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[271] 題名:2011年度ゼミ活動報告〜ひとつの希望〜 名前:松井 敬祐(23期生) 投稿日:2011年05月14日 (土) 21時29分
只今より第4回ゼミ報告を行っていきたいと思います。
なんといっても今回は2011年度オープンゼミでした。
ゼミ開始前はわくわくしながら新2年生を待っていたのですが……
結局訪れたのは“1人”という結果。
予想外の人数にゼミ生たちは困惑し、ゼミ生は落胆していたのです。
しかし、本当に貴重な1人であったので、
ゼミに親しんでもらうために彼に積極的に話かけ、
ゼミに関して質疑応答を行いました。
そういった中で始まったオープンゼミですが、
以下より、私が出席し、様々なことを学んだゼミ活動を報告していきましょう。
目次
T.基本情報
U.勉強〜論文の読み方〜
V.刮目
W.感想〜オープンゼミについて〜
X.今日一番得たことT.基本情報
【日時】5月10日(火)16時15分〜22時00分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬略
〈20期生〉中村
〈22期生〉近藤、清野 (坂倉)(小林)
〈23期生〉衛藤、松井、市川
出席率:75%(6/8)U.勉強〜論文の読み方〜
前回のゼミに引き続き内田樹『街場のアメリカ論』(文春文庫、2010)まえがきを
用いて本の読み方について学んだ。
まず、ゼミ生一人一人が課題としてだされた二つの問いをレジュメにまとめて、
そのレジュメの中で良いと思うものを2つ選んだ。
その結果、近藤さんと清野さんが4票
衛藤と松井が2票
という結果でこれは「勉強のキャリア」が出たというのが明らかである。
その後、各自ゼミ生が【なぜ】そういう解答に至ったのかを簡単に説明し、
先生の解釈を加えて、最終的な解を考察していった。問1.内田樹はどうしてアメリカ論を書くことになったのか?
(1)内田の考える“日本”とはどういう国か?
内田の問題意識として「どうして日本はこんな国になってしまったのか?」
という問いを投げかけている。
その中の“こんな”についてゼミ生はまえがきを参考に六つ挙げた。
○アメリカを欲望する
○アメリカにとって自分(日本)は何者であるかを問う
○アメリカの影にいる
○アメリカとねじれ関係にある
○アメリカに呪われた
○アメリカの従者である
これらからわかることは、
日本はアメリカと切り離されない関係にあるということです。
【日本のナショナル・アイデンティティとはこの百五十年間、
「アメリカにとって自分は何者であるのか?」
という問いをめぐって構築されてきた。
その問いにほとんど「取り憑かれて」きたと言ってよい。】(p.10 l.1~3)
とあるように、日本はこの問いに百五十年間没頭してきたのである。(2)アイデンティティ論
ヘーゲルのアイデンティティ論は、
○「私たち」はつねに「誰か」にとっての「私たち」なのである。
他者からの視線を媒介しないアイデンティティというものは存在しない。
(p.10.l 8~11)
【例:フランス革命時のフランス市民が、封建遺制の残る国の眼差しの内に、
「フランス市民」としての自己像を見て高揚した。】
このヘーゲルのアイデンティティ論に基づいて、内田は
○私たちのアイデンティティを支えるのは、その他のすべての点が同じであるにもかかわらず、
そこだけが違うような「一点」を析出してくれるような他者なのである
(p.11 l.15~17)
○「その他のすべての点が同じで」ある場合にだけ、
「違う一点」が私たちのナショナル・アイデンティティを際だたせる。
(p.12 l.17~p.13 l.1)
としている。(3)日本のロール・モデル
幕末以前は日本から近い清朝(中国)を日本のロール・モデルとしてきた。
しかし、幕末の危機(清の没落)により「日本らしさ」の問題が浮上した。
それは、それまで存在してきた「日本らしさ」が脅かされたのでなく、
「日本らしさ」というそれまで考えずに済んだ主題が浮上してきたということである。
⇒つまり、今まで清朝(中国)を日本のロール・モデルとしてきたのに、
その没落により、日本はナショナル・アイデンティティを、
“どう基礎づけたらよいか”がわからなくなってきたのである。
しかし、そこにやってきたのが、ペリーが率いる【アメリカ】だ。
これにより、日本は太平洋の彼方の国である【アメリカ】を
ロール・モデルの国防的な欲望の対象とした。
⇒これが歴史的な日本の清朝(中国)からアメリカへの
ロール・モデルの“シフトチェンジ”である。
このシフトチェンジは【無意識的】に行われ、当に日本人も気づかなかった。
このことが内田樹の日米関係論の起点的仮説である。
内田がアメリカ論を書くようになった理由は、
【「どうして日本はこんな国になってしまったのか?」という問いを
解明するということはアメリカとの関係を切り離せずして解明できず、
日本のアイデンティティはアメリカのそれとどう違うのか、
ということを知る必要があったから】
という解答に至った。問2.「アメリカを欲望する」とはどういうことか?
まず、“欲望する”という言葉がどこで使われているのかを見ると、
「日本は以来百五十年、アメリカを欲望してきた。」(p15.l.15)
それはヘーゲル的に言えば
「「アメリカに欲望されることを欲望してきた」ということと同義である」(p.16, l.1)
とあるように、
日本はアメリカに欲望される(=アメリカにとって都合のいい国となる)ように動いてきた。
それは、【自衛隊の給油問題】などにも表れている。
⇒日米同盟が中東地域にまで効力をもつわけでもないのにもかかわらず、
日本はそれに関与しているではないか。
そして、日本がそのような自身の行動、
(アメリカにとって都合のいい国であろうとする行動)
に対して意識的であるかというと、“そうではない”。
多くの日本人が
『アメリカに都合のいい国であろうとしているかね?』と聞かれれば、
拒否反応を示すであろう。
(ただし、ハマコーは除く。)
その無自覚さが日本の自身に対する「病識」の無さであり、
アメリカから「呪い」を受けているという証左なのである。
つまり、「アメリカを欲望する」の内容は、
【日本が自身のロールモデルとしてアメリカを求めると共に、
アメリカにとって自身が都合のいい国であるように望む(そしてそのような自己に対する認識が日本にはない)】
という解答に至った。○この「まえがき」から得られる問い
「まえがき」から得られる問いを作りたいのだが、
まだ明らかになっていないことがある。
それは「アイデンティティ」を得るために
アメリカを「欲望する」ことと、
アメリカの方から「欲望される」こと
に乖離があるのだ。
【アイデンティティ】と【アメリカに欲望される】ことにどのような関係性があるのか、
という点が未だ明らかになっていない。
この点を明らかにしていくことを今後のゼミでやれればよいのであるが、
次回のゼミからドラッガーの勉強にはいるので、
掲示板で自分の見解を投稿するということになった。V.刮目
私は刮目で英語の国的相違、イギリス英語の階級的相違、
そしてSNSで使われるような若者言語について話しました。
国的相違とは英語には大きく分けてアメリカ英語・ブリティッシュ英語が
あるということです。そして、階級的相違とはイギリスにおけることで、
王室の人が使うロイヤル英語、一般の人が使う河口域英語です。
私たちが教育の中で使っているのは大抵アメリカ英語なのですが、
ひとたびロイヤル英語の魅力に気付くと自分も喋ってみたいと思うに違いありません。
現在私は英会話に通っているのでが、
イギリスの講師から学んでいて非常にアメリカ英語との違いに気付かされます。
そんな英語を使ってfacebookで様々な国の人とコミュニケーションするのですが、
その中で顕著に目立つのが“textspeak”という言語表現です。
例えば、everyoneはevry1を表し、By the wayはBTWと表すのです。
初めて目にしたときは、何だこりゃと思いましたが、今となっては頻繁に使用しています。
では、日本にはそのような表現はあるのかと考えたとき、
すぐさまギャル文字を思い浮かべました。
例えば、“け”を“1十”と表したりするなどです。
この表現と英語におけるtextspeakは同じではないのか、とみなさんに問いました。
先生のコメントとして、まずtextpeakとは140字という限られた範囲の中で
効率良く相手に伝えるために文字の字数を削減するために使われているものであって、
日本のギャル文字にはその機能はないということでした。
また、先生からの新しい問いとして『では、日本語には階級的相違はないのか?』
という問いを投げられて、思わず「無い。」と答えてしまったが、よく考えてみれば、
天皇皇后両陛下が使う言葉と一般人が使う言葉は違う。
天皇陛下が被災地の宮城に訪れ、避難所で暮らす人に話しかけたとき、
話しかけられた人は何とも言いようがないような喜びを感じていた。
これは一般人とは明らかに違うものである。
私は他者に笑いを感じてもらうことは可能だが、喜びを感じてもらうことは極めて少ない。
また、教育が豊かかそうでないかでも言葉に対する階層が生れるということも
先生より教わった。教育が豊かでない人は横の関係(タメ口の関係)・縦の関係
(丁寧語の関係)において、横の関係はできたとしても、
縦の関係で教育が豊かな人と差ができてしまうのである。
英語からここまで考えを広げることができ、
イギリスという国に関する本にも関心を持つことができるし、
“アメリカ英語とイギリス英語をもっと詳細に比較してみたい”
という興味も湧くことができました。W.感想〜オープンゼミについて〜
オープンゼミにもかかわらず、
結局来たのは一人だったという結果は非常に残念でした。
また、見学しに来てくれた彼はアルバイトということで17時に帰り、
ゼミの雰囲気を感じてもらうことができませんでした。
しかし、来てくれた一人の二年生は三戸ゼミの希望です。
本当に大事にしていき、次回の見学会に来た時には彼だけでなく、
参加している他の二年生が
「絶対三戸ゼミに入る!!」と思うようなゼミの雰囲気を作っていきたいと望んでいますし、
私だけでなく、私以外のゼミ生もそう思っているに違いありません。
ですが、なぜ一人であったのかということを分析しなくてはいけません。
そのことにつきましては、3年生で反省会をして、
ゼミのチラシ・ゼミガイダンスを分析して、掲示板に報告していきたいと思います。
また、ゼミの初めに先生よりゼミ生へ
『たった一人の参加〜○○〜 この○○に入れるサブタイトルは?』
という質問があり、それぞれが以下のように答えた。
・中村さん 〜勇者来訪〜
・近藤さん 〜不発のオープンゼミ〜
・清野さん 〜歴代最少人数……一人!!(ギネス)〜
・市川 〜蜘蛛の糸〜
・松井 〜ひとつの希望〜
・衛藤 〜一人に終わったオープンゼミ〜
この列挙からわかることは個々によってオープンゼミの参加人数を
プラスに捉えていたのか、
マイナスに捉えていたのか、
と分かれているということである。
サブタイトルをどうするかでオープンゼミの報告の締め方が変わってくるのである。
また、先生が【なぜ】それを問うたのかというと
“タイトル・サブタイトル付けに対して意識的になるため”である。
このオープンゼミの結果をOBの方々と意見を共有し、
OBの方々ならどういうサブタイトルを付けるのか、
ということでコミュニケーションが広がっていくのである。X.今日一番得たこと
これは先生の提案より、その回のゼミの中で自分が一番得られたことを
5行程度で記述するものである。書き足し方式で削除キーを入力して、
この下に随時書いていってください。【削除キー:0510】
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○ 松井 敬祐(23期)2011/05/15 00:45
論文の読み方を3週間に渡って勉強しているのですが、
この第4回のゼミで終わりを迎えました。
この勉強で私は“なぜ?”という問いを常に頭の隅に置いて、
本・論文を読んでいこうとする姿勢を心がけていこうと思いました。
しかし、本の前書きだけであれほどまでに展開できるとは非常に、本当に非常に
感銘を受けております。
私も一人でそういうふうにできるように頑張ります。 (8行)
○ 中村 貴治 (20期) 2011/05/16 18:00
【本の読み方(線の引き方)に変化が】
私は以前からスピーチ大会でも(本当に)しつこく、「線を引きながら本を読むといいよ!」、
ということを述べてきました。今回線の引き方についてご指導を受け、その方法を少し変えています。
すると、やはり文意がよくとれます。「よし、これからは読み方を改めていこう!」
と、意気込んだのはいいものの、私の机の上には以前の線の引き方で塗りつぶされた本の数々が。
もはや今の私にとっては物凄く違和感のある引き方です。……自分が成長した証としておきます。
ここで終わろうと思ったのですが、以前「今週のゼミで学んだこと(第一回)」に書いた、
「意味は(ほとんど同じものたちの中に棲まう)差異に生じる」というお話が頭に浮かびました。
きっとこれらの線の引き方の差異、その意味を感じ分けられるのは、ほとんど私だけであり、
他の人には同じように見えるのでしょう。「意味は差異に生じる」、本当にその通りですね。
これからも学んだことを大切にしていきたいです。(松井君、結局5行にならずにごめんなさい)
○近藤祐太朗(22期) 2011/05/17 14:00
刮目でも話しましたが、今回のゼミで特に意識的になれたことは、
文章でも、人の話でも、映像でも、全ての情報を把握し、考える材料にすることです。
昨年度のDVD学習の際、映像の容量は文章より格段に大きいのだから、
その分多くを引き出せるはずだ、と先生からご指摘を頂きました。
文章を読む際も、筆者が伝えんとしていることが何なのか、何度も繰り返し読んで
「理解する」ことが、本当に大切だと感じる。
○衛藤雄介(23期) 2011/05/24 03:48
自分は刮目にてゼミ開始から一ヶ月経った自分を省みて、
まだまだゼミ幹事どころかゼミ生としての必要な点も満足に
できていないということを反省しました。その際先生より頂いたアドバイスは
“注意されたことはすぐ直し、やってみろと言われたことはすぐやる”
ということでした。
ゼミ生として何をすれば成長できるのだろう?と途方に暮れていた自分にとって
明確な道しるべができたように感じました。
しかし、このコメントの日時を見ればわかるように、
自分は『すぐに』の部分が圧倒的に欠けております。
なんとしても2年生が入ってきた時に、
先輩として恥ずかしくないよう自分の欠けている部分を
直していきたいと思います。
市川宗近(23期)
タイトルのつけ方ということに関して学びました。
タイトルつけることで、自分は、あるいは他人は、そのことを
どのように評価しているのかということを理解しやすくなるのです。
タイトルをつけるということを、日頃意識していない
私にとっては、タイトルをつけることを意識することによって、
よりよいタイトルがつけられるようになろうと思いました。
タイトルということに関しては、スピーチ大会のテーマがあります。
前回の反省点に加え、ここでの学びもプラスして、
第二回スピーチ大会のテーマのタイトルを考えます。