにやるのか」という狙いによって
 「何をやるのか」が変わってきます。その結果「何が残るのか」も変わるのではないでしょうか。
 合宿の「成功」について一歩考えを進めてみると、
 何を参加者の心に残すのか、何が良かったのかと問われた際「こういう理由で良い合宿だった」と
 その合宿における狙いに沿った形で参加者が答えてもらえることが「成功した」ことになるかと思います。
 つまり、テーマがあいまいなままであることは狙いがぼける事であり、合宿の「成功」を遠ざけてしまうものではないでしょうか。

>今回の合宿は「成功/失敗」?
 最終的に「追い出し合宿」としてまとまったものの、全体としては今回の合宿は二つのテーマが提示されたものでした。

 追い出し合宿としては参加した方々に「良かった」と言ってもらえる合宿であったのではないかと思っています。
 僕自身も、あの3日間は「良かった」と心に残るものでした。そういったところから感覚的には成功ではないかと思っています。
 ただ、やはり卒業する先輩方全員を「追い出す」という事なしにその様に言ってもよいのだろうかという疑問はどうしても残ります。
 これは「何のために追い出しの合宿をするのか」という事に深くかかわっている問題ではないでしょうか。

 心残りを無くすという合宿としては、成功というのは難しいのではないかと考えています。
 討論会企画においては論文について自分たちが何を述べていたのか、
 そしてその問題点は何かを明らかにすることが出来たものの、それらの問題点はいまだ課題として残っています。
 また掲示板書き込みTop10企画も、合宿中に決定づけることは出来ず残っております。これは「心残り」を結果的に残しままであると考えられます。
 最終的に「心残りを無くした」と言えるようにするためには合宿後すぐに無くすように働きかけるべきでした。

←aquaは光って実に見にくいので、変更させてもらった。

 カラーリングは目立たせ、注意を惹くために使うものだろう。
 今回の場合は、必要だっただろうか?
 「答えました」という意図はよくわかる。
 だが、私は「いつ回答を、どのようにするだろうか?」と注意をしているから、…。

 また、PCのディスプレイは機種により発色が驚くほど違う。
 自分のPCでは問題なくても、他の機種では見にくい・違和感、となる可能性を考慮しておくといいだろう。

←先生、フォントの変更ありがとうございます。そしてお手数をおかけして申し訳ありません。
 他の26期生がaquaを使っていたことから、自らが何ら考えずそこに倣ってしまいましたが、
 読み手に対しどのような印象を与えるのかを考えなければならないと教えていただいているにも関わらず、
 それが読んでもらう相手に立ったものであるか、という視点を欠いておりました。

 これはこの場に限ったことではなく、自身の普段の振る舞いもその意識が乏しいことから来ているものです。
 言動をする際に立ち止まって、意識的に振る舞えるように努めます。(渡邊)

V.チーム順位・個人部門各賞報告


◎チーム順位

優勝  要石   179pt

(勉強point147、企画point30、その他point2)
討論会企画の質問状・回答状や夜のクイズ企画などで違いを見せた四年生チームが優勝!!
▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮

準優勝  奪たすき隊    159pt
(勉強point136、企画point15、その他point8)
たすきは奪えたのだろうか。準優勝だけに、メンバーのこれからの行動が注目される。
▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮

3位  発言しないで委員会  151pt
(勉強point133、企画point13、その他point5)
こんな順位でいいんかい!?(いや、よくない!)
▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮▮

※▮一つにつき10point(四捨五入)。
 青は勉強point赤は企画point黄色はその他pointを表しています。

(総評)
 総合得点は僅差であり、チーム間の順位競争が最後まで行われた。
 これはチーム制の目的の一つである、
 「チーム間の競争とチーム内の協力を促すこと」に合致している。
 去年度の春合宿と夏合宿の反省を活かすことができたため、
 今回は最終日まで僅差を維持できたのだと思われる。

 その一方で、改善すべき点もある。
 まず、pointの加算理由が適切ではなかった。
 例えばミニ討論会では、発言回数に応じてpointが加算された。
 しかしpointは「どれだけ個人(チーム)が企画に貢献したか」、
 という軸から配分されるべきである。
 よって発言回数だけでなく、発言内容も加味する必要があっただろう。
 (発言内容を判断する場合には、得点計算のしやすさも考慮する。)

 そして、企画pointの割合が低くなってしまった。
 予想では「勉強:企画=6:4」となるはずであったが、
 実際には「勉強:企画=7:1」となってしまった。
 ミニ討論会と掲示板ベスト10に力を入れた結果ではあるが、
 また同時に、合宿全体にかける時間をイメージできなかったためである。
 つまりpoint配分を準備する際には、合宿全体のイメージもしなければならない。 

◎個人部門各賞
MVP なし (残念)
(理由)
 MVPの条件は、自らのめざましい活躍で所属チームを優勝に導くこと。
 今回の優勝した要石チームの二人は活躍したといえるものの、
 特定の個人のおかげで優勝できたとは言えなかったことが
 MVPが選出されなかった主な理由です。

刮目賞 坂本恵理奈(25期)
(受賞理由)
 一回一回の発言のセンスの良さ。
 人物や物事に対して、正確に見る力と真摯に向き合う姿勢。
 本人やゼミ生がそれまで何となくは認識していたものの
 気づいていなかった坂本さんの特筆すべき能力と人柄が
 先生に指摘されたことで改めてゼミ生に注目されるようになったことが主な受賞理由です。

[追記 byN]
 「先生の指摘によって注目されるようになった」では不十分なのでは、と思い追加します。
 坂本さんに力があることは皆気付いていましたが、今回の合宿で特筆すべき点は、
 坂本さんの「主に三年生に発言をさせよう。でも、彼らが発言に詰まった時は自分が適切にフォローしよう」という
 参加にあたっての「意識性」が伺えたし、更にそれが皆にわかるかたちで達成できていたことだったと思います。
 他のゼミ生も何か意識して合宿に参加しようとはしても、それをどこまで明確に意識して自分の課題にできるか、
 そしてその課題をどれだけ全体に活かすかたちで達成できるか、というとそれぞれに壁があると思います。
 今合宿での坂本さんは、そのそれぞれを達成できていたという意味で、
 また一段力が上がったなと刮目したし、学部時代にそれらが達成できるようになるのは評価すべきことと思い、推しました。
 (あとは、その感覚をどれだけ自分のものにできるか、ということだと思います)

(受賞者の言葉)
 刮目賞を頂けるなんて思ってもみなかったので、正直驚きました。
 私も笹井くんと同じで、今回初めて賞を頂きました。
 卒業時に最初で最後の賞を頂くというのはどうなんだとも思うのですが、
 先生をはじめ、中村さん、そしてゼミのみんなに評価され、とても嬉しく思います。
 力が上がったと評価されることはとても嬉しいですし、そういう風に自分を見てもらい、
 そしてこのようにコメントを頂ける場があるというのは本当に有難いと感じます。
 しかし、自分の目標を全体に生かすかたちで達成しようとする意識が明確にあったかと言われれば、
 そうではないと思います。自分の目標を明確に立て、意識してそれに取り組むと同時に、
  その目標をを全体における成果につなげることを、今後はより意識できるようにしていきたいと思います。
 そのように意識して取り組むことが、Nさんが仰っているように、この感覚を自分のものにしていくことに
 つながるのだと感じました。

期待賞 笹井純也(26期)
(受賞理由)
 追い出し合宿幹事として準備の段階から頑張っていた笹井。
 その頑張りが実を結ばないことも少なくからずあった(他のゼミ生のサポート不足も要因の一つ)。
 笹井ならもっと上手く幹事として働けただろうという期待。
 今回の反省を生かして次も頑張ってほしいという期待。
 二つの期待をゼミ生に込められたことが主な受賞理由です。

(受賞者の言葉)
 初めて、僕は合宿で賞をもらいました。
 期待されている、という面で嬉しく思います。
 しかし、「別名残念賞と言われる期待賞([402]2012年度追い出し合宿全体報告より)」です。
 これからは「期待を受けた"だけ"の人間」では収まらないよう、行動したいと思います。

W.ゼミ内討論会



以下の二点を中心に自分のチームの回答コマの報告をしてください!
@議論の記録:議論においてどういうことを問題にして、何がわかり、何がわからなかったのか。
A先生のお話:特に各章の役割が何で、そこで何を問題とすべきであり、何が不十分であったのか。
また、その後、議論全体を通して学んだことを書きましょう。
一定時間が経っても、書込みがなされない場合、どうするのか?

ご報告が遅れ申し訳ございません。
各チームリーダーに進捗を確認し、ちゃんと議論をまとめられるか確認しています...! (木田)

第一コマ:第一部 水野資本主義



1.発言しないで委員会からの質問
(1)水野資本主義論における「中心」「周辺」について
「中心」と「周辺」の明確な定義はされておらず、説明はその機能を以てされている。では、「中心」「周辺」を定義するとどうなるのか。
(2)空間革命について
(@)「空間」とは何をもって空間とするのか。空間を空間と呼ぶための条件は何なのか。
(A)長い21世紀における空間革命における定義が、第一部と水野のテキストでその解釈が異なるのは何故か。
第一部においては、電子・金融空間の創造のみを空間革命としている。
水野は、電子・金融空間の創造で地理的・物的空間が限界を迎えた後の、中心・周辺が先進国・後進国という国家間の関係から
富裕層・貧困層という個人間の関係に組み換わることを空間革命と捉えていたのではないか。

2.回答
(1)「中心」と「周辺」は富を蒐集する側とされる側であり、二つの概念があって初めて成立するものである。
どこを中心―周辺とするかは様々であり、「先進国―途上国」「資本家―労働者」などが当てはまる。
何を蒐集するかも奴隷や資源など様々であるが、資本主義は富を蒐集し、資本を自己増殖させるのである。

(2)空間革命について
(@)空間とは何かを厳密に定義することは水野資本主義を理解する上で重要である。
しかし、こちらで十分な考察を加えることが出来なかった。
またこの場においては十分納得するレベルまでの議論は難しいため、今回は明確な回答は出来ない。→<わからなかったこと>へ。

(A)確かに水野はグローバリゼーションも重要視している。また、グローバリゼーションは政治システムやイデオロギーの変化を起こしていると考えることも出来る。
 しかし国内に周辺を生むということは、現代のグローバリゼーションに特有ではない。
例えば、産業革命の時代のイギリスでは、労働者は低賃金で過酷な労働を強いられていた。
現在より劣悪だったのではないだろうか。
また、長い16世紀にもグローバリゼーションは起きているが、
それにより国内に中心/周辺構造は生まれたのかは分からない。
これらのことから、長い21世紀のグローバル化によって国内に中心/周辺構造が生まれるという水野の論には納得しきれていない。
そしてこれを明らかにするためには、中心/周辺の概念を詰める必要があり、
今の段階では答えられない。

 また、水野の空間革命では資本主義が延命する。
しかしシュミットの定義からすれば、封建荘園システムから資本主義に変わったのではなかったか。
政治経済システムの変化ではなく現行の経済システムを延命させるものを何故水野は「空間革命」と述べたのか。
その理由は水野が利子率に着目しているからと考える。
利子率に着目しているために、利子の公認が資本主義のはじまりであり、
利子率が資本主義の重要な指標なのである。そして長い16世紀の空間革命によって、利子率は上昇した。
故に水野は空間革命によって利子率が上がると考えているのではないだろうか。
そして、電子金融空間は利子率=資本利潤率を投機や債権の商品化によってあげたために、空間革命だ、と水野は考えているのではないか。

3.質疑応答・議論のまとめ
<分からなかったこと>
(1)蒐集とは何か
 中心/周辺の定義をするためには、蒐集とは何かを詰める必要がある。蒐集と呼ぶための手段や対象を突き詰めることをしなければ、グローバル資本主義における中心/周辺構造は中心/周辺足りえるのか、や、グローバル資本主義が資本主義と呼べるのか、等という問題が解決できない。資本主義の終焉を考える際にも、蒐集の定義をはっきりさせなければ、明確に何が終わるかを示すことができない。
(2)空間革命における空間とは何をさすのか
 長い21世紀の空間革命が何かをはっきりさせるためには、空間の定義をする必要がある。それによって、グローバル化が空間革命なのか、電子・金融空間の創造が空間革命なのかがが分かるからである。

第二コマ:第二部 水野資本主義終焉論


1.要石チーム(三部担当チーム)からの質問
要石チームは、以下の3つの質問をした。
(1)どの資本主義が存続するのか?資本主義が存続するとはどういうことか?
@蒐集 A広義(利子) B近代(海の時代) Cマネー・グローバル(電子・金融)

(2)資本主義終焉を惹き起こす他の要因は無いのか?
 現在の世界全体、および日本における経済の低迷の要因は何であると考えるのか?それらの要因
を解消することは可能であると言えるのか?資源価格高騰と地理的フロンティア消滅以外に、資本 
主義を終焉させる要因は無いのか?

(3)マネー資本主義、グローバル資本主義、中間層の没落について
 @マネー資本主義・グローバル資本主義はどうなるのか
存続or終焉、どの部分が、その理由は
A中間層の没落の要因について
  中間その没落を引き起こす新自由主義やグローバル化は続くのか

2.発言しないで委員会(二部担当チーム)の回答
我々は以下のように答えた。
(1)「近代資本主義が存続する」「マネー・グローバル主義の存続/終焉は詰められていない」
水野の論に立つならば、 資本主義の継続、すなわち資本の自己増殖(成長)にとって必要なもの
は、新たなフロンティアというよりもむしろ市場規模と安価な資源の供給先であり、その両者ともさ
らなる拡大が可能である事が理由である。

(2)「欲望の減退や資源の枯渇等が資本主義の終焉をもたらす可能性はある」
 しかし、今回それらの要因が進行することでどのように資本主義を終焉させるのか、というところ
まで考えられなかったため、今後そのプロセスを考えていきたい。また、資本主義と言っても近代資
本主義主義やグローバル資本主義と様々な資本主義があるため、今後それらがどのような機能を果た
し、前述した要因がどの資本主義に適応するのかということも考えなければならない。

(3)「テロや感染症などの弊害もあるがグローバル資本主義は存続する」
  「マネー資本主義は終わる」
もっと先へ」というイデオロギーを持つ近代では、市場を広げ続けるグローバル化は止まないであ
ろう。また、「資本の自己増殖を至上の価値とするイデオロギー」が資本主義であるならば、グロー
バル資本主義以前のような特定の国を中心とした資本蓄積よりも効率的にそれを行えるグローバル資
本主義が続くと考えられる。

3.質疑応答・議論のまとめ
当日の議論は、中間層の没落と近代資本主義の関係
を明らかにすることが重要であるとj考えられ、特に(3)の問題に焦点が当てられた。

<分かった事>
中間層の没落の理由は、
実物投資空間の限界による
@電子金融空間の創造で生じたバブルの生成と崩壊 
Aグローバル化
の二つであると水野は述べていた。
しかし、実物投資空間の限界がなくてもグローバル化は起きているし、
バブルはチューリップバブルの様に実物投資空間の限界なくしても起きる。
よって、水野の論・流れが正しいとは言えない。

<これからの課題>
資本主義にとって本当に必要なものは何か。
 考えられる例)安価な資源、地理的フロンティア、市場、起業家精神、イデオロギ…
中間層の没落は、水野の述べた理由で起きるとは限らないとしたら、何によっておこる物なのか
 考えられる例)グローバル化、生物としての本能、欲望…

4.先生のお話

中間層の没落とあるが、そもそも中間層が生まれたのは資本主義時代である(米フォード社)。
どうして中間層を生むことができたのか。それは企業、すなわちドラッカーの言う産業社会の
貢献が非常に大きい。
ピケティは戦争、水野は地理的フロンティア・安価な資源と述べている。
つまり、ピケティと水野にはドラッカー世界を認識していない。
水野は、資本主義を一貫して金利と市場として捉えそれを近代以前の古代・中世から追ってみている
ところに良さがある。

第三コマ:第三部 資本主義を終わらせるべきか


T:第五章一節 「トマ・ピケティ『21世紀の資本』から」 に関して


○ 要石チーム 木田 (25期 3/29 16:10)

1.奪たすき隊(一部担当チーム)からの質問
ピケティは、資本主義社会において格差が必然的に広がると言う一方、
グローバルな累進課税により格差を解決できると述べている。そうであるならば、
課税や規制強化等、その時々の社会状況に応じて制度を整えれば、
資本主義を終焉させる必要はないのではないだろうか。

2.要石(三部担当チーム)の回答
グローバル課税では格差を緩和できるかもしれないが、格差を根本的には解決できないであろう。
また、グローバル課税を導入することは現実的ではないと考える。なぜならば、
グローバル課税を行うためには税の徴収の決定と実行を担う世界的な機関(世界政府)の導入など、
政治システムの根本的転換が必要である。
資本の自己増殖を至上の価値とするイデオロギーが支配的である限り、
そのような新しいシステムの導入は不可能ではないか。
特に富裕層や企業などから大きな反発があることも予想される。

3.質疑応答・議論のまとめ
(1)格差は問題か
奪たすき隊:資本主義以前の社会にも常に格差は存在していた。
格差が存在していても満足していれば、格差の存在が大きな問題にならないのではないか。
要石チーム:たしかに格差が常に問題となるわけではないと言える。
しかし、現状の資本主義社会に存在している格差に対し、人々は満足であるとは言えないであろう。
(三戸ゼミ論文でも言及されている、日本における非正規雇用・ワーキングプアなどの問題をみれば、
たしかに格差が問題とされていると言えるのではないか。)

<分からなかったこと>
格差が問題となるのはどのような時か?
どれくらいの格差、どのような格差が存在すると、問題となるのだろうか?
資本主義社会における格差とそれ以前の社会における格差は、違いがあるのだろうか?
(そもそもなぜ格差は悪いのか?)

(2)グローバル課税を導入することはできるのか。
奪たすき隊:富裕層の反発があっても、中間層の支持があれば世界政府のようなシステムを作りグローバル課税を導入することはできるのではないか。
要石:経済・政治の指導者が資本主義のイデオロギーに縛られている状態では、システムの改革を行うのは難しいのではないか。
また、「グローバル累進課税の導入」と「資本主義を終わらせること」は、実質的には等しいまたは近いことなのではないか。
「グローバル累進課税の導入」を推し進めていけば社会主義に近づくのでは。

<分からなかったこと>
@誰のイデオロギーが社会のあり方を決めるのか?
それは、多数派の持つイデオロギーか、それとも社会を代表する人々が持つイデオロギーか?
A「資本主義を終わらせる」とはどういうことなのか?それはどのようなシステムまたはイデオロギーを終わらせることを意味するのか?

4.先生のお話し
(1)社会の捉え方:−政治/経済とシステム/イデオロギーに分けて捉える−
水野は資本主義を市場、システムの面から捉えており、そのイデオロギー面を捉えていない。
よって、イデオロギーの面から資本主義を分析する部分として、第三部が存在している。
第一部では水野の資本主義論を見、第二部ではそれを現状の社会に当てはめることで水野資本主義論の妥当性を確かめ、
第三部では特殊な水野資本主義論を一般の資本主義論と比較しつつ、資本主義のイデオロギー面に着目して分析する必要がある。


経済システムとしての資本主義は自由市場と株式会社を意味する。
そのため、グローバルな累進課税を導入したからといって、経済システムとしては資本主義でなくなるわけではない。
ノルウェーにも自由市場・株式会社は普及しているので、ノルウェーは資本主義だと言える。
しかし、ノルウェーの政治イデオロギーは社会民主主義である。
このように社会を政治/経済、イデオロギー/システムというマトリックスを用いて分析するべき。

(例)
<資本主義>
経済体制(制度)  …市場と株式会社
イデオロギー    …資本の自己増殖(=経済成長)

<北欧>
経済体制(制度)  …資本主義(市場と株式会社)
イデオロギー    …
政治社会体制(制度)…民主社会主義体制
イデオロギー    …

<日本>
経済体制(制度)  …資本主義(市場と株式会社)
イデオロギー    …
政治社会体制(制度)…これまでは、日本型社会民主主義
           現在は、新自由主義
イデオロギー    …これまでは、民主主義
           現在は、国家主義

中国は、共産主義国家であるが、改革開放など資本主義の経済システムを導入した。
このように、政治システム・イデオロギーと経済システム・イデオロギーが一致しないことがある。
資本主義と社会民主主義は相反するものであるかに見える。
しかし、社会民主主義的な政治体制でありながらも経済体制は資本主義ということはありうる。

これに対して、水野の中心周辺や蒐集という原理は、この政治/経済・システム/イデオロギーというマトリックスのどこに関わるのだろうか?

(2)ピケティの格差論と資本主義

@議論の評価

三戸ゼミ論文第五章一節の流れ
グローバル課税は不可能 ←「成長イデオロギー」
   ↑
グローバル課税で「格差」緩和。
   ↑←格差は問題(2つ)
  「格差」拡大
   ↑
資本主義は「格差」を生み続ける
   ↑
資本主義を終わらせるべきか?

三戸ゼミ論文の流れは以上のように表すことができる。
ゼミ生の議論では、一番上のグローバル課税が可能かどうかに終始してしまっており、
三戸ゼミ論文・水野の議論にどこまで納得できているのかというテーマと離れてしまっている。
グローバル課税の議論はどのような文脈で生まれているのか、という問いが必要だった。

しかも、グローバル課税が効果があるとは、事前の準備がない限りわからない。
TPPは可能なのに、なぜグローバル課税を不可能だと要石チームは主張したのか?

奪たすき隊の質問Tの「解決できるのではないか」という意図は何か?
なぜこの質問をするのか? この質問を通じて何を得られるのか?
ここには、ピケティの資本主義論に対して、
(もっとも書くべきである)賛成か反対かが書かれていないのではないか。

ピケティを三部で扱う理由は、資本主義を存続すべきかどうかを考えるためである。
 つまり、「ピケティによれば資本主義において必然的に格差を生み出す。
そして我々は格差に倫理的な問題があると考える。
そのため、資本主義義は終焉すべきだと我々は考えている。」というロジックになるはずである。

Aピケティ格差論から見る資本主義の是非
なぜ資本主義は格差を生み出すのか?その原因は、システムなのか、イデオロギーなのか。
この質問に答えるためには、
(@)格差は「拡大する」なのか、「生む」なのか(システムの問題)。
(A)資本主義は格差を是認するのかどうか(イデオロギーの問題)。
という二つを検討する必要がある。
ピケティは、
(@)資本主義は格差を拡大させる。
(A)格差に対しブレーキをかけ資本主義を延命させることに肯定している。 
そのため、ピケティは資本主義に賛成している。

(A)に関して、今までの社会を振り返ると、格差の拡大がない社会はなかった。
その格差を認めて資本主義を肯定するのか、
認めないのかを考えるためには格差がもたらす問題を検討する必要がある。

三戸ゼミ論文において、以下の二つが格差が問題である理由として挙げられている。
@貧困における犯罪。(本当に格差が貧困を生み、貧困が暴力を生むのか?)
A職業における不平等(社会におけるチャンスがなくなる。

資本主義は格差を広げるというシステムであったとしてみても、
その格差を埋める方策があれば認められるのではないか。
その方法が、スウェーデンなどの社会民主主義的な政治体制である。
要石チームの回答書P.2に「人々が資本の自己増殖を市場の価値とし
それに対するありとあらゆる障害を取り除こうとする考え方に縛られている限り」
グローバルな課税システムは実現できないとある。
この考え方が資本主義のシステムまたはイデオロギーを指すのなら、資本主義の批判となる。
しかし資本主義のシステムのなかで格差が縮められる方策を取れるのなら、
要石チームの主張は新自由主義への批判となり、資本主義の批判とはならない。
そのため、資本主義の定義が重要となる。

また、資本主義に対するピケティの立場を確認すると、
ピケティは経済成長を否定していない。資本主義と経済成長は一体化している。
ピケティは格差は認めるが、格差に弊害があることも指摘している。
そして、その弊害に対して対処しなければならないと主張する。
そのためにグローバルな累進課税という提案が出てくる。

ここまでで現代は新自由主義か社会民主主義か、という対立図式が生まれているとわかる。
しかし、日本では明確な対立図式になっていない。

新自由主義とは、格差が広がっても良い、競争の結果格差が生まれることで
より効率的な経済が実現されるという考え方であり、
民主社会主義とは、競争は必要だが、
格差に対して対処を行い緩和していかなければならないという考え方である。

<★まとめと今後の課題>
三戸ゼミ論文第五章一節の流れ(再掲)
A.グローバル課税は不可能 ←「成長イデオロギー」
   ↑
B.グローバル課税で「格差」緩和。
   ↑←C.格差は問題(2つ)
  「格差」拡大
   ↑
D.資本主義は「格差」を生み続ける
   ↑
E.資本主義を終わらせるべきか?

<AとEの関係について>
ゼミ生間で展開された議論では、資本主義を終わらせることとグローバル課税が同じのなのかどうか、
ということが議論された。
資本主義経済システムとは、市場と株式会社のことであり、
グローバル課税を導入してもこれらの要素があれば資本主義が終焉したとは言えない。
また、回答書では資本の自己増殖を至上の価値とし、
それへの障害を取り除いていこうとする考え方を問題視したが、
これは資本主義の問題であるのか、新自由主義の問題であるのか、検討が必要である。
その際に、資本主義のイデオロギーとはいかなるものであるのか、定義と概念を確認する必要がある。
現代社会における対立軸は、市場と株式会社という経済体制のシステムを認めながらも、
新自由主義的な政治体制のシステム・イデオロギ−V.S社会民主主義的な政治体制のシステム・イデオロギ−
という対立軸が展開されている。

<B〜Eの関係について>
また、ピケティに関しては、
@資本主義がなぜ、どのように格差を拡大/発生しているのか、
(@)資本主義は格差を拡大させているのか発生させているのか、
(A)格差を拡大/発生させているのは資本主義のシステムかイデオロギーか
A格差がなぜ悪いのか、
の確認が必要である。

U.第五章二節 「K.ポラニー『大転換』から」 に関して



ご報告が遅れてしまっておりますが、四月中には追記いたします...!


V.第五章三節 「佐伯啓思『欲望と資本主義』から」 に関して


○ 要石チーム 木田 (25期 4/04 19:10)

1.奪たすき隊からの質問
三戸ゼミ論文では、資本主義は新しいものばかりを追い求めるネオフィリアの性質を持つと述べているが、
資本主義社会においても古い伝統的な建物の保護が行われている。
資本主義は本当にネオフィリアだと言えるのだろうか?
(資本主義はどのような性質を持ち、社会にいかなる影響を及ぼすものなのか、
 水野のようなシステム面からだけではなく、精神的側面から考えたい。)

2.要石チームからの回答
伝統的な建物の保護は、むしろ資本主義社会において伝統が危機にあるからこそ行われているのではないか。
また、環境問題を考えれば、「欲望」を拡張させていき、
「必要」以上の消費を行わせる資本主義はもはや終焉させるべきだと言わざるを得ない。
また、佐伯は人間とは観念的な存在であり、欲望を経済の次元でなく、
文化・知識の次元で発揮させるべきと主張している。

3.質疑応答・議論のまとめ

・奪たすき隊
三戸ゼミ論文によれば、資本主義が新しいものを追い求めるのは、
欲望が「距離」(入手困難性)から生まれるからである。
古いものにも「距離」があると言えるから、
資本主義社会において古いものが追い求められることもあるといえ、
資本主義=ネオフィリアとは言えない。

・要石
たしかに古いものに対しても「距離」が存在するから、
古いものを欲望の対象となると言える。
(ネオフィリアは資本主義の問題だけでなく、近代の問題でもある。
 三戸ゼミ論文「結」参照。)

4.先生のお話し
(1)佐伯と水野の論から
@資本主義は終わらせられるか?
三部で水野以外の視点を持つことで、違った視点で資本主義を理解できる。

佐伯が言うように、資本主義社会における欲望には限りがなく、環境問題を引き起こす。
だから、水野が言うように定常化社会にして環境問題を引き起こさないようにするべきだという話になる。

資本主義が欲望と消費を喚起させるものだ。ここで、必要と欲望をなぜ分けるのだろうか。
必要は充足されてしまった段階で、満足する。トイレは必要であり、欲望とは言わない。
では、どんなことをすれば欲望が湧き上がってくるのか。
それは、ドラッカーの言うマーケティングとイノベーションである。
水野は定常型社会への移行を主張しているが、
必要なもののみに応える(≒定常化社会)と資本主義が立ちいかなくなってしまう。


A近代は終わらせられるのか?
ネオフィリアは資本主義の問題であろうか?
資本主義の前と資本主義の後を考えなければ、資本主義論と結び付けられない。
まず、資本主義は資本の自己増殖を至上の価値とする。
新しいもの・未知のものを追い求めた(≒ネオフィリア)例として、
コロンブスやマゼランはどうであろうか。
彼らは、資本の自己増殖を至上の価値と考えたうえで冒険に臨んだわけではない。
であれば、ネオフォリアとは資本主義に特有のものとは言えないであろう。

ネオフィリアは近代の進歩主義の問題であり、佐伯は近代批判をしているのではないだろうか。
新しくなったものを進歩といい、環境に適応したものを進化という。
それに対して進歩とは、神に近づく行動である。つまり、不老不死であり全知全能であろうとすることである。
このような、「進歩」という考え方から現代人が離れることは難しい。なぜなら、
 @企業、資本主義に絶対に必要だから。
 A我々は近代のイデオロギーにのっとっているから。
である。

佐伯が言うように、人間は観念的な存在であり、つねにフロンティアを目指し続ける。
だから、「進歩」をやめることに耐えられない。
そこにおいてどうやって社会と自然を存続させるのか方策を考える必要がある。
その視点で、CSVや、社会的企業、ドラッカーの理論を考えていくべきではないだろうか。


(2)三者の議論を合わせて考える
資本主義に対し異なる角度から分析している、ピケティ、ポラニー、佐伯の
三人の相互の連関を出すことによってさらなる学びを得る事ができる。

たとえば、ポラニーが貨幣・土地・労働が再生不可能であり、
商品化・市場化すべきでないと言っている。
ここで、文化も再生不可能なものではないだろうか。
だから、文化財を商品化し市場放任にするべきでないものに付け加えることができよう。

ここから、行政が税を用いて文化財・伝統の保護を行うことは必要なことであり、正当化されると言える。

また、ピケティは資本主義における格差・収奪を問題視したが、その以前の社会はどうであったのか。
ポラニーがいう贈与・再配分が支配的な共同体のなかでは、労働における暴力的な収奪はなかったのではないか。

X.掲示板書き込みベスト10


●掲示板ベスト10企画をする意義
自分たちが直に勉強できたこと/できなかったことだけでなく、
自ら勉強する前に、先生が教えてくださったことや先輩方が勉強したことから学び、
糧や血肉にする機会とする。
また社会に出る三戸ゼミ生として、「三戸ゼミとは何ぞや」「そのおもしろさたるや」を考え、
再確認し、三戸ゼミで学ぶことを誇りながら生きていくための機会ともする。

●評価基準
当日の議論では、「役に立つ」「面白い」「心に残る」が具体的にどのような物であるかを
どのチームも事前に考えておらず評価基準が曖昧でした。
そのため、まず最初に評価基準について議論し、
実際の書き込みを評価していく中でその答えを見つけていくことになりました。
各チームの推薦によって上位にノミネートされた投稿以外の全ての投稿にも
一貫して使用できるようにするため、評価基準を抽象化して定めることにしました。
その結果が以下の様になります。

@役に立つ…読み手の「頭」に残る
  (勉強になる、新たな知見を引き出せる)
A面白い…読み手の「感情」に残る
(直感的に笑える)
B心に残る…読み手の「心」に残る
(読み手と書き手の間で想いの一致が起こる)
+その他
 (文章量の多さ・希少性・その後の展開・返信の多さ等プラスの評価になる)  

・評価は、本の交換会の評価形式を踏襲して、A°〜C-の相対評価。
・全てがA+のものは、A°とする。
・原則A+以下は、各項目の評価の平均で決める。
例 役に立つ:A 面白い:A+ 心に残る:A°の場合 総合:A+
  役に立つ:B 面白い:A  心に残る:A の場合 総合:A−

●結果
・対象の書き込みの最大の売りは「役に立つ」「面白い」「心に残る」の内どれか。
・複数の書き込みで比較して、特殊性や優劣を比べる。
ということを行った結果以下のように順位が決まりました。

第一位
No.4663「岩切が見た25周年記念合宿 」
投稿者:岩切(4期) 投稿日:2013/12/04
 

<評価>
総合:A° 役に立つ:A+ 面白い:A+ 心に残る:A°

<選定理由>
役に立つ:A+
25周年記念合宿というゼミの節目の行事の貴重な資料である。
合宿の様子が詳細に書かれており、記念合宿を振り返る上で、また、次回の合宿の為にも、
おおいに貢献する記録であると言える。
さらに、どのような姿勢で合宿に臨むべきか、合宿で何を学び何に気づいたかが書かれており、学ぶべきことは多い。
面白いA+
数々のエピソードが生き生きと描写されており、合宿のイメージがありありと目に浮かんでくる。
まさについつい読み入ってしまう、何度も読み返したくなる報告である。
ブリッジのエピソード等、思わずクスリとさせられるものもあれば、先生のお話からの気づきなど、
岩切さんの視点の高さを感じさせられ、非常に面白い書き込みだと言える。
心に残るA○
このレポートを読むと、記念合宿に参加した時の喜び・高揚感や、うまくできなくて悔しく思った気持ちが蘇ってくる。
そして、岩切さんのような姿勢で合宿に臨みたいと思わされた。
記念合宿に参加できなかったゼミ生は、このレポートを読んで参加できればよかったと後悔させられるのではないだろうか。
また、25周年記念合宿に参加したゼミ生にとしても、これを読んで次の記念合宿が待ち遠しく思わされる。
総合A○
三項目すべてがA+以上であり、まさに非の打ち所がない書き込みと言えるであろう。
今後、これを超えるほど素晴らしい書き込みは出ないのではないだろうか。

第二位
No.4378「中島大輔君 披露宴スピーチ紹介その1 (その3まであり)」
投稿者:太田健一(3期) 投稿日:2000/01/01


<評価>
総合:A+ 役に立つ:A° 面白い:A 心に残る:A+

<選定理由>
役に立つA○ 
この書き込みでは、中島さんの結婚式での先生のスピーチの原稿が載せられている。
さらに、先生のスピーチに対して、先生ご自身とOBの方々が感想を述べ分析を加えており、
スピーチをどのように組み立てていくのか、良いスピーチとは何かを学ぶ絶好の教材である。
面白いA
和やかな雰囲気の結婚式場のテーブルで、三戸ゼミ生のテーブルだけ、スピーチを真剣に聞き、
それに評価を加えているところを想像するのも面白い。
加えて、いつでもどこでも学ぼうとするゼミ生の姿勢を知ることができる。
心に残るA+
この書き込みを読んで、中島さんやご家族、会社の上司など皆さんが喜ぶスピーチだったのだろうなぁと想像させられる。
そのような素晴らしいスピーチをしてもらったことを、とても羨ましく感じた。
また、ここには、先生のスピーチに加え、太田さんのスピーチも紹介されている。
スピーチ大会で学んだゼミ生が、卒業後もその教えを実践しているところを知ることができて、学んでいく際の励みになる。
総合A+
三項目のどの観点で見ても高い評価をすることができる。
特に、先生と何名ものOBの方が議論を交わし先生のスピーチを検討している点で、学ぶべきものの多い書き込みである。
評価をA+にするかA◯にするかで現役生の間でも意見が分かれ議論がなされた。
スピーチへのコメントのまとめがあれば誰もがA◯と評価する書き込みになったのではないだろうか。

暫定三位
・No.2976「一緒に楽しみながら、教えてくれる親父や兄貴はかっクイイ。」
投稿者:片岡ケンヨウ 投稿日:2010/03/29
(これも要参照:No.2978
Target="_blank">「片岡さん、大切なことを思い出させてくれて有難う。」


<評価>
総合:A 役に立つ:B+ 面白い:A 心に残る:A

<選定理由>
役に立つB+
この書き込みでは、太田さんをはじめ先輩のゼミ生と片岡さんとの間でエピソードが数多く紹介されている。
その中からゼミにおいて先輩方とどのような関係性を作り上げていくかを学ぶことができるが、
役に立たせる観点で整理した書き込みではないだろう。面白い・心に残るという側面に注目したい。
面白いA
興味深い掴み、多くのエピソードによる臨場感、工夫された独自の言葉遣いにより
「読ませようという意図」が伝わってくる書き込みであり、作者の卓越した文章力を感じさせる。
しかし、エピソードが羅列されてしまっており、わずかながら読みにくさを感じさせてしまっている。
心に残るA
OBの先輩方のとエピソードを多く持ち、深い関係性を結んでご指導して頂いていたことがうらやましい。
そして、自分がこのような関係性をOBや先輩と持てなかったこという口惜しさが込み上げてきた。
議論の中では、A+として評価すべきとの声も多かった。
この書き込みがストーリーとして組み立てられ、一つ一つのエピソードを描き切ったのならば、
読者を引き込みより強い共感が得られたであろう。
総合A
三項目の評価の平均をとり、Aという評価となった。


暫定四位
No:403-407「討論会を終えて思う」 その1 その2 その3 その4 その5
投稿者:佐々木真光(16期) 投稿日:2004/12/18

<評価>
総合:A- 役に立つ:B+ 面白い:A− 心に残る:A−

<選定理由>
役に立つB+
どこまでも「本気」を目指すという姿勢の元で討論会での反省点が書かれており、
討論会や勉強に臨む上でぜひ参考にしたい書き込みである。
しかし、資料(手引き)となるように意図して書かれている訳ではないので、この評価となった。
面白いA−
片岡さんの書き込みは、工夫された文章によって読ませることを意図している。
それに対してこの書き込みは、思った心をそのまま文章として表現することにより読ませようとしたと言えるのではないだろうか。
心に残るA−
投稿者の口惜しさ伝わる。討論会経験者が経験を振り返ったとき、佐々木さんほど、討論会の準備をし、悔しい思いをした人がいるだろうか。
他の作品に喜び・嬉しさが書かれていたのに対し、この作品は口惜しさが書かれていたため、評価が難しかった。
しかし、討論会への口惜しさを次にどうしたらよいのかをより整理して書き展望を見せる書き込みであったならば、
より高い評価を得たのではないだろうか。
総合A−
三項目の評価の平均により、A−となった。

Y.クイズ企画



〇掲示板クイズ
この企画では、先生が考えてくださったクイズを現役生のチームが答えていきました。
漢字パズルの早押しクイズでは、先生が黒板に書く問題を一目でも早く見ようと各チームのメンバーが見やすい場所に動き回ったり、
検索数予想クイズでは、選択肢の中の予想外の人物が検索数トップでゼミ生たちが驚いたりと、
白熱した時間になっていました。
次の合宿など機会があれば、また挑戦してみたいです!(木田)

三チーム対抗で先生が出されるクイズに次々回答。

「問:日経。東洋経済それぞれが出しているCSRランキングのTOP20にどちらも選出されている企業は何処か?」
という現代企業の動向がどの様なものであるかを問う問題から始まり、
「今年の大相撲の幕内力士、日本を除いて二番目に多い外国籍は?」という問いに対してGoogleなどを早調べ、
「季節はふつう『春夏秋冬』の順で現れますが、ある場所では『秋夏春冬』と現れます、さてここはどこ?」
というようななぞなぞまで、ジャンルや出題形式が多様なものであったため、ゼミ生全員が白熱していました。

ここで爆発力を見せたのがチーム「要石」、正解数を他のチームを圧倒していきました。
とりわけ、なぞなぞクイズを鮮やかに解いていく様には全員目を見開いていました。(渡邊)

Z.修業式


合宿の閉会式の直前、三戸ゼミ内での「修業式」を行ないました。
修業式の式次第は、以下の通りです。

・修業式 式次第
一、開式の言葉
二、修業証書授与
三、現役生代表送辞
四、卒業生代表答辞
五、先生のお話
六、閉式の言葉


〇修業証書授与
「修業証書、授与!」
現役生が書いた修業証書が、三戸先生によって読み上げられ、
修業証書は先生から卒業生へと、一人ずつ渡されていきました。

修業証書は、「その卒業生がどのようなゼミ生であったのか」が書かれており、
現役生(3・5年生)から卒業生(4年生)への想いがこもった、世界に1つの修業証書です。
@その卒業生がどのような功績をもたらしたのか、
A今後さらに期待したいこと、
このどちらも書かれている、三戸ゼミらしい修業証書となっています。(笹井)


[.その他


今回の合宿は、討論会・掲示板企画を最優先としたため、
ブリッジは2回で、相撲はできなくなりました。
また3日目のラジオ体操は、前日が朝5時過ぎまでやっていたために、先生のご提案でなしとなりました。
これを、どう考える?しなくてもよかったのか、それとも?
←この点について、各企画のコンセプトを考えてみました。
 コンセプトに立ち考えると、相撲・ラジオ体操は
 「しなくてもよかった」のだと僕は思います。

 相撲は、「本気を学ぶ」ために行ないます。
 ラジオ体操は、ゼミ生の「眠気を覚ます」ために始まりました。
 そのため、
 相撲の時間をゼミ内討論会にあてて「本気を学」び、
 ラジオ体操の30分を睡眠にあてる、という今回の行動は、
 コンセプトに立っていると感じました。 

 ただし今回の場合では、合宿で相撲をやる事は三戸ゼミの伝統であり、
 「相撲をやりたい」という意見も三厨さんと佐藤からありました。
 その場合に、どのような「代替案」を考えるのかも大切です。 

 ここまで書いた所で、
 今回報告を「なしとなりました」で済ませるべきではなく、
  @なぜそのことが起こったのか、
  Aどのような事に基づき判断し、
  B合宿後に振り返り適切であったのか、
 この三点を考えるべきだと気付きました。(笹井)


○ブリッジ、たったの二回!!
今回の合宿は、スケジュールが大幅に変わっていきました。
その中で討論会企画や掲示板書き込みTOP10を選定することを優先した結果、
何と合宿の恒例行事であるブリッジが、たったの2回しか開催されませんでした!

このブリッジの数は今まで我々が体験してきた合宿の中では恐らく最小の回数ではないでしょうか。
やはり合宿と言えばブリッジは欠かせない。タイムスケジュール上に載せずこの企画やる以上は、
どのタイミングでブリッジを行う采配を取るかは合宿幹事や
副幹事にゆだねられている事を忘れてはいけないだろう。
「幹事の采配」だけの問題だろうか?合宿でブリッジをやる意味は?

佐藤(26期)
ブリッジを何のためにやるのか、を考えました。
@人を見る場
笹井が以下にレポートとして書いているように、人柄が表れる企画です。
人をよく見る場になりますし、普段接している相手を見つめなおす場でもあると思います。
A場の空気を換える
御宿についたら合宿の空気にするため、1日の締めのため、等、ブリッジをすること自体に連続していた場の空気を換える意味があるのではないかと思います。
B合宿の風景をOBに伝える
三戸ゼミの合宿の企画としてブリッジは受け継がれてきたものです。その風景を見てOBの方々は学生時代のことを思い出し、ゼミに思いを寄せる、という面もあると考えます。

特にAの目的を考えると、ブリッジをやる/やらない、は幹事の采配だけによるものではありません。
ブリッジをやるタイミングを見計らうのも勉強ですし、どんな合宿にしたいかを考えれば自ずからやるべき時が分かると考えるからです。
また、合宿をともによいものにしていくと考えるならば、やったほうがいい、と自分の意思を示すことも大事です。
今回、討論会と十大書き込みの選定を中心としたために、企画の移り変わりにおけるタイミングでのブリッジはできませんでした。
また全体的に時間が押してしまったのも、ブリッジをできなかった一つの要因でしょう。
しかし、ご飯を食べてから勉強へと移るときの切り替えのため、
または、議論が行き詰ってしまったとき頭を冷やすため等、できるタイミングはあったように感じます。
ブリッジを何のためにやるのか、ということを1人1人が考えず、その采配を幹事に任せてしまったことが問題だったと思います。

〇ブリッジでの一幕
二日目、奪たすき隊VS要石/発言合同チームのブリッジのことでした。
「坂本と笹井は絶対持っていない!!」
と断言する藤田さん(と、それに乗じる佐藤)。
事実、坂本さんも笹井もコインを持っておらず、
二人の手は開かれぬまま、このブリッジは終わりました。
……と、終わるかと思いきや、この話は終わりません。
奪たすき隊のもう一人のメンバー、渡邊諒太が
「俺はあえて大穴を狙う。」と言い出したからです。

彼は笹井の手を開かせますが……、、
やはり笹井の手の中にコインは「なかった」
がっかりする渡邊、悔やむ藤田さん、そして渡邊を責める佐藤。
ブリッジはゼミ生の性格を表す、そんな合宿の一幕でした。(笹井)
※この文章は一部大げさに表現しています。「この文章は…」は、いるだろうか?
もし書くのなら、「この文章は"真実"を描いたものです」などにするな(元を活かそうとしたから、いい文ではないが…)。
誰に対する「配慮」、そして誰に向けた「おことわり」なのだろうか?
このおことわりの一言で、せっかくの「レポート」が死んでしまった(;_;)

←「この文章は…」は、不必要で不適切な一文でした。
 (取り消し線を引きました。)
 なぜなら、レポートの雰囲気を壊してしまうからです。
 一字一句会話が事実に即しているかを気にするのではなく、
 「情景を彷彿」させられるかどうか、を意識するべきでした。
 また、この「おことわり」は自分にだけ向けた言葉であって、
 このような文章からも、僕の「自分に立ちすぎている姿勢」が
 表れてしまう
のだと思いました。(笹井)

〇開会式・閉会式の式次第
開会式・閉会式の式次第は、以下の通りです。

・開会式 式次第
一、開式の言葉
二、合宿幹事挨拶
三、決意表明
四、ОBのお話
五、先生のお話
六、閉式の言葉

・閉会式 式次第
一、開式の言葉
二、結果発表・表彰
三、刮目
四、ОBのお話
五、先生のお話
六、閉式の言葉
(笹井)


〇「開会の言葉」の言い換えは?
開会式で先生より「「開会(閉会)の言葉」「先生のお話」をそれぞれ言い換えを考えてみよ。」
との出題を受けました。

「開式(閉式)の言葉」の言い換えとして、「開式(閉式)の辞」という表現があると思いました。
「辞」という漢字には、「やめる(辞職、辞退、辞任、辞める)」だけでなく、
「ことば(辞書、訓辞、修辞)」の意味もあるからです。(笹井)

参考として、大学の入学式と卒業式の式次第を載せておきます。
・平成27年度横浜国立大学入学式式次第(参考)
1. 開式の辞
2. 学長式辞
3. 入学生宣誓
4. 登壇者紹介
5. 横浜国立大学学生歌等
6. 閉式の辞 
(http://www.ynu.ac.jp/hus/somu/13174/detail.htmlより)

・平成26年度横浜国立大学卒業式式次第(参考)
1. 開式の辞
2. 学位記授与
3. 学長式辞
4. 来賓紹介
5. 卒業生等代表答辞
6. 学生表彰
7. 横浜国立大学学生歌等
8. 閉式の辞
(http://www.ynu.ac.jp/hus/somu/12982/detail.htmlより)

うん、早速答えを考える。いいぞ(*^_^*)
「辞」の方がいいかどうか、どのような答えを出すか、楽しみにしている

←先生、ありがとうございます。
 「辞」の方がいいと直感では思いながらも、その理由は考えられていません。
 「辞」と「言葉」が使われる場の違いや、ゼミ内と大学全体での式の違いを見つけることで、
 納得のいく答えが見つかるのではないか、と思っています。
 はやく考えをまとめて、適切な表現を身に付ける一歩にしていきたいです。(笹井)

\.合宿マニュアル化


合宿のマニュアルを作成しました。
合宿マニュアルver. 1.0(PDF版)
合宿マニュアルver. 1.0(ワード版)

「全合宿共通事項」と「追い出し合宿共通事項」に、
項目を二つに分けてマニュアルを作成しました。

更にこれから、ポイント制やGJカードの項目の作成、タスクリストの追加、
当日と準備に分けて記載するなど、まだまだできる事はありそうです。
地道にバージョンアップしていきたいです。(笹井)

].合宿報告の不足部分について


2015年4月19日現在、春合宿報告の不足部分は以下の通りです。
やることとその期限を、この場に書き留めておきますので、
目標を達成できるよう、頑張っていきましょう!(笹井)

@2014年度総括について
⇒再来週までに完成。

Aゼミ内討論会のポラニー部分
⇒再来週までに完成。


]T.刮目


春合宿では十分に刮目の時間を設けることが出来なかったのが、「心残り」ではないでしょうか。
以下に、他のゼミ生に伝えきれなかった「刮目」を述べていきましょう!

○佐藤樹(3/21 4:30)
場立てしました。
まだ自分の刮目を書ききれてないので加筆するとして、これだけは書いておきます。
今回の合宿は、自分にとって本当によいものでした。
幹事として頑張ってくれた笹井に改めて感謝を!

(追記,3/23,1:00)
今回の合宿は“いい”合宿でした。
しかし悔いているところもあります。
ここでは、今回の合宿における自分の姿勢を見直して、次につなげることを意識してまとめます。
■1.合宿前
今回の追い出し合宿で、僕はほとんど準備に参加できませんでした。
実家に帰省したことや、就活等のストレスで精神的に参ってしまっていたためです。
そのこともあって、合宿を休もうかとも思っていました。
しかし合宿2日前の日曜日、連絡がとれない僕を心配して笹井が家に来てくれました。
少し戸惑いもしました。
けれどもなにより、残り時間もなく忙しいなか、近いとは言えない僕の家に来てくれた、
その心遣いが嬉しかったです。
笹井や準備をしてくれた人の思いに応えるために気合をいれようと、そのとき思いました。

このことから、どんなことにも関係している人の努力や思いがあることを感じました。
だから、できるだけそれに応えることを意識して生きたいです。
それがよい社会人につながるのではないでしょうか。
さらに、自分が為すことにも、それはあるはずです。
それを大事にすることが自分を大事にすることにつながると思います。

■2.合宿レポートの投稿
開会式での先生の、“楽しい”と“よい”の違いについてのお話にハッとしました。
討論会が終わってから、自分は快適だけを選びとって“楽しい”だけの時間を過ごしたのだと。
そしてその時間では何も残らなかったなあ、と。
そこで、この合宿を“よい”ものにしたいとそのときに思いました。
とりあえず自分ができることは何かと考えたところ、
来てない人を悔しがらせられる(ような)レポートを作ることにしました。
今までこのようにゼミに積極的に関わったことはなかったのですが、
レポートに反応があるたびに嬉しくなりました。
この合宿が自分の中で“よかった”と思える理由の一因はここにあると思います。

書き途中です。
また追記します。
これまで、「また追記します」と書かれたままであるのがどれだけあるか、調べて報告してご覧。
そのままで、「心残りをなくす」というコンセプトは?


先生コメントありがとうございます。
後期の報告だけを確認しましたが、刮目だけで3回、追記しますのまま放置されているのがありました。
これは”刮目・今日イチ”を”書いている”分だけです。
書いていない人や、報告されていない項目を入れたら。。。
今回見直してみたら、刮目に関しては、早さと質は比例していると感じました。
その書き込みに”思い”が残っているか、の違いだと思います。
おそらく、時間が立つと、書きたいではなく、書かなくては、になってしまうからです。
今回、自分が追記したかったことは確かにあったのですが、今になってはそれを書くことができません。
薄れてしまい、何を書きたかったのかわからないからです。
そうなってしまうと、心残りにもならず、本当に何もなくなってしまうのではないかと感じます。
心がもうそこにはないからです。
忘れる、とはまさに心がなくなる、なんですね。
記録がいかに大切か、気付きました。


○渡邊諒太(26期, 3/21, 5:55)
(まずは三行)
■意識的に行動することとは。
今回の合宿では「意識的な行動」を心がけるつもりで来ましたが、合宿当初は笹井のサポートに回るばかりで、
中村さんより「君はゼミ幹事なのだから、進行に関わる様な事にも積極的に関わっていかないと」と指摘を受け、初めて自分の行動が、
自分に与えれている役割を果たしているとは言えない、そこに立った意識的な行動をしていない状態にあることに気が付きました。

その後は、ゼミ幹事として全体の進行に関わるスケジュールの変更などにその場にいることはもちろんの事、
笹井が幹事として進行に困った際には必ず相談をするように心がけましたが、
その行動自体も自分のやるべきことを感覚的にやっていたに過ぎないのではないかと合宿を終えた今考えています。

ある一つのことに対していくつか選択肢を用意する、それぞれの適不適を考えたうえで選び取り、
その結果からまた用意した選択肢を検証するということが、意識的に行動することであると今回の合宿において学び、
何を選び(選ばず)、それをした(しなかった)ことでどうなるのかを常に行動のプロセスに組み込んでいきたいです。

○高橋篤史(26期 3/22 13:30)

今回の合宿は「心残り」をなくすことが目的でした。
その心残りがあるところは、今まで特にこの一年の勉強、
掲示板の課題や先輩との関係など多岐に渡っています。
実際は、今回の合宿で心残りをなくすことはできなかったし
新たな心残りも生じることになってしまいました。
本来の目的を果たせなかった事を考慮すると、この合宿は
失敗ということになります。
だがしかし、私はこの合宿は成功であり、してよかったと
胸を張って主張したいです。
その理由は、私の「心に残る」合宿になったからです。

(1)これまでの「心残り」
をなくす思いで、「発言しないで委員会」(いや、よくない)
をチーム名に設定しました。
@発言を増やし、議論で貢献する
発言数という点に関しては、最初のコマは散々であったが
最後の掲示板企画において、発言数ポイントで勝利することができた。
相手の質問や答え一個につき、こちらは笹井と協力して二個返す。
この戦略が達成できたのが吉でした。勝てたのは素直に嬉しかった。

A随所に主となる
一つ一つの企画において、自分たちがいなければ
この企画は成り立たないという認識を持ち中心となって取り組む。
そのためには、事前の準備が必要不可欠であることが分かりました。
討論会の場においては、質問状や回答状を当日の議論をリードできる
ほど意識して作りこんでくる。
掲示板企画においては、評価基準を徹底的に定めてくることで、
自分たちの基準を共通の基準として他者に受け入れさせる。
何事も本番を想定した準備を心がけることをこれからの教訓とします。

B四年の先輩方を見返す
先日の三井ゼミとの討論会において
三年生が中心となって議論が展開されたとはお世辞にも言えない、
ということが先輩方に指摘され、我々三年生も痛感したところでした。
その指摘を無碍にしたまま、四年生を追い出すことは不義理であり不可能と考え、
四年生の先輩方を感心させるような、成長や活躍を見せようと試みました。
しかし、四年生との能力や姿勢の差を逆に見せつけられる結果となってしまいました。
先輩方の背中を捕えきれず、完全に逃げ切られた形になってしまったのは
非常に残念であり、悔しいことでもあります。
これからはゼミ掲示板を通じたコミュニケーションが中心となるので、
そこでレトリックや情報の取捨選択を重視した報告と姿勢を見せる
ことで先輩を刮目させることを目標とします。

(2)新たに生じた「心残り」

@発言の質の向上
発言の数はもちろん、発言の質をさらに磨く必要があると痛感しました。
発言数を増やしたにもかかわらず、それが議論が活性化し納得のできる
結論に近づくことが叶わなかったかためです。
とりあえず全体絵を意識して何か質問するなり答えたりする。
その後、内容が適切であった評価する。
その反省を次の発言に活かす。これを繰り返し行っていた結果、
自分の発言は全体の中で意義は何かを事前に類推することが可能になるはずです。
なので、今後は重点的にこの反復の回数をこなし、精度を高めていきたいです。

A全体と責任
先生に、今だにOne of Themとして捉えているというご指摘がありました。
自分のこれまでの無責任さは全くそのためであったと腑に落ちました。
自分の担当部分は他の誰かが責任を負うと心のどこかで怠けており、
論文や課題を真に自分のものとして認識していませんでした。
これは、以前からも問題とされてきたことでしたが、今回の合宿を通じて
最も納得できました。それゆえ、これまでよりさらに問題意識として明確になりました。
「随所に主となれ」をこれまで以上に意識していきたいと思います。

(3)「心に残った」こと
@OB・OGの学びの姿勢
討論会企画と並び、合宿の目玉企画となった「書き込みベスト10」
多くのことを学びとり、心を動かされました。この企画は、
評価基準・方法の勉強というだけではありません。
分かりやすい文章、エピソードの取捨選択、良い関係の作り方、学び
の姿勢、ゼミにかける熱い思い…
様々なことを学びとることができ、心を動かされました。
そして、自分が参加しなかった話題をもう一度読み返し、
自分なりの解答を用意しようと思います。

A先輩との関係
今回は、春合宿にするか追い出し合宿にするかで意見が揉めました。
結果として、合宿最終日に正式に追い出し合宿となることが決まりました。
経緯は上の報告にあるので詳しくは述べませんが、
卒業生と現役生の心が行為が、追い出しにふさわしい
物になったからであると受け入れています。
少なくとも合宿に参加した皆が追い出し合宿をやることで
思いが一致したことは事実です。
この合宿は本当にやってよかった。自分はそう言いたい。
先輩と学内のゼミという場で会うことはなくなっても、
これからも関係を保ち続けたいと思えるような合宿になったことは。

この合宿の「心残り」「心に残った事」をこれから活動に
活かしていきたいと思います。
下にある笹井の分もあり、3年生は全員書き込んでいる。
3年生の「”追い出し合宿”にしたい」という言葉は「こころ」が伴った(まだ十分ではないにしても)ホンモノであったことがわかる(*^_^*)
本当のホンモノに少しでも近づけたかったら、読み返し、何度も書き足し・書き直すことだ。
ここに書き記すことは「学んだこと」であり、何を「学んだ」のかは、段々わかってくるものだ。
そして「後で学びなおす」ために書き残すのだから…。



○藤田航平(25期 3/23 1:00)

参加してよかった。
苦しくも参加してよかったと思える合宿でした。
合宿の為に準備してくれた笹井はじめ幹事の皆さん、有難うございました。
私用のため途中で抜けてしまいましたが、本当にそれが残念だった。
後から皆の話を聞いて、その思いは強くなるばかりです。。。

ただ、今回の合宿は春合宿だったのか、追い出し合宿だったのか。

私は2日目途中で抜けてしまったので、
ラストスピーチや終業式といった、追い出し合宿としての企画には参加しておらず、
それ以降の詳しいことは分かりませんので、なにか間違ったことを書いていたらごめんなさい。
(ラストスピーチ、終業式の報告はするべきでしょう。追い出し合宿だとするならなおさら。)

合宿中コンセプトがこれほど不安定だったのは、
そもそも「追い出し合宿」とは何か、を誰も考えていなかったからではないでしょうか。

追い出し合宿とは、単にラストスピーチや終業式といった、
追い出し合宿ならではの企画を行う合宿ではありません。
合宿を迎えるまで(ひょっとしたら合宿中も)、
我々はその型を行うことしか考えていなかったのではないでしょうか。

三戸先生が合宿の最初に仰っていたように、「型」は「心」を顕すためにあります。
では、追い出し合宿においては、どのような心で望むべきなのか。
私は、「縁」を大切にしようとする心だと思います。

三戸ゼミに25期が入ってから2年と半年、
25期生、26期生の仲間と共に多くの多くの時間を過ごし、共に学び、多くの思い出を作ってきました。
そしてもちろんそれらは全て、三戸先生と、この三戸ゼミナールのおかげで得られたものです。

三戸先生、そして仲間との「縁」、
この「縁」は必ず、これからのお互いの人生を豊かにするものです。、
この「縁」を卒業後も大切にするために、改めて確認し、結ぶ場。それが追い出し合宿なのだと思います。

では、今回の合宿は「追い出し合宿」としてどうだったか。
もっとやれることがあったのではないか。。。
中村さんが、合宿は Before(合宿に向けてどれだけ準備をしたか)と After(合宿を経てどれだけ変われたか)が
大切だというお話をされました。
もう卒業まで時間がありませんが、
この追い出し合宿を経て、参加した者として、参加しなかったものとして、(私は両方当てはまります。)
三戸ゼミとの「縁」をどのようにとり結んでいくのか、考える必要があるのではないでしょうか。
藤田が真っ先に書き込んでいるなぁ…。


〇笹井純也(26期 3/24 3:00 )

合宿が、「終わってしまいました。」


■1. 解放感と達成感
合宿終了後に「解放感」はありませんでしたが、
そうかといって「達成感」があった訳でもありません。
これはなぜでしょうか。
考えてみました。

(1)解放感がなかった理由
解放感がなかった理由は、準備段階から 幹事の役割を
「課題」や「ただつらいもの」として捉えなかったから、だと思います。
幹事の仕事は僕にとって、ひとつひとつが新鮮な経験でした。

先生へメールをする際には、
インターネットでメールの書き方を検索したり、
「わかりました」と「承知しました」の違いを考えてみたりしました。
合宿までのタスクリストを作成した際には、
(一昨年の追い出し合宿幹事の)石嶺さんや(去年の夏合宿幹事の)橋に、
充分なタスクリストとなっているかを質問をしたりしました。
そして、仕事の分担を振ることや やる気を出させる様な感情的な言葉を
全体に投げかけることもありました。

つまり、「普段自分がしないこと」を幹事という役割を通じて経験しており、
この経験は「普段の自分にも活かせる」と感じていた
ため、
幹事の役割を「課題」や「ただつらいもの」として捉えなかったのではないかと思います。
追い出し合宿幹事、良い経験をさせてもらいました。


(2)達成感がなかった理由
@全体のコンセプト
達成感がないのは、「春合宿」か「追い出し合宿」か、
ハッキリさせないままに進めてしまったからではないでしょうか。

先生の意向を無視する形で「平成26年度追い出し合宿」と御宿の壁に貼り、
心残りをなくすのか、楽しい合宿なのか、追い出すのか、
この場を明確にできないままに当日を迎えてしまいました。これは同時に、
この場を明確にできないままでの準備をしてしまったということです。

問いがなければ答えがないように、
達成すべきこと(コンセプト?準則?)がなければ「達成」はできません。
つまり、今回の合宿では、
達成できたか・達成できなかったかを判断するための大元、
「この合宿は何をするのか」を僕は考えられていませんでした。

これがなければ達成したかどうかも、自分がどれほど成長したかも、わかりません。
だからこそ、「コンセプト」や「準則」がとても重要になるのだと感じました。

A個人の準則
全体のコンセプトがはっきりしない時でも、
自分で準則が立てられていれば、自分の中でこの合宿を評価できると考えました。
しかし、今回僕は準則を立てて過ごすことができませんでした。
幹事の仕事に気を取られ、準則について忘れていたからです。
全体のコンセプトを不明確にしてしまい、更に自分で準則を立てなかったために、
僕は合宿終了時に達成感を得られなかったのだと思います。

■2. 自分の刮目の特徴
討論会の刮目でもそうだったのですが、
反省をすると、自分一人のことばかりに焦点を当ててしまいます。
僕の反省には、他者が表れません。
これもきっと、自分に立ち相手に立っていないこと、と通じるのだと思いました。

(3/28 2:47 追記)
■3. 見ていながらも、行動できなかった事
春合宿では「他者の行動を見ていているにも関わらず、
自分の行動には活かせていない」
ことを何度も感じました。
例えば、ラジオ体操の言葉、ごちそう様の挨拶、司会などです。

以上の場面は、これまでに参加した2回の合宿で見ていたにも関わらず、
僕は何と言えば良いのかわかりませんでした。
これは、自分が毎日漫然と過ごしていること、
数多くの学びの機会を見逃していたこと、その表れだと思っています。
今のままでは、大学生として情けないです。

そこで、これまで全く意識していない場面でも、
@「この場面で誰がどのような発言をしたのか」
A「その発言は適切であるのか」
B「自分だったら何と発言するのか」
この三点を常に意識することができれば、
「他者の行動を見ていているにも関わらず、自分の行動には活かせていない」ことを
防げるでのはないかと考えました。


〇阪本夏美(3/24 13:14)

(1)合宿のテーマについて
当初、今回の合宿は、追い出しの要素を入れた「春合宿」と聞いていたのですが、
来てみて、ビックリ!
広間の壇上の壁には大きく「追い出し合宿」の文字が張り出されており、
先生と中村さんは「(追い出し)合宿」ではないのかと言って笑っていました。
ちらりと今回の合宿幹事、笹井君の方を見ると
笹井君は、真剣な眼差しで、一点を見つめていました。
それがとても頼もしく見え、
その時、「笹井君(そして3年生)は、この合宿を追い出し合宿にしに来たのだ」と思いました。

「春合宿」にするのか「追い出し」にするのか。
先生にそう問われた後、
三厨君は「こうなったら追い出し合宿にするしかない。」と力強く言いました。
2日目に抜けた藤田君も戻ってきました。

追い出し合宿がどのような合宿であるのか、あるべきだったのか、
合宿の途中でコンセプトを変えてしまったのは果たしてよかったことなのか、
それらの点についてはどうであれ、
この合宿は、3先生の強い気持ちと、それに4年生が応え、
心に残る追い出し合宿にしようとしたことは確かであると思います。

(2)「いい合宿にしよう」の意味
先生が「いい合宿」にしようとおっしゃっていた意味を
今も考えています。

開会式の際、先生は、不快な部分だけを取り除き、「ラク」「快適」な合宿では、何も残らない。
合宿で「何」を「何故」するのか、そして「どのように」するのかを考え、
楽しむことで、いつまでも心に残る、「いい合宿」となる。
そして、それが自分の将来の「糧」となる。というお話をされました。

また、合宿2日目に「討論会」を続けるか、「大相撲」かの選択に迫られた時、
先生は、「何かを捨てるからこそ『本気』になれる。」と言い、
その言葉があったからこそ、討論会を続け、相撲を諦めるという決断ができたのだと思います。
先生のその時の言葉は、討論会に本気で向き合うことにより、
相撲をしなかったことによる後悔を残さないという意味も含まれていたのだと感じました。

そして、「いい合宿」にしなければならない理由もそこにあると思います。
4年生と過ごした丸2年、
ゼミと他のこととの選択に迫られたとき、ゼミを選んできたこの2年間を、
これまでの選択に後悔しないためにも
その集大成として今回の合宿を「いい合宿」にしなければならなかったのだと思います。


○坂本 恵理奈(25期 3/25 3:19)
この合宿に参加できて本当に良かった。合宿を終えて、そして今、心からそう思います。
当初私は合宿に参加できそうになかったのですが、2日目からでも参加できて本当によかった
と感じます。先生、中村さん、そして「追い出し合宿にしたい。」そう言ってくれた3年生、
本当にありがとうございます。

(1)追い出し合宿について
@ラストスピーチ
ラストスピーチを話すことが出来た。話させていただいた。
当初私はラストスピーチを話す資格が自分にあるのか、そう考えていました。
しかし、ラストスピーチを通じて自分のゼミ生活を振り返り、今まで学んだことや後悔を確認し、
そして先生をはじめ中村さんや阪本さん、ゼミ生に感謝の言葉を伝えることが出来ました。
また、ラストスピーチの後に先生から1人1人にお言葉を頂くことが出来ました。
その言葉の1つ1つがとても貴重なお言葉であり、涙が出るほど(実際に出てしまったのですが)
嬉しいものでした。「あなたの言っていることで間違っていると思ったことはない。
もっと自信を持ちなさい。そうすれば世界が開けるはずだ。」
この言葉をしっかりと心に刻み、これからの人生を歩んでいきたいと思います。

A終業式
3年生が中心になって創ってくれた修業証書を、先生からいただくことができました。
この修業証書は世界に1つのものであり、今までに貰ったどの修業証書よりも嬉しいものでした。
あの言葉たちは、共にゼミで学んできた仲間だからこそ書けたものだと思います。
そして、3年生の送辞、中村さん、そして先生からお言葉を頂くことで、これまでのゼミ生活に
区切りをつけ、「卒業するんだ」という気持ちを明確にできたと感じました。
そしてこれは、このような伝統を作り上げてきた先輩方がいらっしゃるからこそ、
そう思えたのだと思います。

B全体を通じて
木田君の言っているように、私も今回の合宿が、今まで参加した合宿の中で最も参加して良かった
と思える合宿でした。3年生が送り出してくれ、先生から言葉を頂き、私達4年生は
「卒業」することが出来ました。
しかしそれだけではなく、私の合宿への「姿勢」も関係したのではないかと思います。
今回の合宿では、卒業生という事で先生のお話をしっかりと聞く機会が多々ありました。
「これが最後の合宿だ、先生のお話を聞くことが出来る機会は本当に少なくなってしまうんだ。」
そんな思いが強く、いつにも増して、先生のお言葉1つ1つを心に刻もうとしていました。
また、勉強企画の1つ1つでも、これを今言わなければ「後悔」が残る。
そう思うと、いつも以上に発言や取り組みへの姿勢が主体的になれたのだと思います。
中村さんから、「今回は流れの中で発言するのではなく、自分でこういう風にしたいという姿勢が
見えたのがよかった」と仰って頂き、また刮目賞を頂けたのも、そのような思いから
少しでも行動できたからではないかと思います。
しかしこれは、本当の最後ではなくとも常にそのような気持ちを持ち、毎回のゼミ、合宿、
そして1日1日を大切にすることはできます。常に「本気」「随所に主となる」ことが
出来ていなかったということを改めて感じるとともに、これから少しでも日々を大切にしていきたい、「本気」でありたいと思いました。
やはり、藤田と坂本か…。その「こころ」を大切にしてくれよ。


○ 木田世界 (25期 3/29 16:16)

取り急ぎ、討論コマでの反省点を書きこみます。
今回の合宿の討論会企画の中では、グローバル課税の導入と資本主義を終わらせることはほとんど同じことではないか?
という気付きを口にしました。 
実はこれは、討論会の直前に論文を書いていて、ふと思った疑問なのですが、
その時は論文を形にすることばかりを考えていて、その疑問点を深めることをしないまま忘れていってしまいました。
資本主義や社会について考えることが目的で、討論会とそれに向けて執筆する論文は手段であったはずですが、
目的を忘れ手段のみにとらわれていました。

やはり時間の無い時にも、本来の目的は何か?という視点を忘れてしまわないようにしたいです。
ただ、このような反省は、今ままで何度も経験してしまったことなので、すぐに直せるものでもないと思います。
ですので、討論会前に焦って目的への意識を失ってしまったことも反省したいですが、
むしろ討論会が終わったあとに、論文を書いていた時に浮かんだ疑問点について考察しなかったことを反省したいです。

今までも何度か、レジメに関する先生のお話を聞いていて、
あの疑問点を詰めていれば先生にご指摘いただいたことを自分で気付き深めることができたのではないか、と思うことが何度かありました。
自分が気付いたことを大切にしなければ、自分で考えることはできない。
大学院で学ぶにあたって、このことを強く意識したいと思います。


【記事No:547 編集キー:2014nendooidashi (※2014年度追い出し)】


[546] 題名:「心残り」を無くしましょう 名前:木田世界(25期) 投稿日:2015年03月12日 (木) 17時31分

まだ原稿をアップしていない人は、スピーチ大会掲示板にアップしましょう。(特に、第一週目のスピーチをした人...!)
スピーチ大会掲示板:http://bbs4.sekkaku.net/bbs/mitospeech.html

【Don'tForget】


[545] 題名:シンポジウム:「公共力」の創造 市民と政府の協働をめざして 報告 名前:木田世界(25期) 投稿日:2015年03月05日 (木) 02時07分

休業期間中ですが、活動報告掲示板はどんどん回していきましょう!
本日のシンポジウムの報告です。

【日時】2015年3月4日(水曜)18:30〜21:15
【場所】横浜開港記念会館
【参加】三戸先生(パネリスト)、
津久井さん、中村さん、木田、三厨、笹井、高橋

1.講演・報告概要

(1)基調講演:片山義博氏
公とは、地方の住民が必要とするサービスを実現すること
地方の行政において、住民の声が十分に反映されていない。
その原因として
@地方議会・教育委員会の公開性が低い 
一般の人々は、参加はできるが歓迎はされない。発言もできない。
A議員が口利きに専念したり、ムラ・利権にがんじがらめにされており、
広く一般の人々の意見を聞く姿勢や慣行が無い。

(2)パネリスト報告@:三戸浩先生「日本社会における”公”の変容」

(i)日本における公への信頼
日本人は公(社会、お上・政府)への信頼が強い (e.g 震災後に暴動が無い)
その理由として、鎌倉時代以降、人々の為の政治が行われてきた歴史がある。

(A)日本における公の変容
公が官、家から開open共commonになってきた。
背景:80年代の公企業民営化、日本的経営(滅私奉公)の否定による、官・家の否定
しかし、openな社会において、人々が自らの行動への責任を十分にとらなければ、社会は成り立たないのではないか。
また、open化は進む一方、共(お互い様)の意識は低く、健全な状況ではない。
(e.g. 近隣に幼稚園ができることへの「うるさい」という苦情)

(3)パネリスト報告A:伊集守直先生「財政民主主義と公共性の関係を考える」

(@)公共とは何か
自由・平等の理念と私的所有権制度の誕生とともに公共の役割が重要となった。
社会の維持のため税をとり、私的財産権を侵害するには、民主主義的決定によるという正統性が必要
政治の役割は、「公共」とされる範囲=何にどれだけ税を使うのかを決めること。
(市場:購買力に応じた分配⇔公共:人々の必要に応じた分配)
税は「共通の財布」であり、自分たちの必要なものを自分たちで決めて自分たちの力・お金で作り上げていくための手段である。

(公共とは、「自分たちの必要なものを自分たちで決めて自分たちの力・お金で作り上げていく」ことを示す?)

(A)財政の問題点
国の巨額債務・地方の財政破綻は、支出の増加に応じた増税の議論を回避してきた、
財政における民主主義の機能不全の問題
増税のできない原因は非効率的な(住民ニーズに合わない)公共部門のあり方。
そのため、@民営化Aコストカットだけでなく、B政治機能強化(議会改革)などで、住民の声を反映させることが必要。

(4)パネリスト報告B:関芙佐子先生「高齢社会における公助・自助・共助・互助」

公助・・・多数の主体から公的機関が税等を徴収し必要とする人に分配
自助・・・市場システムなどを用い独立した個人が自らの手で必要とするもの・ことをまかなう
共助・・・中間組織を介した相互扶助
互助・・・中間組織を介さない相互扶助

高齢社会における政治の役割は、
@公権力に基づく税徴収に基づき、社会保障を行う「公助」を推進すること、だけでなく
A私的な仕組み(市場)の規制 例:老人ホームにおける消費者保護 ・・・「自助」のサポート
B助け合いの循環サポート 家族や自治会の助け合いを推進   ・・・「互助」(と共助)のサポート
ABをどう行っていくか、今後重要になっていくであろう。

2.先生のお話(カフェにて)

〇木田 (3/05 02:30)

<学会・シンポジウムに参加するときは>
・フロアの質問のうちどれが一番良かったか、自分ならどう質問するかを考える。
・コメントの応答の仕方について、それで良かったか、自分ならどうするか考える。
・複数のスピーカーの話から、全体としてのテーマは何か、いかなるストーリーでそれぞれの発表内容をつなげるかを考える。
・その日得た・気付いたこと、今後考えたいことなど、収穫を三点は持つ。

各自、追記しましょう!

3.感想

〇木田世界 (3/05 1:37)

@「公」の起源
伊集先生が公共(public)の起源を私有財産制度の発生と結び付けていたように、
「公」がいつ、どのような形で生まれたのかは「私」がいつどのようにうまれたのか考えれば良いと気付きました。
中国、(日本)の「私」「公」は紀元前ごろからあったという概念の古さを考えると、
「公」という概念は「public」よりも多義的なものになりそうです。
ただ、publicという概念の起源は、近代西洋だけでなくギリシア・ローマまで関係してくるかもしれない、ということを考えるとpublicも同じぐらい古い概念なのではないかと思いました。

A企業経営と政治
誰・何のためにどれくらいお金を使うのか、税負担とサービスの維持のバランスをどうとるか、どれくらい長期の目線に立つのか、
というのは、どのステークホルダーを重視するのか、(短期的)利潤と社会貢献のバランスをどうとるのか、という企業経営の問題と似ていると感じました。
ただ、政治の場合は企業と違い、他の地域・国に逃げるわけにもいかず、
関係を持つ主体を排除することができないというのが大きな違いだと言えそうです。

B講演と報告の関係性
大雑把ですが、「地方の政治に民意が反映されていない」というのが片山氏の主張であり、
ではなぜ政治に民意を反映させなければならないかというと、「税の徴収という権力行使には、
民主的決定に基づくという権力の正当性が必要だ。それは、みんなの問題をみんなで話し合い決めて解決していこう、という理念に基づいている。」というのが伊集教授の見解となっているのではないでしょうか。
そして、上で述べたのは、「公助」の主体としての政治の役割ですが、「政治が公助を行うだけでなく、自助・互助を推進することも必要だ」というのが関教授の意見です。

片山氏が問題としていたのは、「民意が反映されないのは議会の公「開」性が足りないから」
ですが、三戸先生のご講演から考えると、政治を「開」かれたものにするだけでなく、
人々が「共」(お互い様)としての意識、地方の社会の一員としての責任・自覚を持つ必要があるのではないか、
という疑問が生まれます。
ここで、「共」というのはどのような概念であるのか、それは自助・公助・共助などの枠組みとどう関わるのか、考えていきたいです。

また、公共というのが、「みんなのもの」であるのか「だれのものでもない」のか、その違いは何か、ということも十分に理解できなかったので、今後考えたいと思います。

○高橋篤史(26期 3/5 23:45)

@「公」と「私」
東洋(中国・日本)と西洋(欧米)の「公」と「私」
は一概に同じものとは言うことができない。
西洋では「私」を補うものが「公」であり、
東洋では「公」を細分化したものが「私」であると考えた。


A自己責任と自由と自助
三戸先生の自己責任、伊集先生のpublicの起源、関先生の自助
のお話を聞き、近代はつくづく「私」の時代であり、その近代が現代において
否定されつつあるとの思いが強まりました。
近代市場主義社会では極力必要とされない政府に、これまた分離された地域の
個人間の互助を促すことが求められています。
そのように変容していく社会には、開openがどれほどの意義を持つのか
もう一度考える必要があります。

B先生と片山氏
市民一人一人が共(お互い様)という立場に立って物事を考え意見を述べなければならないと先生が仰っていた一方で、
片山氏は市民には我儘な意見をどんどん言ってもらいそれをくみ取るのが政治家の役目と語っていました。
私はその差異は、先生は教育者として特に市民の規範を、片山氏は政治家として特に政治家の規範を
それぞれ語っている事から生じているのではないかという考えが浮かびました。
自分は一市民であるため、常に他者・社会つまり公との関係性を図りながら、
行動・意見しなければならないと思います。
立場、すなわち視点によって大きな差が生まれることを再認識し、自分の視点からは公共とは何か、
社会に対して何ができるのかということを考えていきたいです。


○中村貴治(20期,03/08,18:55)
今回のシンポジウムタイトルは「『公共力』の創造 〜市民と政府の協働を目指して〜」でした。
「公共力」というと漠然としていますが、その中身はサブタイトルの方に託されているだろうと思います。
報告では主に、公とは行政でありそのために行政の課題、特にその閉鎖性が問題にされていたように感じられましたが、
一方で、サブタイトルにある「協働」については殆ど議論が深まらなかったように思います。

これは恐らく、「協働」とは何か?
議会が市民の声を聴き、応えて行政サービスを充実させるという、従来の役割をより円滑に行うことか。
NPOなど第三セクターの支援をするということだろうか。
それとも、市民(や社会的企業)の側に何か新たな、大きな役割が求められているのだろうか。
何故あえて「協働」という言葉を使うようになったのか、その背景は何か、などが曖昧だったことが、
議論が集約されなかった一因ではないかと思います。

そのためには、公が「開」、「共」になった時代における民衆の在り方、責任を問うこと(三戸先生)や、
自助、互助、共助、公助の意味内容とその背景について考える(関先生)ことが、むしろ重要となるのだろうと思います。

また、そのとき、官と民の関係性も再定義されることになるでしょう。
いや、「官」「家」から「開」「共」の時代になったという時点で、既に変わっているということだと思います。
一口に「協働」と言っても、もの凄く大きな議論せねばならない領域が広がっているのだということに、
改めて気づかされます。(私自身もその言葉は使っていましたが…)

当日は、「公」(行政)に従来求められてきた役割と、新たに求められてきた役割・新たな社会の在り方に関する議論が、
かなりファジーな状態で交錯しているような、ある意味で面白い時間だったと思います。
それだけ、問題が大きく簡単には扱いづらいということなのでしょう。
恐らく、いきなり公(行政)の役割と課題から入るのではなく、今ある社会的課題は何か、
その解決のための課題から入った方が、協働に関する議論に入りやすかったのではないか、と思いますが。


【public】


[544] 題名:2014年度 春合宿準備 報告 名前:笹井純也(26期) 投稿日:2015年03月03日 (火) 00時27分

春合宿準備 報告


討論会が終わったばかりではありますが、
あと約二週間で春合宿です!
本日(3月2日)春合宿の相談をしたので、その報告をします。
※今回は一つの項目が短いため、項目の文字サイズは大きくしていません。


≪目次≫
1. コンセプト
2. 日時
3. 合宿幹事
4. タイムスケジュール
5. 合宿内容


1. コンセプト
「心残りをなくす合宿」にしていきましょう!
「終わりよければ全てよし」という言葉通り、
4年生はこれまでの後悔をはねのけ卒業できるような、
3・5年生は一年間のまとめとなるような、そんな合宿にしていきたいです。


2. 日時・場所
日時:2015年3月17日(火)〜3月19日(木)
場所:御宿ニュー日の丸


3. 合宿幹事
春合宿幹事 :笹井純也(26期)
春合宿副幹事:渡邊諒太(26期)


4. タイムスケジュール
春合宿の大まかな流れは以下の通りです。

3月17日(火)・一日目
 午前:御宿へ移動
駅弁企画
 午後:開会式
    ミニ討論会(1/5,2/5)
  夜 :ミニ討論会(3/5)
    夜企画@(現在先生が案を考えてくださっています!!)

3月18日(水)・二日目
 午前:ミニ討論会(4/5,5/5)
 午後:過去の書き込みベスト10(1/3)
三戸ゼミ大相撲
  夜 :過去の書き込みベスト10(2/3,3/3)
夜企画A(ラストスピーチもしくは、カルトQ。
         これから4年生が話し合いどちらか決定します。)

3月19日(木)・三日目
 午前:今年一年の総括(本決まりではなく、保留中。)
 午後:閉会式
解散

※ここでの午前は朝食から昼食までの間、午後は昼食から夕食までの間、
 夜は夕食以降を、それぞれ意味しています。
※より詳細なタイムスケジュールは、
こちらです。


5. 合宿内容
(1) 駅弁企画
この駅弁企画は、数十年後に見返すと楽しくなる企画です。

駅弁企画の内容は、自分の選んだ駅弁に対して
@写真、Aなぜ選んだか、B評価(星をいくつつけるか、五段階評価)
の三点をまとめ、
@は三戸ゼミ写真館へ、ABは活動報告掲示板へ書き込みます。
この企画にはあまり時間をかけません。

ちなみに、こんなサイトを発見しました。
駅弁資料館「過去の駅弁」


(2) ミニ討論会
この時間で、討論会当日に心残りだった分まで議論していきましょう!

ゼミ生全体を第一-二章、第三-四章、第五章の三つに分け、討論をします。
そのうち一チームは質問をし、もう一チームはその質問に答え、
残りの一チームが 、司会とどちらがより良い議論をしたか判定を行ないます。
順番は以下の通りです。
ミニ討論会(1/5)で第一-二章が報告、第三-第四章が質問、第五章が司会・評価
ミニ討論会(2/5)で第三-四章が報告、第五章が質問、第一-二章が司会・評価
ミニ討論会(3/5)で第五章が報告、第一-二章が質問、第三-四章が司会・評価
(残りの2コマ(4/5,5/5)は予備時間です。)
各チームが自分たちの質問コマに向けて質問を二つ考え、
質問状は合宿四日前の3月13日(金)までに交換します。
院生の方々が考えた質問と合わせて計三問それぞれのチームが当日回答します。


(3) 過去の書き込みベスト10
三戸ゼミナール掲示板の三厨さんの、「新年のご挨拶 (No:4874)」の投稿を
もう一度読み直してみましょう…!

三戸ゼミナール掲示板の、過去の書き込みのなかから
ベスト10にふさわしい投稿を選び出します。
詳しい内容は未定で、三厨さんが考えてくれています。


(4) その他の企画
三戸ゼミ大相撲:これまで通り。
夜企画@:現在先生が案を考えてくださっています!!
  検索エンジンを活用する企画などの案を伺いましたが…!
夜企画A:ラストスピーチもしくは、カルトQ。
     これから4年生の方々が話し合い、どちらにするか決定します。


全体として仮決定です。
これから二週間、春合宿に向け悔いのない行動をしていきましょう!

【記事番号:544、削除キー:544】


[543] 題名:平成26年度三戸ゼミ・三井ゼミ討論会活動報告 名前:渡邊諒太(26期) 投稿日:2015年03月01日 (日) 16時29分

≪目次≫
T.基本情報
U.タイムスケジュール
V.議論の内容
W.先生方のお話
X.刮目・コメント
 

T.基本情報


  【日時】平成27年2月27日(金) 10:00〜18:00(懇親会18:30〜21:00@和民)
【討論相手】日本大学経済学部 三井ゼミナール
  【場所】東京都水道橋・日本大学経済学部7号館9階
【三戸ゼミ・出席情報】(敬称略)
佐藤 樹  (26期)  浦林 幸輝 (25期)
木田 世界 (25期)  坂本 恵理奈(25期)
藤田 航平 (25期)  三厨 昌平 (25期)
笹井 純也 (26期)  橋 篤史 (26期)
渡邊 諒太 (26期)  中村 貴治 (院生)



U.スケジュール


配布資料「2014年度三戸ゼミ・三井ゼミ討論会 タイムテーブル」に準拠しています。
当日の進行についてははっきりとした時間を把握していませんので、分かる方に追記をお願いします。
       9:30 水道橋駅集合
10:00 討論会開始
<開会>
10:00-10:40 参加者自己紹介、三戸先生・三井先生からのお話

<午前の部>                      <午後の部>
10:40-10:55 三戸ゼミへの質問票に対する回答      13:50-14:00 分科会での論点とその意味の確認
10:55-11:40 質疑応答                 14:00-15:30 分科会(3グループに分割)
11:45-12:00 三井ゼミへの質問票に対する回答      15:30-16:30 各グループ報告、質疑応答
12:00-12:45 質疑応答                 16:35-16:40 司会から、報告に対するコメント
12:45-13:00 分科会への論点の確認           16:40-16:50 先生方からのご講評
(昼休憩:50分)

<閉会>
16:55-17:05 三戸ゼミ・三井ゼミ幹事挨拶
17:05-17:45 討論会に対する先生方からのご講評

<懇親会>
18:30-20:30
・各参加者から一言
・ゼミ紹介(三井ゼミ…ゼミのうた。三戸ゼミ…ゼミ太郎&クイズ)
・三戸先生・三井先生の挨拶

V.議論の内容


<午前>回答書に対する質疑応答

<午後>分科会
分科会テーマ:「顧客の創造≒経済成長は出来るのか、すべきなのか(個人の責任はどうなるのか・幸福として良いのか)。」

Aチーム(笹井、藤田、渡邊)   …
Bチーム(浦林、木田、佐藤)   …
Cチーム(坂本、橋、三厨)   …
(工事中)

W.先生方からのお話


■レジュメの誤字脱字、自分を大切にするとは何か(三戸先生)

■続けようと思えば、関係は続く。(三井先生)

■どう学ぶのか、それはどう生きるかにつながる(三戸先生)



X.刮目、コメント


○渡邊 諒太(26期, 3/1, 16:54)
■どれだけ討論に貢献出来たのか
今回、午前中の討論会ではどれだけ貢献できたのか。
先ず、発言の量から考えていくと、回答票の発表で一回。質疑応答で一回。
三井ゼミへの質疑応答議論の確認を一回。覚えている限りでおよそ三回でした。
質の面でも、僕の発言によって流れが変わったり、整理されたりということを
主観的には感じることが出来ませんでした。

「僕が発言することで場を混乱させてしまわないだろうか」
「他のゼミ生と共通に認識して無いようなことを勢いで言ってしまわないだろうか」
討論が為されている最中、話を聞きながらその様なことを強く感じ、
隣に座っていた佐藤に、「ここで発言しても問題ないだろうか」とちょくちょく聞いていました。

というのも、普段議論をしない相手を前にテンパり、ビビったということもありますが、
昨年度の討論会では全体の流れとは異なる様な質問をしたり、
自分の中で整理しきれないままに発言をしてしまったりということが度々あり、
今回はその様な「暴走」をしない様にしよう、と意識をしていたことが裏目に出てしまったように思います。
結果、4年生の方々が討論会の発言が主になり、そこへの参加が消極的になってしまいました。

正直、もう少し積極的に関わっていっても良かったんじゃないかなぁ、と心残りがあります。
しかし心残りだけでは、討論会だけでなくゼミ内・外での議論に活かせないので、
昼休憩の時間に先生から教えていただいたこと、学んだことを記します。

1.議論における発言は二回、一回だけでは反省することが出来ないため、二回目でそれを活かす。
2.何を論じているのかがわからなければ、素直に「今議論している事は何か?」を聞いてみる。
  何らかの理由で離席していた場合でも「少し席を外してしまったので〜」と、議論が混乱していそうなタイミングを計って聞く。
  それによって全体で話されていることの整理がなされる。
3.今なされている議論をただ聞いているだけでは発言・質問は出てこない。
  今話していることを聞きながら「次はどの様な話になっていくだろうか」と考えておく。
  論全体の流れから、質問を引き出すことが出来るようになる。

その内、3については普段議論する際から意識する事ですが、
1と2については自分の中の議論を進めるパターンにして行けるのでは考えました。
次回以降は「暴走」せず、かつ消極的にもならない様に議論を進めていきたいです。

■自分たちの理論に対する納得をさせることが出来たのか。
今回の討論会は三戸ゼミの回答・質疑応答から始まりましたが、あちらからの質問が
回答票の中にある2番「顧客の創造」、さらに3番「定常状態」という所に焦点が行ってしまい、
こちらの回答もその応対に追われる形となってしまいました。

質疑応答の際にはなんとなく本論とずれたところで進められていたように感じ、
「引っかかって欲しくない所で引っかからせない」という様にできてなかった様に感じました。
むしろ、相手に自分の意見を納得させるという点からすれば、
1番の「終焉」に直接かかわるところで議論出来たらよかったのではと思っています。

無論、論文の交換から質問票の交換までには4日、当日まで一週間しかなく、
三井ゼミの方々が全体の論を整理する時間がなかったことも一因ではないかと思います。
しかし、こちらからも「相手にどこを納得してもらいたいのか」
「相手と議論を交わしたい点はどこか」という歩み寄りが足りなかったのだろうと考えています。

また、意識的な歩み寄りに加えて、質疑応答の際にその議論が、
論文における結論部とどの様にリンクしているのかを議論上で共有することで
更に、こちらの論理から相手の納得を引き出すことが出来たのではないかと考えています。

自分・自分達が言っている事の全体像を俯瞰し、決定的な所を十分に議論できるようになりたいです。
(3/2, 01:30加筆)

■分科会において十分納得のいく結論を出すことが出来たのか

■来年度もやりたいという気持ち

場立ての後、加筆します。

〇笹井純也(26期 3/1 20:08)
討論会、充実していました。
準備でも当日でも 読む・書く・話すのおもしろさと難しさを感じられました。
その一方で、当日の議論は「もっと活発になれたはずではないか」、
と二日経った今、考えています。

■1. 「討論会」であるとの意識
「討論会」は、討論をする会です。
しかし、その当たり前のことを意識できませんでした。

討論会とは、相手と自分を納得させ合う場です。
自分の考えを説明し納得させることと、相手の考えに質問し理解することで、
二倍の学びができる場なのだ、と先生から教わりました。
しかし今回私たちは、「討論」ではなく「論文作成」にばかり気を取られてしまいました。
例えば…、
私たちは一章から四章までの整合性を意識して結論を話し合いましたが、
自分が「相手に伝えたいという結論であるか」は意識しませんでした。
前日まで相手からされる質問への対処は考えましたが、
より「自分達の結論を納得させるための議論」はしませんでした。

このように、「討論会は何のために行なわれるのか」、
「この論文は何を伝えたいから作成するのか」という意識が欠けていました。
だからこそ、当日の議論が(準備に比べて)イマイチ満足できないのだと、僕は思います。


■2. 三井ゼミと勉強する、ということ
僕は討論会から帰宅し、パソコンに向かいました。
学んだことを忘れないうちに書こうと思ったのです。
たくさんワードに打ち込みました。書きました。
そして、僕は気付きました。
「三井ゼミとの思い出が少ない。」

書いてあるのは、自己紹介の反省・発言に関して・書記の経験…、
自分に向けたことばかりです。
三井ゼミ生の名前は 河津くんが数回出てきたのみ、
相手のレジメへのコメントも 決して多くありません。
「1. 「討論会」であるとの意識」と重なる部分もありますが、
「三井ゼミ」と「討論会」を行なうのならば、
相手である「三井ゼミ生」を強く意識すべきでした。

「三井ゼミ生は三戸ゼミと異なり、経営者の視点を持っていると思う!」
「討論会を通じて、三井ゼミの視点と考え方を学びたい!」
水道橋駅へ向かう満員電車で、渡邊と語り合っていた自分。
情けないです。
今思えば三井ゼミとの時間を、
もったいなく過ごしてしまいました。

(追記します。)

○佐藤樹(26期,3/5 16:30)

■1.成果
今回の討論会での成果、やってよかったと思えたことは3つです。
(1)多くの時間を討論会に費やしたこと
 2月10日にテストが終わって、そこからほぼ毎日討論会の準備に時間を費やしました。
 討論会がなければ、有り余る時間を持て余していたと思いますし、
 何より、4年生と多くの時間を共有できてよかったです。
 この期間、特に後半はかなりしんどかったです。
 しかし、先生がおっしゃっていたように、“生きた”時間を過ごせたと思います。
(2)分かること
 空間革命の定義にはかなり頭を悩まされました。
 仮に自分の中で仮説を立てて分かったと思っても、
人に納得させることができませんでした。
 しかしそのようなやり取りを何回かやるうちに自分の中で理解が深まるのは楽しかったです。
 そしてそのような経験ができたことを嬉しく思います。
 今回それを、結論に絡めたり、他の人に十分に納得させたりはできなかったのが残念です。
(3)見方の違い
 討論会で、三井ゼミの人と討論していると、見方の違いに驚きました。
 特に分科会では、話し合いがより活発になったために、
お互いが立っているものが違っていて、
 それゆえにお互いが言いたいことや求めている結論が違うということがよく分かりました。
 そして相手と自分の何が違って、なぜ違って、どのように違うのか、を考えるのが、
 これから生きていくうえで必要不可欠だとも思いました。

■2.反省
(1)討論会幹事として
 今回、相手との打ち合わせや取り決めに余裕を持てなかったことが一番の反省です。
 もっと早く動き始めていれば、テーマにしても当日の流れにしても、
 よりよいものにできたと思います。
 また討論会幹事としての仕事に追われ、論文作成にはあまり積極的に関われませんでした。
 その点も後悔が残ります。
 始動が遅くなったのは、討論会を自分のこととして捉えることができなかったからです。
 そしてこの反省を何回したか分かりません。
 本当に難しいです。
(2)体調管理
 討論会当日、疲れから体調が悪く午前の部はそれでふいにしてしまいました。
 また準備の段階でも、肉体の疲労とともに精神的な疲労もたまって、
かなり追いつめられました。
それは全体的にもいえることで、討論会前の1週間は体調不良での欠席も増えて、
当日が不安になっていました。
討論会当日を万全の状態で迎えるための日程調整等はできたはずです。
それができれば、もっと活発な議論になったのではないかと思います。
 
〇三厨昌平(25期、3/7、1:01)
遅くなってしまったが、討論会についてゼミとして、また個人として振り返る。
ゼミとしては、三戸ゼミの論文について考える時間を三井ゼミの視点で議論することに
使ってしまったことが全員が悔いとして持っている問題である。
自分の担当範囲や、「やるべきこと」に思考が偏ってしまい、
質問表と回答書の準備を進めることはしたものの「討論会で何を行うか」を考えることができなかった。
この点が大きく悔やまれる。

しかし討論会としての内容も良くなっていたし、論文の完成度は去年より上がったと思う。
一人一人の意識が高く、論文の内容を理解し、論文・質問表・回答書と完成度を高めて、
相手に伝えよう/相手の言っていることを理解しようとしていた。
特に3年生が、主体的に動けなかった去年の反省を踏まえて積極的に準備を行っていたことが印象に残っている。
そして今回の討論会は、去年と同じく年度の集大成として、同じゼミと行ったが、去年より楽しかった。
両ゼミの議論がかみあって、議論の内容が自分に差し迫ったものに感じられた。
みんなは議論することや、そこ中で考えが深まっていくことに対して、「楽しさ」を感じなかったかい?
(それは「至らなさ」がどれだけあったかに因るとは思うけれども)
今回の討論会はこの一年でゼミとして(あるいはゼミ生全員が)成長を実感する機会にできたことをはっきりと言いたい。
(もちろん発言できなかった人はその点猛省して欲しい。積極的に関わっていただけに。)


次に、個人としての討論会を振り返る。
残念ながら引っ越しと期限が迫る教習通いなど討論会以外のところで
どうしても忙しいことが予想されたので、論文に関しては自分の担当範囲を完璧にすることに努めた。
しかし一週間経って改めて読み返してみると文章にアラが目立つのが悔しい。
作成中に論文の中での立ち位置は何度も変わり、どの方向で書くかが後にならないと確定せずに苦しかったが、
最後に提出する前に冷静になって読み返したり他の人に読んでもらって直してもらうことはできたのではないかと思う。

論文提出後から討論会当日までは、質問と回答には取り組んだものの「討論会で何をするのか」ということを考えることができなかった。
討論会をより良くするためには何をすればよいかを考えて動いていれば
「納得させたい(しかし相手から質問では納得されているか分からない、だから〜)」というように
ゼミ内での議論を持って行けたのではないか。討論会の最初の1時間によってこれができなかったことがわかった。
その後の分科会で、「納得している」という言葉を三井ゼミ生から引き出したが、
何とも実感のないかたちで終わってしまった。

討論会当日を全体的に見ると、反省している3年生に比べれば積極的に発言し、
相手と理解しながら議論を進めることができたが、
議論をもっと高い視点で理解できるようになりたいと思った。
貴重な時間を何を分かるために使うのか、ここで何を得たいのか、を頭において議論することが
歯を磨くようにできなければ、人と議論して自分で納得し、人を納得させることは難しく、
司会をしたり、コメントを求められた時に良い仕事はできない。

@最後に冷静になって読み返す(卒業を前にして情けないが)
A何のために行うのか、何をするのか、念頭に置いて取り組む
の二点を自分の課題として、また勉強していきたい。


〇木田世界 (25期 3/08 18:37)

■何を問題とすべきか考える。
三井ゼミへの質問状を書く段階の方が、相手の問題意識は何か、ここでは何を問題とすべきなのか?への意識があった。
例えば、三井ゼミが問題とするべきは、非正規労働者の成果(技術論)ではなく、組織社会において機会が与えられていない(規範論・理論)レベルの問題ではないか、という意識があった。
しかし当日はディベートになってしまい、ともかく非正規社員にも責任をもたせられるのではないか、という議論のみに終始してしまった。しかも、現実・実態から離れた議論であった。
また、非正規雇用者、とくにバイトは地位か、という疑問について、なぜ地位が必要かという意識がなかった。

議論の進め方に違和感を感じても、それをどう変えていけばいいかわからないと思ってしまった。
でも、代案がないとしても現状の問題点を指摘したり、一つに絞れなくても幾つか議論の方向性の選択肢を示すことは
十分な貢献になるのではないか、と思った。

「自分は/相手は何を、なぜ問題としたいのか。なぜ今話していることについて話しているのか、
そこからどういう議論につなげていきたいのか」という意識が無ければ、
単に相手の言っていることへの疑問・否定をぶつけるディベートになってしまう。

■討論会のコンセプト
討論会のコンセプトが揺れ、曖昧であった。
お互い納得させる納得することなのか、共通テーマの討論なのか、
早い段階でゼミ生側から明確な意見をだすべきであったし、三井ゼミ生と話すべきであった。
「ゼミ生たちで」どういう討論会にしていこうというビジョンをもっと明確化していけおけば良かったと思う。

■三年生について

今回、残念ながら三年生の発言が少なくなってしまった。
準備では三年生がかなり積極的に関わっていっていけていたが、当日それを発揮できなかった。

三年生に後で発言できなかった理由を聞くと、「こんな意見を発言していいのか、流れをさえぎって良いのか」
ということだった。僕もあまりうまく自分の意見を述べられる人間ではないので、
その気持ちがあるのも分かるが、やはり、実験して失敗していくことが一番良い学びだと思う。
ドラッカー流に言えば、人間には真理はわからないからこそ、人間は自由=責任ある選択を行うべきである。
自分の意見を言うことも、「責任ある選択」の一つではないか。

また、レジメを書く時も、全体の流れの中で、ここではどういう結論をだし、どう次の章につなげていくのか、
ということをさらに意識して欲しいと思う。
逆に、自分の反省としては一人ひとりにどう働きかけて全体の中での役割についての意識を持たせるのか、
という視点が欠けてしまっていた。

○高橋篤史(26期 3/20 17:00)

(1)発言の少なさ
発言回数は少なく、討論会全体を通じて存在感を示したとは言えない結果になりました。
この質問が議論を整理し活発にするの為に必要であるのかを考えると、出かけた質問が喉のあたりで止まってしまいます。
この問題は常に今何を話しているのか、何をすれば結論に結び付くのかを考えられる能力を鍛えることが解決の糸口になると思います。
それは一朝一夕で身につくものではなく普段のゼミの中で鍛えていかなければならない能力であるため、これから努力します。

もう一つは、姿勢の問題です。
今回の討論は、自分が担当した論文や質問とはあまり関係のない部分が論点となりました。
準備の段階で、我関せずと自分自身の担当以外の部分つまり論文全体を考えるということは特にはありませんでした。
まだ論文ひいてはゼミ全体に対して当事者としての責任を持っていくことを今すぐに改めたいと思います。

(2)討論会のコンセプト
当日何を議論し、何を相手に納得させ、新しく何を得たいのかというう意識がすっぽり抜け落ちていたと思います。
その結果、相手の質問に応答することのみに終始し、水野の論はまるっきり関係なく
ドラッカー理論のみの視点から議論を展開してしまいました。質問状や回答状を書く時点から
当日の議論をある程度推測することが重要であると気づきました。

(3)感想
討論会を全体的に評価すれば、「やってよかった」と確実に言えます。
何より準備の時間が楽しかった。春休みだというのにほぼ毎日朝から図書館に集まり、
閉館後は石嶺さん宅に夜遅くまでお世話になる。
肉体的にも精神的にもきつかったが、完成までこぎつけられたのは他のゼミ生の存在があったからです。
準備にしても、当日の議論にしても、懇親会にしてももっとうまくできたとは思います。
しかし、非常に楽しい充実した時間であったことは確かだし、
またしたいと思えるものであったことは間違いありません。


【記事番号:543 削除キー:touronkai】




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