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[298] 題名:2011年度第11回ゼミ活動報告 名前:市川宗近【23期】 投稿日:2011年06月30日 (木) 09時57分
報告遅れてしまい申し訳ありません。
みなさん、どんどん書き込んでください。
前回のゼミ前に流れてきたメーリスを覚えていますよね?
「課題と今日イチをしてから、ゼミ室に来ること。」
今回はそのようなメーリスが流れないようにしましょう!
そして、ゼミに新しい仲間が二人増えました。
高橋君と新山君です。
来週は新歓ですし、再来週はスピーチ大会です。
そろそろ、原稿考え始めなければ…。コンセプトを意識して準備したいと思います。
では、第11回ゼミ報告に参りましょう。
≪目次≫
T.基本情報
U.次回までの課題
V.M.サンデルのDVD課題についての討論
W.本の交換会
X.刮目
Y.今日イチ
削除キー【0628】T.基本情報
【日時】6月28日(火)16時30分〜23時00分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>坂倉、(近藤)(清野)(小林)
<23期生>市川、衛藤、松井
<24期生>坂井、高橋、新山、(石嶺)
出席率:61%(8/13)U.次回までの課題
@今回の課題について、討論した流れを、司会を行った人、または、討論を行った人が
【V.M.サンデルのDVD課題についての討論】に書き込む。
A小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書 を読んで、書き残す。
B原発本について、まとめる。(再来週まで)V.M.サンデルのDVD課題についての討論
課題@は、ここに書き込んでください。
【衛藤 雄介(23期)】
先週の課題B「原子力発電を続けていくか?」について、
松井(即中止すべき派)と自分(段階的に中止すべき派)で議論をしたので、
そこで気付いた点について述べます。
議論の内容は、主に
松井が「あんなに恐ろしいものを、いつまでもそのままにはしておけない」と主張し、
自分が「代替エネルギーが確立しないまま即廃止では、経済が保てない」という主張で
どちらも平行線の議論をしていました。
その後先生からの話において、この問題の論点はたった1つであり、
“金や便利さで、命が買えるのか?”
という点について、議論をすればよかったという指摘をいただきました。
原発問題のような複数の問題・視点が絡む議論で、
わかりやすく論点を絞ることがこんなに難しいのか、と身にしみて感じました。
★市川へ
せっかく1対1の議論形式をとり、勝敗まで決めたのだから、
議論の内容だけでなくてそういった部分も紹介したらどうだろうか?
決着のつかないドローもあったが、あの勉強はお互いにとても熱のこもった議論になっただけに、
この場でも是非紹介してほしいと思う。
【坂倉 尚道(22期)】
私が司会を務めた、松井と衛藤の議論についてまとめます。
[問題]
何のためなら、自己犠牲を行えるか。
[各主張の要点]
○松井
「妻と子供のためならできる。それが夫の「義務」だからである。なぜ妻と子供を優先するのか。
相手の親に結婚をお願いした時点で「責任」が生まれるからである。」
○衛藤
「妻と子供のためならできる。身を挺してでも守らなくてはならない存在であるからである。
妻と子供以外のためにはできない。」
[議論の流れと評価]
松井、衛藤ともに、「妻と子供」のためなら自己犠牲を行えることは一致していた。
しかし、その理由が「責任」なのか、「義務」なのかを詰めずに議論が進んだ。
別の論点では、衛藤は「妻」「子供」以外には、自己犠牲を行えないという意見であったのに対して、
松井は、他の人のためにも自己犠牲を行うかもしれないが、「妻」「子供」を優先するという意見であった。
松井が、それは「思い」の強さのためであるという理由を新たに挙げたところで終了した。
皆の評価は、「議論を主導していた」「意見に一貫性があった」という理由で、衛藤の方が優勢だった、というものだった。
[先生のご指摘]
・「論理」でなくて、「情」で答えてしまっている。
・論理は、最低三段必要である。
・家族の中でなぜ「妻」と「子ども」を優先するのか、以下のように具体的に考え、
自分達の判断の裏にどういった原理が流れているのかを突きとめなければいけない。
「どちらを優先するか」
@自分の子―親友の子
A自分の子―自分の妻
B自分の子―自分の親
C自分の妻―自分の親
D自分の父―自分の母
E自分の親(兄弟○)―妻の親(兄弟×)
【中村 貴治(20期)】
[市川○]vs[坂倉×]市川勝利!!
<論点>金のために自己犠牲するか
⇒[市川]貧しい状況で(家族が)どうしようもなく苦しんでいるとき、
金のための自己犠牲はするのではないか。
⇒[坂倉]自己犠牲に金は関係ない。愛や美のためにするだろう。
< 先生のコメント>
⇒[市川]金の位置づけとして、「家族のための金なら要る」という点が、クリアだった。
大体どのくらいの金なら動くのか、ということは考えて欲しい。
⇒[坂倉]「愛」、「美」、「責任」、「家族」がそれぞれ繋がっているように見えながら、
実は論理がハッキリしていない。それぞれの関係性を詰める必要があるだろう。
<所感>
・議論自体は平行線の感がありましたが、内容以上に「議論の姿勢(声の大きさ・ハリ、
間をおかずに意見を言う、など)」において市川君が勝っていたと感じました。
論点を先に出したことで、議論をリードする立場にたてたことが大きかったのではないかと思います。
・市川君の方が、明らかに主張内容がスッキリしていたことも勝因だと思います。
本題にたどり着く前に論理を複数踏まないといけないのは、短時間の議論において非常に不利であると感じました。
ただ、これも内容が充分に詰まっていれば、主張もスッキリしたものにできるのかもしれません。
※補足※
2009年度の追い出し合宿にて、「ミニ討論会」を行いました。今回はその時の雰囲気を思い出し、
個人的にとても懐かしく感じていました。拙いながらも以前に私が総括を行ったものがあります。
末尾にその際の先生のお話を踏まえたミニ討論会のポイントをまとめていますので、
現役生はこの機会に確認しましょう!
⇒[127] 題名:平成21年度年度追い出し合宿報告 「ミニ討論会」 A 名前:20期生 中村貴治W.本の交換会
テーマは“アメリカ”でした。
市川 堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』 岩波新書 B+
坂倉 佐伯啓思『新「帝国」アメリカを解剖する』ちくま新書 A-
松井 杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』集英社新書 B+
中村 星新一『明治・父・アメリカ』新潮文庫 A-
衛藤 竹中正治『ラーメン屋 vs. マクドナルド』新潮新書 B+
先生
ヘミングウェイ 『老人と海』 A○
エド・マクベイン『警官嫌い』 A
ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』 A
星新一『明治・父・アメリカ』新潮文庫 AX.刮目
Y.今日イチ
【市川宗近(23期生)】6月30日 9:40
小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書 読みました。まだ一回読んだだけですが、
今の感想としては、原発が怖すぎて怖がれない、といものです。
怖いのですが、怖すぎてよくわからなくなりました。
絶望に近い状況を感じます。
この本を読むと、節電、節電と騒ぎ、熱中症対策(もちろん、大切なことですが)ばかり
特集しているテレビに、もっと原発の現在の状況を説明して欲しいと感じます。
原発の状況を最近ニュースで聞いたことがありません。
今からネットで少し調べてみようと思っています。
原発本のリストを作成するということなので、本屋で見ているのですが、
驚くほどの量が出ていて、これをまとめるのか…、と途方もないように思いました。
なので、まずは今週中に新書のリスト作成を目標にやっていこうと思います。
【中村 貴治(20期)】
『原発のウソ』。数時間で集中的に読み切ってしまいました。遅読の自分としては、こんなことは久しぶりです。
今、原発を論じるとき、様々な問題が絡み合い、無意識的にも混同されながら行われており、
だから議論が進まないし、しかもそれぞれがしっかりと話し合われるべき重さをもつから余計に難しいのだと思います。
『原発のウソ』を読んで、それらの問題が全て解消されたというわけには、もちろんいきません。
特に被曝量の問題については、正直まだ自分としては良く分からないところがありました。
しかし、少なくとも「原発は続けていくべきか」という問題に関しては、はっきりと「続けるべきではない」と言える、
むしろ言わなくてはならないということが明確になりました。それだけでも、この本は読む価値があると思います。
そして、何よりも今後の日本の在り方を考えるときに、「日本はこんなにも『愚かなこと』をしてしまう国なのだ」、
ということを思い出す意味で、常に頭に置いておくべき本と言えるのではないでしょうか。
他の原発本も読んでみる必要がありますが、現状で本の交換会で評価を付けるなら、A+にはしたいところです。
【衛藤 雄介(23期)】
勉強の中で、「妻や子供を守るのは夫の義務(責任)だ」という発言をした際、
先生から「義務」と「責任」の違いは何か考えてくるように、と課題を出されました。
ここに、簡単にですが自分の考えを述べたいと思います。
『義務』(〜しなければならない)は、
“社会的にそれを行うことが要求されていること”
であり、例えば「借りた金は必ず返す」ことは法律でも決められているように
社会が決めたルールであり、『責任』という言葉よりも『義務』という言葉で表現されることが多いです。
「責任」(〜すべき)は、
“個人的にそれを行うことを要求すること”
であり、例えば「借りた恩は必ず返す」ことは上と違って法律では定められておらず、
それぞれの個人が「そうしよう」と強く思うことにより成されることです。
これは『義務』とは言えず、『責任』と言えるのではないでしょうか。
以上が、「義務」と「責任」の違いではないかと思います。
よって、今回の勉強では「妻や子供を守る」ことは、“社会が”そう定めていることなのか、
“個人が”そう考えているのか、その点をしっかりと使い分けるべきでした。
ちなみに自分の意見を述べると、上の「妻や子供を守る」ことは自分自身がそう考えているゆえに
『責任』であると思います。
★市川へ
石嶺君は今回のゼミ欠席していたよ。
それと課題Aの本を読んでくるのも、再来週までの課題であったはずだよ。
【坂倉尚道(22期生)】
先生に、議論が上達するために必要なことを教えて頂きました。
@論点を絞る、論点を明確にする
A掲示板の議論を批判的に読む習慣(納得できるーできない、なぜか)
------------------------------------------------------------------------------------
習慣がなければいざという時にできない、ということはいろんな場面にあてはまります。
本番でできなかった際に、その習慣の欠如を実感することは誰でもあると思いますが、
その気づきを活かし、次から自分が意識的に習慣づけられるかどうか、
が「勝負の分かれ目」になるのでしょう。
「掲示板の批判的検証」や「good job、bad job」を皆で習慣づけしていきましょう。
【高橋 祥太朗(24期生)】
先週新しくゼミに参加させてもらうことになった2年の高橋です。
三戸先生、先輩方、同期の皆さんこれからよろしくお願いいたします。
共に勉学、交友に励みましょう!
前回のゼミの内容として・・・
三戸先生の経済、車、果ては宇宙等についての興味深いお話が聞けたり、自己紹介の意義や、自己犠牲、原発問題等の事について議論でき非常に有意義な時間を過ごせました。
初回だったのでゼミの流れ、先輩方の名前を覚えるので必死でした。
しかし、三戸ゼミでなら楽しく積極的に勉強できると感じたので(まさに僕が望んでいたTHE大学という感じの授業がそこにありました!)次回からもゼミ活動に励みたいです。
【松井 敬祐(23期)】
今回のゼミでレジュメを作ってきたのですが、
その中で私は【責任】と【義務】について同じ意味のように記述していました。
私以外にもこの二者の違いについて明確に説明できる人は少ないのではないでしょうか。
しかし、先生のご指摘のように意味が違うわけで、違うからこそ、漢字も違うのです。
英語でも義務はdutyで、責任はresponsibilityという異なった単語です。
この2つの単語について自分の考えを述べてみたいと思います。
まず【責任】や【義務】がどのように使われているのか、共通点と相違点で考えてみました。
(共通点)
○責任(義務)を負う。
○責任(義務)を受ける。
○責任(義務)を果たす。
○責任(義務)がある。など…
相違点
○責任を持つ。
○責任をとる。
○責任を免れる。
○責任の大きさ。など…
○義務に従う。など…
これからわかるように、【義務】は持ったり、とったり、免れたりできないのである。
("持つ"という動詞は少し曖昧で、義務はそもそも持つというより、
すでに人間に備えられているという感覚⁉)
つまり、【義務】は自分で選択できなく、強制力があるのだ。
日本の三大義務があるように、日本に住んでる以上、
それらに従わないといけないし、義務は決まっているものなので、
大きさの規模という概念はないのである。
一方、責任は持てたり、持てなかったり、
取れたり、取れなかったり、
免れたり、免れなかったりと選択ができ、
強制力を持っていないのである。
CSRにも企業の社会的"責任"という言葉があるように、
企業がそれをするかしないかは企業の勝手なのであって、義務ではない。
(CSDは存在しない。)
【中村 貴治(20期)】
※上に、小出裕章『原発のウソ』(扶桑社新書)の感想をあげたのですが、
今週のゼミの場で学んだことも書き込みします。
〔何故、今「宗教」を問うのか〕
今、「宗教」に目を向けなくてはならない。
“死・死後”や“生”を問うことが、今我々にとって重要性を増して来たからである。
(1) “仏の教え”からの乖離
かつて仏教徒は、欲を捨て、家族を持たず金を持たないことにより、聖性を得ていた。
しかし、親鸞によってそれが解放され、その後組織化されることで浄土真宗は全国に広まった。
そして寺を中心とする戸籍制度として政治体制に組み込まれ、日本はどんどん仏の教えから離れて行った。
今では政治は政教分離であって、世間には「宗教的でない方がいいんだ」という風潮にすらあり、
仏の教えから乖離した宗教は、自分の生活からどんどん失せていった。
(2) 私たちの前に広がる問題
しかし一方で今、私たちの前にある問題―高齢化と老後への不安、食べ物への不信と健康への関心の高まり、
死後の不安から捕鯨問題、臓器移植まで―は、多くが「“死・死後”、そしてそれに対となる“生”をどのように考えるのか」
という問題と繋がっている。宗教はそれらの概念を我々に与えてくれる。
今また、震災で多くの被害者、遺族の方々が出ている。どのように宗教に相対するかが、今後より重要となってくるだろう。
【新山 公太(24期)】
自分はこの回がゼミへの初参加となりました。
一番印象に残っていることは、やはり「なぜ自己紹介をするのか」ということが自分にとって明確になったことです。
自己紹介をする目的は、初対面の人、人たちに対して
(1)自分の名前を覚えてもらうこと
(2)相手に関心をもってもらうこと
(3)相手に好意を抱いてもらうこと
という三点が挙げられます。
これまで自己紹介をする機会は幾度もありましたが、こうしたことを意識することはまるでなく、ただこなしてきただけでした。
しかし今回を通じて、
意識次第で日常の事柄からでもさまざまな発見を行うことができ、更に発見を認識することで、自身の行動をよりよくできるということを知りました。
以前、自分の仕事について「なぜ何々をするのか」「何を目的として行うか」といった定義づけを行わない、
すなわち哲学的思考を持たない者は二流以下にならざるをえない、という文章を読んだことがあります。
自分もこれからは物事に対し、「それは何であるか」「その目的は何か」というその意義を問う姿勢を常に心がけたいと思います。
[297] 題名:2011年度第10回ゼミ活動報告〜石嶺くん、坂井くん、そしてサンデルくん… 名前:松井 敬祐(23期生) 投稿日:2011年06月22日 (水) 11時32分
今回、2次面接で合格した2名の新三戸ゼミ生が、
ゼミに参加しました。
新しい顔に私を含め、上級生は期待の目で彼らを見ていたことでしょう。
私も1年前のことを思い出し、緊張していたものです。
さて、早速ゼミ活動報告に参りましょう!!
※現在私のPCが故障中の為、修理するまで大学のPCでの投稿しかできません。
少し作成に遅れると思うので、ご了承ください。
≪目次≫
T.基本情報
U.M.サンデルのDVD~東日本大地震について〜
V.括目
W.今日イチT.基本情報
【日時】6月21日(火)16時30分〜23時30分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、坂倉、清野、(小林)
<23期生>市川、衛藤、松井
<24期生>石嶺、坂井
出席率:82%(9/11)U.M.サンデルのDVD~東日本大地震について〜
現在作成中
先にみなさんが確認できるように、課題を列挙しておきます。
@何の為に危険を犯せるか(自己犠牲をできるか)?
そこにおける金の位置は?
A飛行機事故と原発事故は同じか?
B原子力発電を続けていくか?(現実性の観点から)
⇒あなたの住んでいる町に原発を誘致しますか?しませんか?V.刮目
<松井君へ(20期生 中村貴治)>
報告有難う。「括目」ではなくて、「刮目」ですよ。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」(呂蒙のエピソード)です。
例え一週間でも、ゼミ中の数時間であっても、その間のその人の振る舞いや環境によって、
人は成長するときは成長するものです。
それによって得たものをゼミの場で発表し、聞き手の目を刮(こす)らせる程感嘆させ、
共有することで刺激し合い、自他共に豊かになっていく…、
というのが大まかな「刮目」のコンセプトである、というのが私の把握するところです。
最近の先生のお話、「(ゼミの)コミュニケーションとは何たるか」を思い出すと、よく分かるのではないでしょうか。
もちろん柔軟に変化する物だと思いますが、字を間違えるとそこら辺がよく分からなくなるので注意しましょう。
<松井敬祐(23期)>
レスポンスが大変遅くなって申し訳ございません。
誤字の訂正注意ありがとうございます。
私は“刮目”という字の意味が全くわかりませんでした。
現在はコミュニケーションツールが発達して、
離れていながら情報を共有する時代です。
私はゼミ以外の一週間の内、ゼミ生と情報を共有している時間は少なく、
ほとんど固定した生活の中で限定された人としかやり取りをしていません。
今後は新ゼミ生も加入したので、
もっとゼミ生との情報共有を図っていきたいと思います。W.今日イチ
【坂倉 尚道】
久しぶりのビデオ学習でした。
ビデオを見ていて、「おや?」と心に引っかかることはあっても、それを適切な「問い」や「気づき」の形で表出したり、
あるいはそれを上手く説明できずに、苦い気持ちになる人も多いのではないでしょうか?
(僕もその一員です。)
「心に引っかかる」という時の、そのほとんどは心で「良い」「悪い」と感じた時だと思います。
(「番組構成」「出演者選び」「出演者の発言」など対象はいろいろです。)
それを、「問い」として他者に示す場合は、
・これは「悪い」けど、こう変えれば「良く」なるのでは?
・なぜ〜は「悪か」ったのか?
・〜とは何か?(サンデル、俺の問いの方が「良い」だろ!)
などの形が主にあるかと思います。
先生に教えていただいたのは、「大事なのは「問い」の裏にある意図である」ということです。
これについては、なぜ人に問わせるのか
(どういった「問い」の形にまとめるのか)が重要なのだと思いますが、
(もう少し考えてみたいです。)
とりあえず、「なぜ、その「問い」を出したのですか?」という質問に答えるためには、
「どこが(なぜ)良いのか」「どこが(なぜ)悪いのか」や
「問い」の背後にどのような「良い」「悪い」の価値判断が含まれているのかを
もっと自分の中で意識化しなければならないのでは、と感じました。「評価」をもっと訓練していきたいです。
【中村 貴治(20期)】
〔利他主義(自<他)とは何か〕
利他主義とは、「他人に益することで、その実そこからの自分へのリターンを期待する」考え方である。
かつて、江戸時代などにおいては、「自<他」の時代があった。例えば、自分の子供を差し置いて、
他人の子供に優先的な配慮をする、そのように示すこともあった。
それは、その方が「自分(達)が生き延びる可能性が高い」と考えられていたからだ。
自分が他人のために尽くす、賢い人間ならそのリターンを返してくれる。
互いに助けあった方が長期的にみて有利であり、
他人を拒否する風潮、嫉妬・競争などを引き起こすことは、不利益にもなるだろう。
そしてそこには人間への期待があり、人間への「信頼」があって成り立っていたことも、忘れてはならない。
----------------------------------------------------
このように書くと「利己主義や、競争は絶対に駄目だ」と読めてしまうかもしれませんが、
決して一面的に利他主義を称揚し、利己主義、それに親和性の高いであろう市場原理や競争と、
それらによって手にしてきた豊かさを全面的に否定するものではないと、私は解しています。
ただ、それら一辺倒で殆どここまできて、社会の状況なども鑑み、もう一度見直すときに来ているのではないか、
ということであると考えています。また、先生から「利他主義」の考え方をお聞きし、
利他主義とは、単純に「自分より他人を」という触りのいい理想を現実に落とし込んだというより、
むしろ、自分が生きていくための、極めてリアリスティックな考え方なのだという印象を受けました。
【衛藤雄介(23期)】
・コンセプトの大切さについて
反省できないことは、やったことにはならない。という言葉がある。
反省とは意識・準備に対する反省であり、
そこにはコンセプト(何のためにやるのか?何のためにあるのか?)が存在しなければならない。
なので例えば反省会において、「私が悪かったです」は反省とは言えない。
それは反省ではなく懺悔であり、そのような反省になってしまうのは
コンセプトを考えていないからである。
現在自分の所属しているイベント企画団体でも、
反省会の時に似たような“反省という名の懺悔”が見られることが多数あります。
三戸ゼミの場はもちろん、そういったゼミ外の場でも、学んだことを活かしていきたいです。
【市川宗近(23期)】
「自己紹介をやってもらおうか。」
懐かしい!と一年前を思い出しました。
自己紹介で大切な3つのこと、そしてその背景にあるコンセプト。
名前を覚えてもらうというのは、意外と難しく、私の場合などは、
宗近という少し変わった名前なので、尚更覚えてもらえません。
2年生の自己紹介を聞いて、その自己紹介を評価する軸が、
自分の中にできていたことが嬉しかったです。
残り約2年で、自己紹介の完成度をあげていきたいです。
【清野彩奈(22期)】
・新ゼミ生
なんと言っても新ゼミ生の登場は新たな刺激を与えてくれます。ゼミ室にほどよい緊張感を
もたらしてくれますし、3年生は自己紹介の時に模範としての自覚を持ちながら発表してくれました。
特に衛藤くんは相変わらずのいい声で、声量と張りがあって室内に響いていました。声は彼の
専売特許ですが、去年は話すスピードが速くてすごくもったいないと思ったことを今でも覚えています。
そんな彼が今年は聞きやすいスピードになっていたところから彼の成長を感じることができました。
今一度、自己紹介を見直して自分も学んでいきたいと思いました。
【石嶺 佑騎(24期)】
書き込みがとても遅くなってしまってすみません。
夏休みの宿題は溜めた後一気にやり遂げる男、石嶺佑騎です。
この日はなんといっても自己紹介が衝撃的でした。
自分の名前を知ってもらうことと、興味や関心、そして好感を持ってもらうこと。 この3つのことには凄く納得させられました。
またこの3つ目(好感)に代わるものを見つけられた時、自分はもっと成長できる気がしたので、夏休みにでも探したいと思います。
【近藤祐太朗(22期)】
この回のゼミで、強く印象に残っていることとして、東日本大震災についての
サンデルの白熱教室を観たことが挙げられます。そして、その中で特に残っている問いは、
「誰が危険な任務をするか?」ということです。
事故後の原発関連の作業には、被曝の危険が常にあるが、誰かが必ずやらなけれならない。
誰もやりたくないことは当たり前です。それでは、誰がやるべきか、何が人選の基準か。
家族の有無?年齢?
高い報酬を与えることで、志願者を集めるか…。
本当に難しい問題で、どうすべきなのか、まだわかりません。
削除キー【0621】です。
[296] 題名:2011年度第9回ゼミ活動報告〜目指せコンプリート〜 名前:衛藤雄介(23期) 投稿日:2011年06月15日 (水) 01時08分
衛藤です。2011年度第9回ゼミ活動報告を行います。
@(今回の参加者)今日の先生のお話で特に大事だと思った話をまとめる。⇒W.刮目へ
まず初めに、第6回より始まった「24-48-96hルール」による3回書き込みの
1回目の書き込みが3年生間で一周できたことについて、大変嬉しく思います!!
今後はこの流れを保っていくとともに、
3回目までの書き込みをコンプリートできるよう頑張っていきます!!
市川・松井も一緒に頑張ろう!!
今回は、ゼミ生の皆さんが早くから取り組めるように、
一回目の書き込みから次回までのゼミの課題を載せておきます。
3年生だけでなく、4年生以上の方も一緒にコンプリートを目指しましょう!!
【次回までの課題】作戦名:「みんながんばれ」
A(前回・今回の参加者)「生産者・消費者」の話から、自分の身の回りで
これに当てはまる事柄を見つけ、書き込む。⇒X.今日イチへ
B(ゼミ生全員)今日のレジュメについて、先生から出された問いに答える⇒勉強掲示板へ
C(この書き込みを読んでくれた皆さん)グッジョブ&バッジョブに
3商品以上の書き込みをする。
⇒グッジョブ&バッジョブ掲示板へ
≪目次≫
T.基本情報
U.ドラッカー勉強『現代の学としての経営学』
V.本の交換会“中国”
W.刮目
X.感想
Y.今日イチT.基本情報
【日時】6月14日(火)16時30分〜22時00分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、坂倉、(清野)、(小林)
<23期生>(市川)、衛藤、松井
出席率:55%(5/9)U.ドラッカー勉強『現代の学としての経営学』
今回も引き続きテキストとして、三戸公『現代の学としての経営学』(文眞堂選書、1997)を用いた。
提出されたレジュメから、先生より欠席者でも参加できるよう、
勉強掲示板用に課題が出されました。
たとえ今回のレジュメを持っていなくても(本当は載せたいのですが載せ方がわかりません…。)、
これかでの勉強とテキストがあれば十分可能な課題なので、
皆さん是非書き込みましょう。
[次回までの課題(勉強掲示板用)]
@前回出された課題である、
「ドラッカーの企業観における、経済的機能・統治的機能に続く第3の機能の名称は何か?」
について、衛藤案の“自己形成機能”でOKか?違うならば何が適切か?
A大量生産の原理・組織の原理とは?
⇒「○○○と○○である。」
B「管理は組織体に特有な現象」とある。なぜか?
Cドラッカーが「人間の○○」を高く唱え上げながらも、「○○○○」におとしめたのは、
企業を何よりもまず「 」ととらえたからである。V.本の交換会“中国”
今回の本の交換会のテーマは“中国”でした。W.刮目
刮目の意味合いの一つに、「その日学んだことを発表する」というものがあります。
なので本来ならば今日イチに含まれそうな「先生のお話」ですが、
今回はこの刮目のスペースを皆さんが書き込む場として設けようと思います。
削除キーは【0614】です。
【坂倉尚道(22期生)】
先生のお話の中で最も自分に残ったものを紹介します。
○「自分らしく」の矛盾〜大学で何を学ぶのか〜
最近は、「自分らしく」生きることが良いとされている。
(「自分らしいプレーを心がけます」といった、スポーツ選手の発言など)
そこで若者は、自分の中の「自分らしさ」を探すが、何も見当たるものがなく不安になる。
しかし、そもそも人間の「身体」はそれぞれ「異なる」ものなのである。
周りの人を見渡して見ても、みんな顔も声も違っている。
だが、実は「異なる」ことは人間にとってものすごく大きな問題なのだ。
「異なっ」ていては「co-munication」「co-operation」できないからだ。
だから、未熟児で生まれる人間は「知性(大脳)」によって「社会化」させるために、約20年にもかけて教育を受けるのだ。
図式によってまとめてみる。
A「差異性」−a「身体」
B「共通性」−b「大脳」(「教育」「言語」によって社会化)
「自分らしく」とは、「大脳」における「差異性」(「A- b」)。
大学は「B―b」のためにも関わらず、「A-b」を 求めてしまっている学生・社会。
・以上が先生のお話です。
「ああ、その通りだなぁ」だと深く頷かされました。
「その通りだ」と思った以上、自分の今の学びの姿勢に反映させなければいけない。
三戸ゼミでしっかり「social-skill」を学んでいきます。
【中村 貴治(20期)】
〔「消費者」とは何か〕
@現時点の自分が価値を分かるもののみ、その価値を認める。
⇒「今の自分の度量衡ではまだ理解できない、深い価値があるのではないか」とは考えない。
「購入しようとしている商品の価値が全て分かっている」ことが、「消費者」の前提である。
例:学生が、今の自分で意味のわかる、価値のわかる講義のみを選択的に受講する。
Aコスト―ベネフィットの枠組みで考える。
⇒(社会関係も含めて)「自分にとってどれだけ利益があるか、コストを払わずに済むか」で考える。
例:結婚を、相手が自分に対して何をしてくれるか(金をくれる、高い容姿をもって隣にいることで自分の価値を証明してくれるなど)、
自分が払うコストが少なくて済むか(共同生活に生じる苦痛が少ない、子育て等の苦労が少ないなど)で判断する。
B消費し終わったものには、その価値を認めない<?>
⇒「消費」は一度きりの行為であり、「そのものが長期的に自分に影響をもたらす、
またもたらすようにしなくてはならない」ということに考えが及ばない。
例:ベストセラー本に共感・納得したはずなのに、自分の生き方にその内容をフィードバックできない。
――――――――――――――
「消費者―生産者」の概念が重要となってきていますが、まだまだ理解が必要であると感じています。
特に、上記Bについては、もう少し理解を進めなくてはならないと思います。
またAについても、必ずしもそれが悪いことではない、と思います。
それがどんなときに問題として徴候化するのか、ということについても考えを深めたいと思います。
(その「利益」が、ただ自己利益であることが多かったり、極めて短期的だったり、といったことでしょうか。
「生産者」との対比で考えれば、そこから自分が何を生みだすのかといった視点に欠けるということでしょうか)
@〜Bの要素が相互に関係し合っているということかもしれません。
【衛藤 雄介(23期)】
“生産者から消費者へ〜現在の大学生〜”
先生の話の中で、生産者・消費者の話を大学生に当てはめた話が紹介されました。
・「生産者」としての大学生
⇒講義を自分の将来につながる勉強ととらえ、講義以外の時間も大切にしている。
・「消費者」としての大学生
⇒講義を知識の為や試験の為ととらえ、やらなくてもよいことはやらない。
この話を聞いた時、恥ずかしながら自分は正に「消費者」の大学生に当てはまるような
生活になってきていることに気付き、この言葉が自分の中に残りました。
当たり前の話かもしれませんが、自分の講義・勉強に対する姿勢をこの話をきっかけに
改めて考え直してみたいと思います。X.感想
今回のゼミのポイントは当日の活動ももちろんですがそれ以上に、
その日学んだことや課題を掲示板で「皆で」書き込み、
活動報告を完成させていくことにあったのではないかと自分は捉えています。
自分自身の書き込みはとても遅れてしまったのですが、
すぐに書き込んでくださった中村さんや坂倉さん、勉強掲示板での近藤さんのおかげで
活動報告や課題がどんどん賑やかになっていくのは、ゼミとして一体感を得たような気がします。
もし、このような書き込みによる活動報告・課題の作成がゼミ生全員で行なわれたらどうなるのか?
とても素晴らしいものができるに違いないと自分は思います。
ところで、冒頭にある白大文字での「作戦名」は、はたしてどなたがつけてくださったのでしょうか?
最初自分が見た時は少々驚きましたが、なんだかとても励まされたような気がします。
誰かはわかりませんが、ありがとうございます。Y.今日イチ
削除キーは【0614】です。
【中村 貴治(20期)】
〔授業、教育を受ける姿勢〕
先日、ある講義を受けていると、衝撃的な光景に出会いました。
終了時刻のチャイムが鳴ると、先生の話がまだキリ良く終わっていないのにもかかわらず、
そうすることが当然かのように、多くの人が席を立ち、わかりやすく荷物を片づけ始めたのです。
(数年前はもう少し"こそこそ"していたような…、それとも私がそういった“視点”をもったからでしょうか)
「もうサービスに対しては、“苦役という貨幣”は支払い終えました。取引終了ですよ」と、
そうすることが「等価交換の消費行動においては、むしろ正当な行為である」と言わんばかりの行動に思え、
本当に皆、教育でもどこでも、“消費者”としてその場に臨んでいるのだということを如実に感じる機会でありました。
「どのように学ぶのか」。自覚した以上、自分にも強く戒めなくてはならないと感じました。
<衛藤君へ> ※解決済みです。衛藤君どうも有難う。
「T.基本情報」などのフォントを大きくしていると思うのですが、
「Internet Explorer 」で見ると、驚くほど大きいです。
恐らく違うブラウザを使用しているのだろうと思いますが、
ブラウザの種類によって、表示に若干変化が起きることがあるようなので、
たまに確認してみるといいと思いますよ。
(私は「Google Chrome」を使用しているのですが、拡張機能の「IE tab」を利用しています。オススメです)
【坂倉尚道(22期生)】
就職活動における企業選びについても、学生に「消費者」的な心理があると思います。
給料が高い会社を選ぶのは「消費者」そのものであり、
有名企業を選ぶのも、「有名企業に勤めている私」を買っているということでしょう。
一方で、企業側は学生に「我が社や社会に対してどのような貢献をするか」という考えを
聞きたがっているといいます。
これは、「生産者」の考えができる人材を求めているということでしょう。
【衛藤 雄介(23期)】
生産者・消費者の話を聞いた際、昔見たニュースサイトの話を思い出しました。
ある大学(だったとおもいます)にて、私語を注意した教授に対し、
学生が「先生は、私達の授業料で生活しているんでしょう」
という発言をしたというニュースです。
これぞ、まさに教育というサービスを「買っている」という消費者に学生が立っているということを
とてもよく表わしているケースではないでしょうか?
もし彼らが生産者の立場に立つ学生であれば、おそらくそのような発想もなく自分たちの非を
認めるのではないか、と自分は思います。
<中村さんへ>
ご指摘ありがとうございました。
自分はてっきり自分の見ていたブラウザで問題がなかったため、特に気にしていなかったのですが
試しに他のブラウザで見てみると、確かに全然違いますね…。
今後注意したいと思います。
【市川宗近(23期生)】
あげるのが非常に遅くなって申し訳ありません。
あたりめ(生産者)
ポテトチップス(消費者)
以前、食べ物に関する本で読んだのですが、「よく噛みなさい」と言っても、
そもそも最近の食べ物(スナック菓子など)は、噛むように作られていないのです。
本来、食べ物は、よく噛むことで、口の中で分解され、(甘)味が出てきて、おいしい
と脳が感じるものだったのですが、
時代が進むにつれ、噛むという作業をしなくても、口に入れた瞬間おいしい
と感じるような食べ物がたくさん作られたのです。
その代表が、スナック菓子でしょう。
生産者として生きることは、大きな喜びを生みますが、
消費者として生きることは、小さな一過性の喜びしか生まないのではないかと思います。
そのことは、
あたりめを1つ口に入れて、くちゃくちゃ噛むことと、
ポテトチップスを1枚 ポイ と口に放り込むことを比べてみると、
すぐに分かると思います。
最近自己管理の難しさに悩んでいます。
[295] 題名:2011年度第8回ゼミ活動報告 名前:市川宗近(23期生) 投稿日:2011年06月08日 (水) 12時44分
今回のゼミは、5人でした。最近5人が多いです。
先生の話もたくさんありましたね(勉強の内容が開始されたのは、20時30分過ぎでした)。
先生が何故そのように振る舞われたのか?
そのことを考えることと同時に、先生が話してくださった話の内容をまとめる
ということを中心に、今回のゼミ報告を行いたいと思います。
その時に、やはり、今日イチの存在は、とても貴重なものだと感じています。
皆さん、今日イチに、
「先生が話された内容で、これを学んだ!」
ということと、
「先生が何故そのように振る舞われたのか?どうしたいか、すべきか、できるか」
ということ2つを中心に書き込んでください。中村さん、近藤さん、清野さん、衛藤
これを見てから、どうか24時間以内でお願いします。
本当によろしくお願いします。
私も、今から24時間以内に、今日イチとゼミ報告を行います。
今回、残念ながら欠席された、勝又さん、坂倉さん、小林さん、松井にも
皆さんが書いた後、読んだ感想でもいいので是非書き込んでいただきたいです!
削除キー【0608】
※削除キーの色を全体で統一すると、わかりやすいと思いました。
黄緑&ゴチックで統一するのはどうでしょうか?
≪目次≫
T.基本情報
U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
V.刮目
W.今日イチT.基本情報
【日時】6月7日(火)16時40分〜22時30分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、清野、(坂倉)、(小林)
<23期生>市川、衛藤、(松井)
出席率:55%(5/9)U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
三戸公『現代の学としての経営学』(文眞堂選書、1997)をテキストとして用いました。
今回の勉強は、レジュメが4つあったので、
内容的に、よく似たレジュメ同士(市川-衛藤、近藤-中村)
を比較するという課題を与えられました。
レジュメ同士を比較することで、それまでは、問とテキストを行き来するだけの
勉強から、問と答えを行き来する勉強に変わり、それによって、よりテキストの
理解が深まるということを、教わりました。もちろん、問と答えを行き来する中で
テキストに戻るということも忘れてはいけません。
今回出された課題は、以下の通りです。
(今後、ここにレジュメのリンクをつけたいと思いますが、どうすればいいですか?)
市川-衛藤
引用箇所の長さが違うが、今回、長い方が適切なのか、短い方が適切なのか。
近藤-中村
全体
ドラッカーの企業観に関して、
・経済的機能
・統治的機能
とあと、もう一つ
「諸個人がその中で人間関係を結び、地位を得、働き、生きがいを見出してゆく場としての制度(テキストp.14,ll.5-10)」
とは、何的機能と呼べるか。
V.刮目
W.今日イチ
【中村貴治(20期)】
〔人を動かす、ついてこさせるには何が必要か〕
人を動かすために必要となるのは、
・利―害(損―得)
・正当性(広くいえば善―悪)
である。「こちらの方が得である」というだけでは、人は動いてくれない。
必要なのは、周りが「その通りだ」とうなづいてくれる、正当性があることである。
正当性の無い行為は、周りがうなづいてくれず、受け入れてもらえない。
-------------------
ドラッカーの社会理論にも、「正当性」があったと思います。
(ゼミでの勉強にはまだ出てきていませんが)
併せて考え、より理解を深めたいと思います。
【近藤祐太朗(22期)】
今回は、先生がしてくださった、内田樹『下流志向』の話について、書きます。
内田は、現代の若者に「消費者」としての意識が根付いていると指摘しています。
自分が支払う「コスト」に対して、得られる「利益」を比較し、
損得を意思決定の基準にしているということです。
その考え方が教育現場にも影響しているから、勉強すること自体が、
自分の利益になると思わなければ、やらない。
学びは本来、「意味」を分かった上でするのではなく、
過程や結果の段階でやっと、「意味」がわかるものであるのに。
この指摘を受けて、自分にも当てはまる部分があると思います。
でも、この考え方はあまりに寂しい。
損得勘定で物事を決めていては、本当は何が正しいのか、
何が良いのか、善いのか、自分の考えを持てなくなります。
だから、「生産者」にならなければならない。
「消費者」に対し「生産者」とは、自分に何が求められていて、
何をしなければならないか、を常に意識し、能動的に動くことが
求められます。
今を生きる私たちには、深く、重い指摘です。
「消費者」ではなく、「生産者」の考え方に、意識を近づけていかねばならぬと、
強く思います。
【市川宗近(23期生)】現象が言葉になる時
80年代に生まれた「サービス残業」という言葉。
サービス残業の末には、過労死の道をたどる人もいる。
しかし、「サービス残業」という言葉より以前から、
無給の仕事時間というものは存在した。
現象としてはあったが、それを表す言葉がなかっただけである。
それは、何故か。
構造の中に埋もれてしまい、皆が無自覚であったため、
問題にされなかったからだ。
人々が自覚し、問題にしたから、「サービス残業」という言葉が出来たのである。
人は、言葉を通して、物事を考える。分かるために言葉があるのだ。
****************************************
先生から、よく教えていただく、言葉に対する感覚。
今、ゼミ報告を書きながら、気付いたことは、
“分かる”という言葉の漢字が、“分ける”と同じであるということです。
今まで、少し違和感を持ちながら、“分かる”という漢字を使っていました。
“判る”や“解る”の方が自分の中でしっくりくるのです。
しかし、今は、“分かる”と納得しながら、変換して使うことができます。
“分かる”ことは、“分ける”ことであると前回のゼミで納得したからです。
私にとってこのことは、とても大きな感動です。
言葉とは、とても深いものだと改めて感じました。
この話を聞いて、今年の流行語が何になるか、去年の流行語がどうなのか、
今までとは別の新たな側面から興味が湧いてきました。現在の三戸ゼミナール
現在のゼミは、本当に掲示板を中心に行われていると思います。
先生もおっしゃっていましたし、自分自身感じることですが、
ゼミ生で集まる機会というのが、非常に乏しいです。
ゼミの時間以外ほとんどありません。それ自体は、良い状態ではないです。
しかし、この掲示板は、それを克服、あるいは、ゼミ生同士の士気を高めるのに
とても役立つのではないか、と考えています。
そして、この掲示板に書き込むことが、“生産者”になるための第一歩なのではないか
と思います。
結局、私が言いたいのは、ゼミの勉強は、
ゼミ室:掲示板=5:5
であることを、つまり、
掲示板は、+αではなく、ゼミの一部であるということを
しっかり自覚するべきだということです。
(特に私が自分自身に言っていることです)
※私事ですが、水曜日は、1-7限まで、びっちり入っていて、かつ
ネット環境が大学図書館頼りのため現在昼休みの更新をしています。
少し一回目が雑と感じると思いますが、お許しください。
【中村 貴治(20期)】
「私事ですが、水曜日は、1-7限まで、びっちり入っていて、
かつネット環境が大学図書館頼り…」
…自らに敢えて厳しい準則を課しているその姿勢に、敬服します。
そして、そんな中、報告第一弾をキッチリ投稿してくれて、どうも有難う。
【三戸】
市川君、「24ー48ー96hルール」を堅守してくれていて、頼もしく、嬉しい。
(この喜び、が続いてほしい)
今回は、君が書いているように、いつものような「中身」じゃなかったので、
まとめかたの工夫が必要だな。
(考えをまとめてから書こうとすると難しいだろう。
とにかく、数行でもいいから書き込むことだ。
次々と書き足していけばいいんだから。)
楽しみにしているぞ。
○の色の統一の提案。賛成したい。
ただ、君も使っている「orange」はイマイチ見にくいなぁ…。
「パッと目に飛び込んでくる色」を探して、使ってくれないか。
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【削除キー】
【市川宗近(23期生)】
>三戸先生
アドバイスありがとうございます。先生が、報告をご覧になる度に、とまでは
いかないかもしれませんが、次々と書き足していき、どんどん変わっていくように
したいと思います。
削除キーの色ですが、私自身もオレンジが予想以上に見にくいと
感じていました。先生が、さまざまな色を並べてくださったのを参考に、
黄緑&ゴチックにしたいと思います。
黄緑は、全体とかなりかけ離れた色で、浮くので見やすいと思うからです。
掲示板の題名が青なので、青も悪くないと思ったのですが、目につくとなると
やっぱり、黄緑です。(題名の後ろに削除キーを書くというのも分かりやすいかな
と思います。)
>中村さん
ありがとうございます。そんなことを言っていただけるなんて、有り難いです。
私の方こそ、中村さんが私たちに見せてくださる、日ごろの姿勢には感服しています。
今回も期待通り、一番に書き込んでくださったのは、中村さんでした。
中村さんが書き込んでくださったことで、きっと、近藤さんや清野さんも
すぐに書き込んでくださると思います。良い先輩を持てて嬉しいです
衛藤も今頃、パソコンを立ち上げていると思います。
中村さんの“今日イチ”首を長くして、楽しみにしています。
―――――――――――――
中村さん、近藤さん、今日イチの報告ありがとうございます。
今日イチの報告は、報告としてまとめたいために、誠に勝手では
ございますが、上の方に移動させていただきました。
了解を得ずに移動させてしまったこと申し訳ありません。
これも、中村さん、近藤さんの今日イチの報告がよかったので、コメントに
うずもれてしまっていては、もったいないと感じたからです。お許しください。
>中村さん
人を動かすのは、難しいため、どうしても損得で相手を納得(説得)させようと
していまいがちになります。
正当性ということを忘れずに頭にとどめておきたいです。
>近藤さん
生まれてからずっと無意識に「消費者」として、過ごしてきた私には、
内田の指摘はぐさっと突き刺さるものがありました。
納得できて、面白いとも思いましたが・・。
三戸ゼミは「生産者」になるためのトレーニングがしやすい場所であると思います。
「生産者」目指していきましょう!近藤さんについて行きます。
今日・明日コンビニに行った時に、いいネーミングされている商品を見つけてきて
あげようと思います。ここで宣言しないと、忘れてしまいそうなので!!
(ところで、どこにあげればいいですかね?)
今日イチの報告がまだの、衛藤、清野さんもきっちりとあげてくださいね。
【中村(20期)】
>「ところで、どこにあげればいいですかね?」
「グッジョブ/バッジョブ」という部屋があるのです!
「「店」、「自動車」、「マス・メディア〜新聞・TV/雑誌(記事)など〜」 なんでもOK。」(引用)
となっています。
〔追記〕
書き込みしました。初心者でいいと思います。
皆さんもコメントしていきましょう!
【衛藤(23期)】
書き込みがギリギリになってしまって申し訳ない。
前回のゼミで先生に言われたことで最も自分の中に残った言葉は、
“相手がやってきたことに対して、そこにどのような手間がかかっているのか配慮すべき”
というものでした。
前回のゼミで先生が自ら印刷してきて下さった活動報告の書き込み、
それも比較しやすいように過去のものまで用意してくださったということ、
そのゼミでの今日イチ等でしっかりと感謝するできであったと思います。
[294] 題名:Re:過ちを認識すること 名前:中村貴治(20期) 投稿日:2011年06月04日 (土) 02時22分
松井君、君の報告「U.ドラッカー勉強"現代の学としての経営学"」に
指摘したいことが、大きく二点あります。
―――――――――――――
■まず一点。
今回の勉強はただ、「中村と近藤のレジュメを用いて勉強を行った」ということではありません。
「他の人が準備(レジュメ作成、及び議論に向けた充分な勉強)をして来なかったために、
中村と近藤のレジュメだけを用いて勉強せざるを得なかった」のです。
しかし、それについての言及が、意識的にか無意識的にかわかりませんが、一切ありません。
そこまで勉強への準備ができていないというのは、正直いって前代未聞の事態です(私が知る限りでは)。
そんな「会議に臨むときの“基本中の基本”であり、学生の姿勢として必須のことが、
自分達にはできていない」のだという事実は、看過してもいいことなのでしょうか。
それをゼミ報告の記録として書かずに流すことは、その重要性を認識せず、
問題を問題としてとらえていないことを、その裏面において吐露しています。
(文面として言っていないけど、言っていることになってしまう、ということですよ。)
一年後に残しておきたい記録は、当たり障りのない情報であれば満足。ということでしょうか。
今回の事態の重要性を、ほとんど認識していなかったのかもしれません。
もしくは、問題として捉えていたからこそ、それを書かずに済まそうとしたのかもしれません。
しかし、だからこそ重要なことだと思います。
「書かねばならないことは、書かねばならない」のです。
(同語反復ですか?すみません)
もし、それでもどうしても書くことに何かしら引っ掛かりを覚えるのなら、
それに見合う“配慮”や“工夫”をする必要があるでしょう。
それも報告を通して学ぶことなのだと、私は思います。
私も今回の報告を見て、言葉とは書いていないことこそを雄弁に語るときがあるのだということを
改めて認識しました。言葉は難しい。だからこそ、学んでいかなくてはならないですね。
(また、現状では、一人一人がほぼ毎週レジュメをつくってくるようになっています。
「システムが問題なのだ。それが厳しいからいけないのだ」というのなら、
今後改めて対策を考えることになる、のかもしれません。
しかし今回、やるはずだったことを自分達はやらなかったのだという事実、その重要性はかわりません)
■そしてもう一点。
勉強の「1.三戸公の不満とは?」ですが、
私には、今回そのような勉強を行った記憶がありません。
準備が不充分であったために、(「ドラッカーの世界」だけ読んでいればとりあえず話はわかる、)
「2.ドラッカーの人間観・企業観・管理観」の確認しか行えなかったのだと認識しています。
いくらなんでも、やってないことをやったというのはいけません。それはこれ以上なくまずい。
(細かくいうと、「3.焦点となる一文はどこか」についても、「勉強時間的に」辿りつけなかったのではありません。
「準備からしてそこまでやっても議論ができるはずもないので、そもそも勉強の対象ではなかった」はずです)
―――――――――――――
先生から“座右の銘”として、
「過ちをして過ちをせず、是れを過ちと謂う」を教えていただきました。
過ちをしたのなら、まずそれを過ちであると認識しなくてはなりません。
そこからしか、“学び”は始まらないでしょう。
そしてそれは報告を書くときにおいては、それにどのように文章を載せるのか、
ということにあらわれていることを、肝に銘じてほしいと思います。
※あと、「ドラッカー」は「ドラッガー」ではなく、「ドラッカー」として統一しましょう。
また、前投稿の「番会」は「挽回」では…。大文字なのですから、なおさら気を付けて涙。
[293] 題名:“『今日イチ』の在り方”と“欠席の扱い”について 名前:松井 敬祐(23期生) 投稿日:2011年06月01日 (水) 16時30分
先生、報告の疑問ありがとうございます。
わ〜〜昨日まで12000台だったのが、今日見ると、13000
超えていますね!!
私がネーミングした『今日イチ』ですが、
このネーミングに異議が無いのであれば、
これから『今日イチ』で統一していきたいと思います。
さて、この『今日イチ』の在り方についてですが、
私の頭の中では、その日のゼミに出席したゼミ生が、
ゼミ内で先生より学んだものの中でこれだ!!
と思ったことを書き込むコーナーだと認識していたので、
欠席者に対する配慮は考えていませんでした。
何より、欠席者にとっては書き込みづらいような気がしたからです。
しかし、欠席してもゼミ生であることに変わりないし、
先生も昨日おっしゃっていたように、欠席者でも何かできることはあります!!
そこで、もう少し『今日イチ』の定義をゼミ生で話し合っていきたいと思っています。
そして、欠席者も書き込めるようなスタイルにしていきます。
第2に、欠席の理由の区別ですが、
この結果のように、カウンターが増えているわけですから、
欠席者も報告を見ているはずだし、この報告内で、
欠席者に一声コメントしておくと、次回のゼミに参加しやすいと思います。
ただ次回の課題だけ確認するだけでは、物足りないです。
だから、大げさに言えば、『くそ〜!!白熱した勉強しているじゃないか!!
休まなかったら良かった…。次回は絶対出席して番会してやるぞ!!』
と思わせるくらいの報告にしていきたいです。
[292] 題名:当日報告が続いていたのが嬉しい 名前:三戸 投稿日:2011年06月01日 (水) 09時50分
松井君、感心感心。
○一点気になったのだが、
「欠席者」についてだ。
連絡して欠席したものと、無断欠席は「同じ扱い」でいいだろうか?
今のままの表記でもいいが、
体調不良で休んだ人に対して、何か一言あってもいいかもしれないな。
○だが、欠席者が、この報告を「楽しみ」にしているのではなかったら、無用のことになるなぁ…?
○今年から、即日報告、ゼミ生全員の「今日イチ(松井君のネーミング)」をすることになった。
この「今日イチ」に、欠席者の「感想、コメント」を書くようにしたらどうだろうか?
考えてみたら、「そうすることは当然」ではないだろうか?
○即日報告は、「今日イチ」のためにも為されるようになったのだから、「今日イチ」は(原則)2日以内に書き込むようにしよう。
○では、今後を楽しみにしているぞ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
オー、カウンターは"13,000"となっている!!
[291] 題名:2011年度第7回ゼミ活動報告〜先生と5人の仲間たち〜 名前:松井 敬祐(23期生) 投稿日:2011年06月01日 (水) 00時44分
梅雨はどこにいったのでしょう!?
今日は晴れの天気で充実した一日を過ごすことができました。
さ〜そんな天気の下で始まった第7回ゼミですが、
今回のゼミ出席人数は……5人。
しかし、前回での報告で書かれていたのと同様に、
先生と密着して勉強することで、
先生の知識、情報をより一層得ることができました。
一日一日を無駄にはせず、“この日はこれを学んだぞ!!”と、ひとつでもいいので、
自分で得て、大学生活を過ごしていきましょう。
それでは、2011年第7回三戸ゼミナールの活動報告に入っていきましょう。
≪目次≫
T.基本情報
U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
V.本の交換会
W.刮目
X.感想
Y.今日イチT.基本情報
【日時】5月31日(火)16時40分〜22時30分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、(坂倉)、(清野)、(小林)
<23期生>市川、衛藤、松井
出席率:55%(5/9)U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
前回に引き続き、
三戸公『現代の学としての経営学』(文眞堂選書、1997)を用いて、
勉強を行っていった。
まず、前回に出された課題の内容を確認する。
@著者(三戸公)の不満は何か?(1章全体を読んだ上でドラッカーの位置づけを考える)
Aドラッカーの人間観・企業観・管理観をふまえてこの文章のテーマを自分なりに考えてくる。
B焦点の一文はどこか?
この三点について議論し、中村さんと近藤さんのレジュメを参考に、かつその場で出てきた当たらしい意見とを検討していった。1.三戸公の不満とは?
主に第1章「経営学の転生を求めて」全体から検討。
まず、中村さんと近藤さんの内容を確認してみる。
(中村さん)
⇒三戸公のドラッカーに対する不満とは、
ドラッカーが「諸個人の幸福」を追求する見事な規範を見出しながらも
「それにそむく現実」について語らない、
「経営の持つ悪」に対しての寛容さにある。
(近藤さん)
⇒三戸公によるドラッガー理論批判
「われわれはドラッカーの言説に耳を傾ける必要を積極的に認めながらも、
彼の理論だけで彼の望みえがく社会、組織が現実のものとなるとは到底思えない。
彼の理論は、あまりにも選択の自由・意思を望むあまり、
それによりかかり過ぎている。E.フロムも同じく、自由を選択、
責任ある選択に求めながらも、現代社会を自由の重さより大衆が逃げ出し、
無責任な管理者・権利者の蹂躙にまかされる理論を説いているのではないか。」
(p.21 ll.3-7)
つまり、三戸公は、自由を重視し過ぎることで無責任な管理が生れるという欠陥を、
ドラッカーが取り上げていないことを指摘している。
ドラッカーの「人間の本性は自由だ」という人間観の重視に疑問を挙げた。
≪三戸公の問題意識≫
組織社会の真っただ中に生きる我々。
人間の主要な社会的行為は巨大なピラミッド型の組織で持って営まれるに至り、
ピラミッド型組織対個人、個人と集団の問題が公害などといったかたちで、
巨大な社会問題となっている。
管理ないし経営は、諸個人の幸福をめざしながら、
それにそむく現実を果たして克服できるのであろうか。2.ドラッカーの人間観・企業観・管理観
【人間観】
(引用部)
「自由とは責任ある選択にほかならず、それは解放というよりもむしろ義務であり、
重く苦しいものである。つまり、人間は社会的行為・個人的行為において意思決定し、
責任をもたなければならぬ。そこに、人間の人間としての存在の格があり、
責任のない人間なんか人としての格をもたぬ人でなしだと把えるのである。」(p.15 ll6-8)
⇒人間の本性は「自由」、つまり「責任ある選択」である。
この“人間観とは人間の価値そのものである。
このドラッカーの【人間観】については、ゼミ生の各々の意見が合致した。
【企業観】
この企業観こそ、問題があるのではないかという先生のご指摘により、
きっちり検討する必要があるとなった。
つまり、この三つの観点(人間観・企業観・管理観)の中で、
企業観が最も重要な観点であることが指摘された。
また、このドラッカーの企業論の考えになるからこそ、
次の管理観につながっていくのだと指摘された。
では、実際にこの【企業観】に対して、ゼミ生の考えについてまとめてみる。
(引用部)
「この大量生産の原理=組織の原理が代表的・典型的なかたちで展開されつつあるのが
産業組織であり、企業である。企業は、なによりもまず、経済的機能を果たす合目的的存在であり、
そのようなものとしてつくりあげられたものである。
だが同時に、企業はそれにつきるものでない。それに、命令・服従関係、規則(法)
をつくり、それを執行行政し、違反を罰する裁判という統治的機能をなす制度であり、
さらには、諸個人がその中で人間関係を結び、地位を得、働き、生きがいを見出して
ゆく場としての制度であると把握する。」(p.14 ll.6-11)
上の部分を近藤さんは引用し、レジュメに載せていた。
中村さんも同様に、上の引用部を用いて、企業観の“三つの要素”を挙げている。
企業は、大量生産の原理=組織の原理が代表的・典型的なかたちで展開される産業組織。
@なによりもまず、経済的機能を果たす合目的的存在である。
A命令・服従関係、規則(法)をつくりそれを執行行政し、
違反を罰する裁判という統治的機能をなす制度
B諸個人がその中で人間関係を結び、地位を得、働き、
生きがいを見出してゆく場としての制度
これらの企業観に対して松井は次のこともドラッカーの企業観の要素ではないか、
と指摘した。
(引用部)
「企業とはなにか。それはなにを目的とした組織体か。
これがまず把らえられねばならぬ。それは、顧客の創造であり、
顧客の創造はマーケティングとイノヴェーションによって可能となる。」(p.16 ll.5-6)
この【“顧客の創造”の要素を入れるべきという松井案】と、
【これは入らないのではないかと考える中村・近藤案】で分かれた。
そこで、この“顧客の創造案”の要素がドラッカーの企業観に含まれるのかどうか、
について次回のゼミまでに検討することとなった。
また、先生のご指摘より、このドラッカーの企業観が書かれている一連の中において、
疑問に感じられることが二点あるとし、
この二点についても検討してくるという指示が出た。
【管理観】
(中村さん)
⇒企業は目的実現のために機能体であり、その目的実現は人間によってなされる。
だから、人間を人間として生かし作用される、つまり人間の自由を確保することで、
目的実現に対して有効的となりうるであろう。(p.15 ll.16~p.16 l.2を用いて)
つまり、これは〈目標管理〉とう要素である。
一方、近藤さん、衛藤はこの〈目標管理〉という要素とともに、
〈分権制〉という要素も含んでいる。
この分権制とは、
@目標達成に役立つことが第一。
A階層を可能なかぎり少なくしなければならない。
B管理者の育成と彼らの能力テストを可能にするものでなければならない。
(pp.17 ll.15-2を用いて)
である。
議論の結果より、この〈分権制〉も含まれるのであるという見解になったが、
この管理観は企業観と密接に関係したものであるので、
上で述べたように企業観を深く検討してから再び考えるということとなった。3.焦点の一文はどこか?
勉強時間的にこのBにまで辿りつけず、次回までの持ち越しとなった。
以下のように、今回の勉強では主に“ドラッカーの企業観”に着目した。V.本の交換会
今回の本の交換会のテーマは『スポーツ・勝負』でした。W.刮目
作成中X.感想
作成中Y.今日イチ
(削除キー:0531)
【松井 敬祐(23期生)】
勉強する際にも、本を読む時でも、
“わかったこと”と“わからなかったこと”を分ける。
それが学ぶことであり、“わかる”ことであるのです。
今日の勉強の時間でも、どこがわかっていて、どこがわからないのか、
あやふやだったので、スムーズに進むことができませんでした。
途中でここまでは異論ないが、ここは理解できないと明確にして、
密度の濃い勉強時間を味わっていきたいです!!
【市川 宗近(23期生)】 6月2日 15時08分
去年扱った正義の問題。今回の震災ではどのように使うことができるのか。
一例として、以下のことが先生からあげられました。
被災者たちのことを考えて自粛しろ というのは 共同体主義
自粛なんて人から言われてするもんじゃない というのは 自由主義
自粛をやめて、お金を使わないと経済が… というのは 功利主義
去年勉強したことを活かすというのは面白い、と感じたのと同時に、
どれがいいのか、と聞かれると・・・。詰まってしまいます。そういう問い自体が正しくないのでしょうか。
では、せっかく分けたこの3つをどう使えばいいのだろうか。今の私には分かりません。
みなさんは、どう思いますか?
【中村貴治(20期生)】
〔安かろう、悪かろう〕
全国にチェーン店を展開していた、焼き肉屋えびすが食中毒による死者を多数出している。
かつては、「安かろう、悪かろう」であり「安いものは何か悪い点があるのではないか」
と想像力を働かせるのが、“大人の知恵”であった。
しかし、効率化が進み低価格・高品質が当たり前となり、現在では「安いが一番」となって、
そこに潜む「悪かろう」に対する意識が希薄となっている。
人は過つという当たり前の人間理解にもう一度立ち返ることが、必要ではないだろうか。
>市川君
確かに難しいですね…。「どれがいいのか」と考えると、確かに思考停止になる気がします。
あくまで私の考えですが、重要なのはそのフレームワークを使って思考できるということ自体ではないでしょうか。
「自由主義」を知らないと、自分が自由主義的な考え方をしていても、
そこにどんな問題点があるのか、どんな反論がありうるのか、わからなくなってしまいます。
そういった意味では、「視野を広くもつ、思考のリーチが広がる」といった効用があるかもしれません。
そして、自分で考える時には、そういったフレームワークを踏まえながらも、過度にとらわれず、
あくまで「自他の納得できる答え」を追求していくことが肝要のように思えます。
その結果として、「ああ、自分は功利主義的なんだ…」などといった発見はあるかもしれません。
あまり積極的に自分をカテゴライズしても、視野狭窄になってしまう気がします。…どうでしょうか?
【市川宗近(23期生)】
>中村さん
中村さんありがとうございます。
自他の思考を「○○主義」として、客観視することで、
自他の思考を再考することができるということですね。
なるほど!!言われてみれば、その通りです。
(先生もそのようなことをおっしゃられていたように思います。)
松井の“今日イチ”にもあるように、分けること、それ自体が、
私が想像していた以上に大きな学びであることを、再認識しました。
先生が今度、正義と経営学についてお話する機会があるとおっしゃっていたので、
どんな話になるのか興味があります。(概要は前回少しお話されていましたが)
ドラッカーをやっていくうえでも、正義について色々と考えていくと
楽しそうですね!!
【衛藤雄介(23期)】
“今日イチ”は全て書き込み終えているという自信があったんですが、ここだけ抜けていたとは…。
この回のゼミで先生から言われたことで印象に残ったのは、
「書き込みの時間に注目すること」でした。
“書き込みをした後に、自分へのレスが何時間後に書かれたものか調べることで、
相手の姿勢を知ることができる。”
この言葉を受けて、自分はその後レスの時間に注目した際に、
先生や先輩・OBの方の掲示板での姿勢に何度も驚かされたのを覚えています。
ですがこれは同時に、自分がレスをする側に回ったときにその姿勢を表すことも意味します。
自分も後期以降において後輩の書き込みに対しレスを行う際、
先輩としての姿勢をしかっりと示せるようになりたいと思います。
[290] 題名:2011年度第6回ゼミ活動報告〜よむ・読む・詠む〜 名前:衛藤雄介(23期) 投稿日:2011年05月25日 (水) 00時54分
衛藤です。5月24日の午前中は掲示板上で大変失礼しました。
2011年第6回のゼミの活動報告を行ないます。
この日は急激な気候の変化のせいか、
9人のゼミ生の中でなんと5人が欠席してしまい、
先生含め5人しかゼミ室に集まらない
という事態に。(なんだか前回自分が報告を担当した際も人数が少なく、
これは何かのジンクスなのでしょうか…。)
みなさん、体調管理には気をつけましょう。
ですがこれも前回同様良い点もあり、
人数が少ない分お互いの机を寄せ合うことで、
近い距離で話し合いを行うことができました!
今後のゼミに活かせるような、
新たな空間の活用の仕方を見つけられたような気がします。
また、今回は先生の提案により
“活動報告を3回書き込む”
ということを実践してみようと思います。
3回書き込むとは、
@1回目に骨組みを書き込み(期限はゼミ終了から24時間)、
A2回目により内容を充実させ(期限は1回目の書き込みから24時間)、
B3回目で完成させるというものです(期限はゼミ終了から一週間)。
◎今回は1回目の書き込みということで、
骨組みのみ書き込もうと思います。
さらに詳しくは24時間以内に書き込みますので、
どうぞご期待ください。(2011/05/25 0:56)
◎たった今2回目の書き込みを終えました。
しかし24時間と定めた期限に対し20分も遅れてしまったのは
非常に悔しいです!!
何か気になる点等ありましたらコメントをよろしくお願いします。
それらのコメントに対する修正を3回目の書き込みとしたいと思います。
(2011/05/26 1:16)【目次】
T.基本情報
U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
V.刮目
W.感想T.基本情報
【日時】5月24日(火)16時40分〜21時52分
【場所】経営学部B棟334号室
【出席情報】※カッコ内は欠席者、敬称略
<20期生>中村
<21期生>(勝又)
<22期生>近藤、坂倉、(清野)、(小林)
<23期生>(市川)、衛藤、(松井)
出席率:44%(4/9)U.ドラッカー勉強“現代の学としての経営学”
三戸公『現代の学としての経営学』(文眞堂選書、1997)の
第1章「ドラッカーの世界」(p.13-p.20)をテキストとして使用。
1.今週の課題
課題@: この文章のテーマ(問い)と結論は何かを考えてくる。
課題A:論理展開をおさえながら、各見出し毎に最も重要だと思われる箇所に線を引いてくる。
2.議論の内容
課題@:「この文章のテーマ(問い)と結論は何かを考えてくる」
テーマとして一番多かったのが、
“ウェーバーと比較したドラッカーの楽天的な社会の捉え方について”
であった。
しかし、著者が単にドラッカーそのものの理論について書いた文章ではないか
という意見も出たことから、
この節を読むだけでは判断ができないという結論に。
結論については
「彼はその規範と現実の乖離のきびしさに目をむけなかったからこそ、
組織体のもつ不可避なマイナス側面を見過ごしたからこそ、彼は楽天的になりえたのである。」(p.20,ll1-2)
の箇所に全員が注目しており、この点が結論である点については全体で意見が一致した。
課題A:「論理展開をおさえながら、各ブロック毎に最も重要だと思われる箇所に線を引いてくる。」
(@)バラ色の企業組織論(p.13 ll.1-p.14 ll15)
「ウェーバーと同じように、…彼によって展望せられる未来は、バラ色でさえある。」(p.13 ll.4-8)
「人間の社会的諸行為…人間の生活のすべてに浸透し貫徹する社会になった」(p.13 ll.12-15)
「この大量生産の原理…生きがいを見出してゆく場としての制度であると把握する」(p.14 ll.5-10)
この3か所においてこの文章のテーマだけでなく、ドラッカーの社会の捉え方や企業観をおさえる。
(A)自由と機能の統一(p.14 ll.16-p.16 ll3)
「人間の本来は自由にあり…責任のない人間なんか人としての格を持たぬ人でなしだと捉えたのである」(p.15, ll.4-8 )
「人間が本来自由ならば…こう考えるわけである」(p.15, ll.16-p.16, ll.2)
この2か所でドラッカーの人間観だけでなく、この文章でのテーマの箇所にも登場する
“個人の自由が保障される”点について触れられている。
(B)分権制による全員経営者化(p.16 ll.4〜p.19 ll6)
「企業が目的的存在たるかぎり、…自己統制してゆく」(p.16,ll.10-14)
この箇所に線を引くことで、表題の『全員経営化』についてよりわかりやすくなるのだが、
『分権制』については
「目的管理に対応した組織構造は分権制である。…分権制である」」(p.17, ll.15-p.18,ll.1)
「各単位がそれぞれ独自の顧客…自己管理を可能にしてゆかねばならない」(p.18,ll5-7)
上の2か所のどちらに線を引くのが正しいかについて決着がつかなかった。
(C)規範論としての長所と欠陥(p.19 ll.7〜p.20 ll4)
表題にある、長所については
「彼の規範はむしろ積極的に肯定すべきであり、…努力をしなければならない」(p.19,ll.10)
であり、欠陥については
「彼に対して不満を述べるとすれば、…欠けるところがある点に在する」(p.19,ll.11-14)
の箇所に書かれている。
3.先生のお話
結論において、(C) 規範論としての長所と欠陥での「法則的把握において欠けることろがある」(p.19,ll13-14)ことから、
ドラッカーは社会において分析すべき点を分析していないことがわかる。
また、「不可避的な」(p.20,l2)という表現からもわかるように、
ドラッカーの理論における「規範と機能の統一を指向する」(p.p.20, l3)だけでは不十分であることがわかる。
よってこれより導き出されるこの文章の結論は
ドラッカーの理論は規範論であるが、規範と機能の統一を指向するだけで、
法則的把握といった分析すべき点を分析していない(現実を見ていない)。
ということがわかる。
テーマについてであるが、上の結論から考えると
なぜ、ドラッカーは上のように現実を見なかったのか?
という点を考える必要があり、これは単に線を引いて抜き書きするだけでは不十分である。
4.次週の課題
@著者(三戸公)の不満は何か?(1章全体を読んだ上でドラッカーの位置づけを考える)
Aドラッカーの人間観・企業観・管理観をふまえてこの文章のテーマを自分なりに考えてくる。
B焦点の一文はどこか?V.刮目
その日学んだこととして、
自分は三戸ゼミにおける勉強の“型”について話をしました。
勉強の際に先生から学んだことは、線を引く際において
書いてあることだけを並べても、勉強にはならず、
なぜそうなったのかという問いに対する自分の考えを相手に
納得させるように伝えようとすることが勉強である。
と教わりました。
その日自分が提出したレジュメは単にテキストの重要な部分を
抜き書きしただけのものでした。
しかし、先輩のレジュメや先生の話をよく分析し、
自分のものにしていきたいと思います。
また、その際先生から教えて頂いたことは、
“わかる”ことは“分ける”ことであり、
分けたものを比較することでわかることができる。
比べるものが無い場合、本当に良いものをわかることはできない
ということでした。
先輩のレジュメや掲示板での他の人の書き込みなど、
どんどん比較することで“わかる”ように努力していこうと思います。W.感想
今回の勉強の場において、
自分は正直ついていくのがやっとであり進行を
ほとんど中村さんに任せてしまっていました。
ゼミ幹事として恥ずかしいです。
しかし、ゼミでの勉強を重ねるにつれてだんだんとゼミの“流れ”が
自分の中にできてきたような気がします。
来週の勉強も難しそうなテーマですが、
ゼミ幹事として立派に振る舞えるよう頑張っていきたいと思います。
=======================================
以下、その日学んだことを自由に(5行程度で)書き込めるスペースを設けます。
削除キーは[0524]
たった4人の参加でしたが、
得たものはとても大きいゼミであったと思うので、
どんどん書き込んでいきましょう!
―――――――――――――――――――――――――
◎中村(20期) 2011/05/25 03:30
おお、私は感動しました…!!早い報告、有難うございます(今、泣いています)。
つい先ほど、三ッ沢上町駅の前で別れたばかりですよね。
活動報告の最速記録更新ではないでしょうか(おめでとう!!)。
早い報告だと、コメントを打つ方も本当に気持ちがいいです。これからも楽しみにしています!
今回私が得たのは“コミュニケーションの温かみ”を実感したことです。
今日のゼミは4人だったため、机を2つだけ、殆どくっつけて行われました。少人数、至近距離で議論したせいか、
「この相手は“他でもない私”に向かって言葉を発してくれているのだ」と、しみじみ感じることができたのです。
今までは人数が少なく、距離が近ければ、「喋らなくてはならない責任が生じる」から良いのだ、
といった少し冷たい感覚で捉えていたのですが、今回の事で、こういう温かい意味づけもあるのだなと感じました。
かなり感覚的な物言いになってしまいましたが、
こういった感覚に敏感になることは、円滑なコミュニケーションにおいてはとても重要かと思います。
せっかく今までにない状況だったのですから、これも学ぶ機会。
(特に私は理屈っぽくなるきらいがあるので…)この“感覚”は忘れず、掲示板などにも活かしていきたいです。
◎三戸「人は応える、ひとを動かす」
>また、今回は先生の提案により
>“活動報告を3回書き込む”
>ということを実践してみようと思います。
私の提案(呼びかけ)に、衛藤君が応えた。
それに、中村君が応えた。
この「応答の連鎖」を期待して、見守っていきたい。
(削除キーは、目立たせたほうがいいのでは?)
◎近藤(22期)
今回のゼミでは、今までのゼミで5〜7ページほどの論文を読んできて思った、
「読む」ことについて話しました。
簡単にまとめると、以下のような話です。
読むと言う言葉は、「文章を読む」以外にも、
「心理を読む」「空気を読む」等、いろいろな使われ方がある。
文章を読むことは、ただ文字を読んでいくということでなく、
筆者が何を伝えたいのか、何を伝えるためにこのような表現を使っているのか、
深く考えながら読まなければならない。
それに対し、先生は2点教えて下さいました。
(1)4種類の「よむ」
@再現できる(=情報を相手に伝えることができる=知識)
A察する
B理解する(=我が物にする)
C「詠む」
(2)「分かる」とは「分ける」ということ
何かを分かるということは、その中で何が重要か、良いのか、を判断し、
分類することができるということである。
「良い」とは、相対的に比較し、自分の基準を設けることができることである。
文章を読むことをもっともっと続け、本当に「読める」ように、
また「分かる」ように、勉強していきたいと思います。
◎坂倉(22期)
第6回のゼミは、「本の読み方」の勉強を行いました。
内田樹『街場のアメリカ論』文春文庫の「まえがき」に引き続き、
今季2回目の「本の読み方」の勉強でした。
前回の勉強でも先生から「読み方」習っていたので、自分ではそれができていると思い込み(今思うと、なんて甘い考えだ!)、
ゼミ生内の議論では、「テーマ」「結論」や「線の引く箇所」もほとんど一致していたのですが、
実際の所は「何も読めていない」という所が先生のご指摘により明らかになりました。
字面だけ追う本の読み方からは脱却し、著者と対話しながら、
言葉の一つひとつを自分の心と突き合わせながら本を読めるようにならねば!なりたい!
ということを強く感じました。
[289] 題名:学び、成長を見せるもの達へ 名前:三戸 投稿日:2011年05月24日 (火) 15時08分
衛藤君(ゼミ生諸君)、どうかね?
書き直しをしてみて、
少しは、「ひとに伝える」ということを意識するようになったかね?
そして、「ひとに伝える」難しさは感じたようだが、
「ひとに伝える」面白さはどうかな?
松井君の修正版と、自分の修正版を見比べてみてご覧。
・「ひとから学ぶ」読み方を。
・ひとへの注意を、自分のこととして聞く。
○報告しっぱなしであることに気付いているか?
こういうことがありました、
こういうことを決めました、
と報告する。
例えば、問題が生じたなら、その後解決したか?
先生から注意されたら、その後改まったか?
読んだものは、その後どうなったのか?気になるのではないか?
報告は、読み手に向かってしていることに気づいて欲しい。
気づけば、伝える意義、面白さ、喜びを感じる事が出来る「人間」になれよう。
○私の「提案」に何人もが答えている。
だが、どうするかを私が決める、とは思っていまいな?