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報告の前に・・・


@まずは、報告の「型」を確認しよう!
(該当ナンバーをクリックすれば、詳細が確認できます)
1.文献の表記の仕方
2.構造を意識してまとめる
3.記録と評価・感想を分けてまとめる
4.エピソードに語らせる
5.タイトルを工夫する


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[298] 題名:2011年度第11回ゼミ活動報告 名前:市川宗近【23期】 投稿日:2011年06月30日 (木) 09時57分

報告遅れてしまい申し訳ありません。
みなさん、どんどん書き込んでください。
前回のゼミ前に流れてきたメーリスを覚えていますよね?
「課題と今日イチをしてから、ゼミ室に来ること。」
今回はそのようなメーリスが流れないようにしましょう!

そして、ゼミに新しい仲間が二人増えました。
高橋君と新山君です。
来週は新歓ですし、再来週はスピーチ大会です。
そろそろ、原稿考え始めなければ…。コンセプトを意識して準備したいと思います。
では、第11回ゼミ報告に参りましょう。

≪目次≫
T.基本情報
U.次回までの課題
V.M.サンデルのDVD課題についての討論
W.本の交換会
X.刮目
Y.今日イチ

削除キー【0628】


T.基本情報


【日時】6月28日(火)16時30分〜23時00分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>坂倉、(近藤)(清野)(小林)
<23期生>市川、衛藤、松井
<24期生>坂井、高橋、新山、(石嶺)
出席率:61%(8/13)

U.次回までの課題



@今回の課題について、討論した流れを、司会を行った人、または、討論を行った人が
【V.M.サンデルのDVD課題についての討論】に書き込む。

A小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書 を読んで、書き残す。

B原発本について、まとめる。(再来週まで)


V.M.サンデルのDVD課題についての討論



課題@は、ここに書き込んでください。


【衛藤 雄介(23期)】
先週の課題B「原子力発電を続けていくか?」について、
松井(即中止すべき派)と自分(段階的に中止すべき派)で議論をしたので、
そこで気付いた点について述べます。

議論の内容は、主に
松井が「あんなに恐ろしいものを、いつまでもそのままにはしておけない」と主張し、
自分が「代替エネルギーが確立しないまま即廃止では、経済が保てない」という主張で
どちらも平行線の議論をしていました。

その後先生からの話において、この問題の論点はたった1つであり、
“金や便利さで、命が買えるのか?”
という点について、議論をすればよかったという指摘をいただきました。

原発問題のような複数の問題・視点が絡む議論で、
わかりやすく論点を絞ることがこんなに難しいのか、と身にしみて感じました。


★市川へ
せっかく1対1の議論形式をとり、勝敗まで決めたのだから、
議論の内容だけでなくてそういった部分も紹介したらどうだろうか?
決着のつかないドローもあったが、あの勉強はお互いにとても熱のこもった議論になっただけに、
この場でも是非紹介してほしいと思う。


【坂倉 尚道(22期)】

私が司会を務めた、松井と衛藤の議論についてまとめます。

[問題]
何のためなら、自己犠牲を行えるか。

[各主張の要点]
○松井
「妻と子供のためならできる。それが夫の「義務」だからである。なぜ妻と子供を優先するのか。
相手の親に結婚をお願いした時点で「責任」が生まれるからである。」

○衛藤
「妻と子供のためならできる。身を挺してでも守らなくてはならない存在であるからである。
妻と子供以外のためにはできない。」

[議論の流れと評価]
松井、衛藤ともに、「妻と子供」のためなら自己犠牲を行えることは一致していた。
しかし、その理由が「責任」なのか、「義務」なのかを詰めずに議論が進んだ。
別の論点では、衛藤は「妻」「子供」以外には、自己犠牲を行えないという意見であったのに対して、
松井は、他の人のためにも自己犠牲を行うかもしれないが、「妻」「子供」を優先するという意見であった。
松井が、それは「思い」の強さのためであるという理由を新たに挙げたところで終了した。
皆の評価は、「議論を主導していた」「意見に一貫性があった」という理由で、衛藤の方が優勢だった、というものだった。

[先生のご指摘]
・「論理」でなくて、「情」で答えてしまっている。
・論理は、最低三段必要である。
・家族の中でなぜ「妻」と「子ども」を優先するのか、以下のように具体的に考え、
 自分達の判断の裏にどういった原理が流れているのかを突きとめなければいけない。

「どちらを優先するか」
@自分の子―親友の子
A自分の子―自分の妻
B自分の子―自分の親
C自分の妻―自分の親
D自分の父―自分の母
E自分の親(兄弟○)―妻の親(兄弟×)

【中村 貴治(20期)】

[市川○]vs[坂倉×]市川勝利!!

<論点>金のために自己犠牲するか
⇒[市川]貧しい状況で(家族が)どうしようもなく苦しんでいるとき、
     金のための自己犠牲はするのではないか。
⇒[坂倉]自己犠牲に金は関係ない。愛や美のためにするだろう。

< 先生のコメント>
⇒[市川]金の位置づけとして、「家族のための金なら要る」という点が、クリアだった。 
     大体どのくらいの金なら動くのか、ということは考えて欲しい。
⇒[坂倉]「愛」、「美」、「責任」、「家族」がそれぞれ繋がっているように見えながら、
     実は論理がハッキリしていない。それぞれの関係性を詰める必要があるだろう。

<所感>
・議論自体は平行線の感がありましたが、内容以上に「議論の姿勢(声の大きさ・ハリ、
 間をおかずに意見を言う、など)」において市川君が勝っていたと感じました。
 論点を先に出したことで、議論をリードする立場にたてたことが大きかったのではないかと思います。
・市川君の方が、明らかに主張内容がスッキリしていたことも勝因だと思います。
 本題にたどり着く前に論理を複数踏まないといけないのは、短時間の議論において非常に不利であると感じました。
 ただ、これも内容が充分に詰まっていれば、主張もスッキリしたものにできるのかもしれません。

※補足※
2009年度の追い出し合宿にて、「ミニ討論会」を行いました。今回はその時の雰囲気を思い出し、
個人的にとても懐かしく感じていました。拙いながらも以前に私が総括を行ったものがあります。
末尾にその際の先生のお話を踏まえたミニ討論会のポイントをまとめていますので、
現役生はこの機会に確認しましょう!
[127] 題名:平成21年度年度追い出し合宿報告 「ミニ討論会」 A 名前:20期生 中村貴治


W.本の交換会



テーマは“アメリカ”でした。

市川 堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』 岩波新書 B+
坂倉 佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』ちくま新書 A-
松井 杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』集英社新書 B+
中村 星新一『明治・父・アメリカ』新潮文庫 A-
衛藤 竹中正治『ラーメン屋 vs. マクドナルド』新潮新書 B+

先生
ヘミングウェイ 『老人と海』 A○
エド・マクベイン『警官嫌い』 A
ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』 A
星新一『明治・父・アメリカ』新潮文庫 A



X.刮目





Y.今日イチ



【市川宗近(23期生)】6月30日 9:40
小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書 読みました。まだ一回読んだだけですが、
今の感想としては、原発が怖すぎて怖がれない、といものです。
怖いのですが、怖すぎてよくわからなくなりました。
絶望に近い状況を感じます。
この本を読むと、節電、節電と騒ぎ、熱中症対策(もちろん、大切なことですが)ばかり
特集しているテレビに、もっと原発の現在の状況を説明して欲しいと感じます。
原発の状況を最近ニュースで聞いたことがありません。
今からネットで少し調べてみようと思っています。

原発本のリストを作成するということなので、本屋で見ているのですが、
驚くほどの量が出ていて、これをまとめるのか…、と途方もないように思いました。
なので、まずは今週中に新書のリスト作成を目標にやっていこうと思います。

【中村 貴治(20期)】

『原発のウソ』。数時間で集中的に読み切ってしまいました。遅読の自分としては、こんなことは久しぶりです。
今、原発を論じるとき、様々な問題が絡み合い、無意識的にも混同されながら行われており、
だから議論が進まないし、しかもそれぞれがしっかりと話し合われるべき重さをもつから余計に難しいのだと思います。

『原発のウソ』を読んで、それらの問題が全て解消されたというわけには、もちろんいきません。
特に被曝量の問題については、正直まだ自分としては良く分からないところがありました。

しかし、少なくとも「原発は続けていくべきか」という問題に関しては、はっきりと「続けるべきではない」と言える、
むしろ言わなくてはならないということが明確になりました。それだけでも、この本は読む価値があると思います。

そして、何よりも今後の日本の在り方を考えるときに、「日本はこんなにも『愚かなこと』をしてしまう国なのだ」、
ということを思い出す意味で、常に頭に置いておくべき本と言えるのではないでしょうか。
他の原発本も読んでみる必要がありますが、現状で本の交換会で評価を付けるなら、A+にはしたいところです。

【衛藤 雄介(23期)】
勉強の中で、「妻や子供を守るのは夫の義務(責任)だ」という発言をした際、
先生から「義務」と「責任」の違いは何か考えてくるように、と課題を出されました。
ここに、簡単にですが自分の考えを述べたいと思います。

『義務』(〜しなければならない)は、
“社会的にそれを行うことが要求されていること”
であり、例えば「借りた金は必ず返す」ことは法律でも決められているように
社会が決めたルールであり、『責任』という言葉よりも『義務』という言葉で表現されることが多いです。

「責任」(〜すべき)は、
“個人的にそれを行うことを要求すること”
であり、例えば「借りた恩は必ず返す」ことは上と違って法律では定められておらず、
それぞれの個人が「そうしよう」と強く思うことにより成されることです。
これは『義務』とは言えず、『責任』と言えるのではないでしょうか。

以上が、「義務」と「責任」の違いではないかと思います。

よって、今回の勉強では「妻や子供を守る」ことは、“社会が”そう定めていることなのか、
“個人が”そう考えているのか、その点をしっかりと使い分けるべきでした。
ちなみに自分の意見を述べると、上の「妻や子供を守る」ことは自分自身がそう考えているゆえに
『責任』であると思います。

★市川へ
石嶺君は今回のゼミ欠席していたよ。
それと課題Aの本を読んでくるのも、再来週までの課題であったはずだよ。


【坂倉尚道(22期生)】
先生に、議論が上達するために必要なことを教えて頂きました。

@論点を絞る、論点を明確にする
A掲示板の議論を批判的に読む習慣(納得できるーできない、なぜか)
------------------------------------------------------------------------------------
習慣がなければいざという時にできない、ということはいろんな場面にあてはまります。
本番でできなかった際に、その習慣の欠如を実感することは誰でもあると思いますが、
その気づきを活かし、次から自分が意識的に習慣づけられるかどうか、
が「勝負の分かれ目」になるのでしょう。
「掲示板の批判的検証」や「good job、bad job」を皆で習慣づけしていきましょう。


【高橋 祥太朗(24期生)】
先週新しくゼミに参加させてもらうことになった2年の高橋です。
三戸先生、先輩方、同期の皆さんこれからよろしくお願いいたします。
共に勉学、交友に励みましょう!

前回のゼミの内容として・・・
三戸先生の経済、車、果ては宇宙等についての興味深いお話が聞けたり、自己紹介の意義や、自己犠牲、原発問題等の事について議論でき非常に有意義な時間を過ごせました。

初回だったのでゼミの流れ、先輩方の名前を覚えるので必死でした。
しかし、三戸ゼミでなら楽しく積極的に勉強できると感じたので(まさに僕が望んでいたTHE大学という感じの授業がそこにありました!)次回からもゼミ活動に励みたいです。

【松井 敬祐(23期)】
今回のゼミでレジュメを作ってきたのですが、
その中で私は【責任】と【義務】について同じ意味のように記述していました。
私以外にもこの二者の違いについて明確に説明できる人は少ないのではないでしょうか。
しかし、先生のご指摘のように意味が違うわけで、違うからこそ、漢字も違うのです。
英語でも義務はdutyで、責任はresponsibilityという異なった単語です。
この2つの単語について自分の考えを述べてみたいと思います。

まず【責任】や【義務】がどのように使われているのか、共通点と相違点で考えてみました。

(共通点)
○責任(義務)を負う。
○責任(義務)を受ける。
○責任(義務)を果たす。
○責任(義務)がある。など…


相違点
○責任を持つ。
○責任をとる。
○責任を免れる。
○責任の大きさ。など…

○義務に従う。など…

これからわかるように、【義務】は持ったり、とったり、免れたりできないのである。
("持つ"という動詞は少し曖昧で、義務はそもそも持つというより、
すでに人間に備えられているという感覚⁉)
つまり、【義務】は自分で選択できなく、強制力があるのだ。
日本の三大義務があるように、日本に住んでる以上、
それらに従わないといけないし、義務は決まっているものなので、
大きさの規模という概念はないのである。
一方、責任は持てたり、持てなかったり、
取れたり、取れなかったり、
免れたり、免れなかったりと選択ができ、
強制力を持っていないのである。
CSRにも企業の社会的"責任"という言葉があるように、
企業がそれをするかしないかは企業の勝手なのであって、義務ではない。
(CSDは存在しない。)

【中村 貴治(20期)】
※上に、小出裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)の感想をあげたのですが、
 今週のゼミの場で学んだことも書き込みします。

〔何故、今「宗教」を問うのか〕

今、「宗教」に目を向けなくてはならない。
“死・死後”や“生”を問うことが、今我々にとって重要性を増して来たからである。

(1) “仏の教え”からの乖離
かつて仏教徒は、欲を捨て、家族を持たず金を持たないことにより、聖性を得ていた。
しかし、親鸞によってそれが解放され、その後組織化されることで浄土真宗は全国に広まった。
そして寺を中心とする戸籍制度として政治体制に組み込まれ、日本はどんどん仏の教えから離れて行った。
今では政治は政教分離であって、世間には「宗教的でない方がいいんだ」という風潮にすらあり、
仏の教えから乖離した宗教は、自分の生活からどんどん失せていった。

(2) 私たちの前に広がる問題
しかし一方で今、私たちの前にある問題―高齢化と老後への不安、食べ物への不信と健康への関心の高まり、
死後の不安から捕鯨問題、臓器移植まで―は、多くが「“死・死後”、そしてそれに対となる“生”をどのように考えるのか」
という問題と繋がっている。宗教はそれらの概念を我々に与えてくれる。
今また、震災で多くの被害者、遺族の方々が出ている。どのように宗教に相対するかが、今後より重要となってくるだろう。


【新山 公太(24期)】
自分はこの回がゼミへの初参加となりました。

一番印象に残っていることは、やはり「なぜ自己紹介をするのか」ということが自分にとって明確になったことです。

自己紹介をする目的は、初対面の人、人たちに対して
 (1)自分の名前を覚えてもらうこと
 (2)相手に関心をもってもらうこと
 (3)相手に好意を抱いてもらうこと
という三点が挙げられます。

これまで自己紹介をする機会は幾度もありましたが、こうしたことを意識することはまるでなく、ただこなしてきただけでした。
しかし今回を通じて、
意識次第で日常の事柄からでもさまざまな発見を行うことができ、更に発見を認識することで、自身の行動をよりよくできるということを知りました。

以前、自分の仕事について「なぜ何々をするのか」「何を目的として行うか」といった定義づけを行わない、
すなわち哲学的思考を持たない者は二流以下にならざるをえない、という文章を読んだことがあります。
自分もこれからは物事に対し、「それは何であるか」「その目的は何か」というその意義を問う姿勢を常に心がけたいと思います。




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